[捏造の科学者] 250頁の [緊迫!] の意味は何か?


捏造の事実を隠そうとする理研の隠蔽体質に対し、良識ある科学者たちの協力の元、私たちマスコミは真実を世の中に知らしめることに成功した。

上記に示したのは、片手落ちで誤ったマスコミの思い込みを、学とみ子が作文したものである。マスコミ認識の誤りが余すことなく書き込まれているのが [捏造の科学者] だ。

文庫本250頁には、以下の文章 [取材班の雰囲気は一気に緊迫した] が書き込まれている。そこに、マスコミ勝利の思いが書き込まれている。なぜ、マスコミは、緊迫したのか?である。

すでに、この文章が書かれた時期は、バカンティ氏、小保方氏が論文撤回に同意した後である。著者らは、科学的判断から撤回に同意した。論文に書かれていないマウスが使われていたからである。

長期間、若山研究室で閉鎖的に飼育されていた特殊なマウスがSTAP研究で使われていた。染色体や、遺伝子構成が標準マウスでは無かった。だからこそ、簡易検査でも、STAP細胞はES細胞とそっくりになってしまったのである。

しかし、マスコミはそうした可能性について想像できるような知識はない。そっくりなES細胞があった!だけで、ES捏造の条件は十分であるとマスコミは理解したのである。

すでに桂報告書スライドで、違う親、違う時期に作られた細胞でこれ程までに遺伝子構成が類似してしまう事実はすでに示されていた。しかし、そうした一覧表からの情報をマスコミは読み取る事ができないのだ。

日経サイエンス2015年3月でも、詫磨氏記事は、大事な解説ができていない。一般の129マウスが使われたような解説になっている。

須田氏の[捏造の科学者]は、最終報告を待たずに桂報告書以前に書かれたもので、受賞を意識したと言われている。ここからわかるものは、出版界は、ES捏造論を支持していたと言うことだ。

つまり、出版界の認識では、論文撤回決定は、STAP著者らが捏造を認めたからとの理解であり、マスコミサイドの誤解である。誤解を意識できないマスコミ人たちは、やったーとの盛り上り方をしたのではないか?

しかし、理研調査は、STAP細胞疑惑解明を旗標とする一方、同時にES捏造論の破綻の調査もしていたのである。政治的パフォーマンスで、理研がNGS解析をしたのでなく、全く逆の発想の調査員が、政治的圧力に対抗すべき科学の真実を示そうとしたのである。

例え、小保方ES捏造を画策する人たちが調査員にいたとしても、調査にあたる科学者たちの意思を統一することなどできない。調査した科学者の中には、真実をしめそうと努力した人たちがいる。

SNPをどう処理したかの方法論は、必ずしもBCA論文内で明らかにされていない。しかし。裁判等で、理研による科学的処理の方法論が問われた時、しかるべき科学的説明をするために理研調査員は準備できていると思う。

理研調査結果をまとめる事がここで許されるなら、遺伝子調査では細胞起源の特定は困難であり、[STAP細胞がES細胞から作られたとの説には複数疑問点がある]との結論だ。


しかし、マスコミは、この理研の二面性に気付く事ができなかった。付け焼き刃的なES捏造論を、ES画策者から吹き込まれて、マスコミは記事を書いたからだ。どろどろとした研究現場における研究者同士の確執を見逃したのである。

マスコミは、良い研究者、悪い研究者との単純ストーリー仕立てをして、画策者から吹き込まれたままに、興味本位の捏造ストーリーを作り上げた。

最初の画策者がイメージしていたストーリーを、マスコミははるかに逸脱させてしまったのではないか?。

こうしたマスコミ人の誤解が、この著著に満ちあふれているが、[捏造の科学者]著者は、マスコミ独自の脚色部分に全く視線が向かないのである。

マスコミは、有志科学者による解析精度の問題点も、理研上層部の立場も何も理解できる訳でない。

標準的な知識を情報提供する学者層を全て排除した。マスコミはやるべき事である公正性を捨てた。代わりに、大衆が喜ぶとマスコミが妄想する単純ストーリーに、事件の方向性を持って行ったのだ。

そのマスコミによる情報操作が成功したとの大満足が、250頁の[緊迫!]の意味なのか?マスコミは、権威が無いが正しい研究者たちの味方をした結果、その正当性が勝利したと言いたいのだろうか?

実際は、理研の科学力を押し潰す政治力の味方をしただけなのだ。

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