自然界にある生き物、その生き物を構成している細胞については、常なる変遷状態にあります。

自然界の生き物は、環境に応じて、どんどん変化していきます。
生き物を構成する細胞自体に、環境変化に応じて変化する能力があるからなんですね。

オカルトでも何でもありません。細胞の柔軟性を理解できない人は、それこそ、悪性のガンになってみると、細胞の自律性、自立性が理解できます。

ウイルスも変化し、その感染に応じるヒト細胞も変化するんで、新規出現のウイルスの場合、感染の広がりを予想するのが難しいのです。

ですが、現時点で、コロナウイルス感染症について議論する事は、逆に、素人向けなんですね。

なぜなら、議論内容は何でもありの、自由に語れる段階だからなんです。
素人同士で議論していても、“本当に何が正しいことか?”が、まだわかっていないので、言いたい放題です。
どう予想しようが、何でもありです。
今は、感染症の疫学を知らなくても、病気の防御免疫を知らなくても、なんでもしゃべり放題ではないでしょうかね?

誰かがコロナウイルス感染症を予想した時、その予想に対し、「君、間違っているよ。」とは、誰も言えません。
但し、専門家なら、「君、感染症の一般背景を知らない人だね。」 とは言えますけどね。

専門家は、公けの予想を出す事には慎重になるでしょうし、影響力を考えると難しいでしょう。

どこかの専門家が、どう予想できたら、本当に当たるか?は、世界中多くの人が興味深く見守っているところです。
やはり、核になるのは中国の科学力でしょうね。
中国におけるウイルス自体は弱毒化しているのかもしれませんね。

まず、現時点で、過去の疫学データを持ち出しても、今回のコロナウイルス感染症を論じるために必要になる信頼度がないです。
サーズ、マーズなどの過去のコロナウイルスのデータを持っていても、今後のコロナウイルス感染症はどうなっていくのか?の予想が難しいです。

感染症の疫学を考えると、もともと、疫学はその解析ツールにすぎません。
コロナウイルス感染症について、有用な疫学情報を提供するためには、感染症そのものについて、広い知識を持つ必要があります。
専門家は、”そこ”を踏まえて作文しますが、感染症に知識がない人だと、”そこ” に気付きません。
ですから、コロナウイルス感染症を論じるには、他の感染症の基礎知識が必要だよ!と、専門家が世間に投げかけることが大事でしょうね。

マスコミが、今後のコロナウイルス感染の推移に触れないでいるのは、マスコミは、コロナウイルス感染の未知の大きさに気付いているからと思います。
ですから、そうしたコロナウイルス感染の未知の大きさを列記しながら、みんなで今後を予想し合うと、有用な情報となるのではないか?と思います。
なぜ、現時点で今後の予想ができないのか?今後の予想に有望である情報は何か?を、みんなで考察しあうのが大事なんでしょうね。


感染が終息してから、疫学者が、抗体ベースでものを考えるのは正しいでしょう。
抗体は、人のつくる蛋白なので、測定が容易ですし、長い間の科学的評価の条件を満たしてきました。
人の免疫推移を後から評価するには、特異抗体は安定したツールです。
しかし、感染防御を論じる時には、複数の視点で評価する必要がありますし、抗体を、感染症予想のためのツールとするには限界があります。
むしろ、人々に誤解を与えるリスクがあります。

かつて、人の免疫応答解明の黎明期に、抗体蛋白が発見された理由の第一は、測定が容易だったからです。たんぱく質として、感染症の証拠を見つける事ができるようになりました。

さらに、そこから、細胞レベルへと解析と研究が進み、抗体産生免疫機序に至る複雑な仕組みが発見されました。

その後も引き続き、感染症については抗体以外にさまざまな因子が発見されました。
過去の感染記憶に頼らない、初期免疫が実はとても防御能力を担っていた事実が解明されました。新たな科学の登場です。

人が生まれながらに保有する防御能を初期免疫と言いますが、実は、初期免疫は、過去の記憶を必要とする獲得免疫と協力的に作業します。

最初に立ち上がる初期段階の免疫反応は、以後、持続的に変化して行ってしまうので、後から人が科学として実証するのが難しいです。

まだまだ、昔の考えの人の中には、ウイルス防御能力を、抗体だけで評価する人がいるんですね。

抗体ができるから、病気が治るとの間違った考えですが、そこから一歩も進めない人がいますね。

ワクチンの考え方の解釈が古い人です。
抗体と防御免疫をごちゃごちゃに考えていけませんね。

できない人というのは、自身の抱えている未知を知ることができません。新たな学びを開始できずに、無知を指摘する人がいると、そちらの人の方が間違ってる!と考えるようです。

回復後のウイルス特異抗体の測定法はさまざまにありますが、1つの方法で測定可能なヘテロな抗体が、どこで感染防御と連動するかは個人差があり、一定ではありません。
ですから、抗体を単純化させずに、ヒトの防御免疫の機序と対照させながら、学んでいきましょう。
免疫反応における個人差を知ることが何より大事です。

多くの子供が類似の症状を起こす麻疹などは、症状の個人差の少ない感染症で、被感染者の抗体反応にも共通点が大きいです。

こうした、人に一律的な病気を起こす麻疹感染症は、むしろまれな病態を起こすウイルス感染症と言えます。

(ため息さんは、こうした話題についてこれないので、又、意味不明というでしょうが、圧倒的な知識不足なんですね。臨床医にとって、[複数の子供たちが類似の症状を示すことが不思議に思える] との臨床経験を理解できませんから)
こうした話題に食らいつく一般人は、鋭い人だと思います。病気の多様性を知りたい人ですね。STAP細胞を信じない人に、この鋭さは期待できません。

そんな麻疹ウイルスとはいえ、被感染者が致死的になったり、体内に長期のウイルス持続が続く場合があります。


BCR,TCRの多様性も、誰かが、生き残るための仕組みです。この説明もため息さんは理解困難でしょう。
ため息さんは、遥か昔に、自身にとって理解困難なことは、相手のミスに決めつけるとの生き方を選んだのでしょう。


IgMが先、IgGが後、なんて教科書を読んで、納得してしまうレベルでは、コロナウイルス感染症は語れませんですぞ。

以前にも指摘しましたが、ウイルスごとにヒトにとりつくスキルが異なりますし、ウイルスのとりつき方に応じるヒト側は、敵のウイルスごとに作戦を変えます。
抗体は、病気を防ぐ一方で、防御免疫をかく乱させることもあります。
ウイルス側が、せっかく人が作った抗体を利用することもありますね。

コロナウイルス抗体に興味を持つ人は、ぜひ、TCR、BCRの機能に立ちもどって勉強し直してほしいものです。
そうすると、抗体の果たす役割や、個人差についての理解が進むのではないでしょうか?


不明ばかりのコロナウイルス感染症ですから、まあ、現時点では、これ以上、固い事言わずにしますね。
あちらの方々が自由に語りあっているのに水を差すことを、当ブログはやめましょう。


そして、STAP話題に戻りましょう。
あちらのため息陣営の人たちが、学とみ子をバカ呼ばわりに熱心なのは仕方ないとして、彼ら自身は、もっと、生き物を知らないとね。
少なくとも、STAPを論じたいなら、もっと、細胞を語れないとまずいでしょうね。

遺伝子専門学者たちも、STAP騒動をマスコミと一緒に盛り上げている途中で、どこかで、
“やっぱり、小保方ES混入説では無理だろう・・・・”と、内心は気づいたと思います。

気づいた時期は、学者ごとに個人差があるでしょうし、詳細はわかりませんけどね。
学者たちはだまっているけど、無理くりな ”小保方責任転嫁論” の限界に気づいたと思いますね。
何といっても、小保方氏がESをあえて混ぜなくても、他にもいろいろ混入のリスクはおおいにあったことは、学者なら、わかる事ですから。
他の実験者の混入ミスも視野にいれなければいけないことに、学者なら気づきます。
多くの実験サンプルが出てきたときに、「まずいなあ~」 と思ったES画策者たちはいたでしょう。

小保方氏がESねつ造を強く否定する様を見て、画策者たちは、ESねつ造説の作戦展開を変えました。
小保方嘘つき論を付け加えましたね。

ESはどこかで混ぜてしまったかも???なんて、実験者本人だちが言わない限り、傍からはわからないでしょうし、「私は混ぜていません}と、積極的に否定したのは、小保方氏だけですね。
ここは大事なポイントですね。

事件勃発の初期の頃には、STAP実験の多くの部分を、筆頭著者である小保方氏が単独で行っていたという理解をしていた学者が多いと思います。
ですから、”小保方ねつ造説でも納得” の考えがでてくるわけです。

しかし、丁寧に事件を追っていた学者層は、気づきましたね。
”どうも、ESが混じったかもしれないが、どこで混じったかは分からないし、ESが混じった話と、STAP細胞変化の話は別だろう” 
になりました。
細胞を知っている学者たちは、実験ミスで起きたES混入かも???は、すぐ思い当たるでしょうし、当然、理研内もそうなっていったと思います。

ですから、この騒動を丁寧にウオッチしていた学者たちの大方は、故意ねつ造は無理!かも・・・?となっていったと思います。
だからこそ、小保方追及派は、小保方大ウソつき論を持ち出して、彼女は嘘を言っているという流れに変えたと思います。

しかし、この騒動の最中に、いろいろ推論で揺れていた学者たちにはコントロールできない大きな出来事がおきました。
それは、細胞や生命科学、医学に専門外の学者層の登場でしょう。
「小保方ES混入で正しい」と、政府取り巻きの学者が信じてしまったことではないのかな?と思います。
実験ミスを予想できる学者層でない別の専門学者たちが、細胞の不安定性や実験ミスに気づけなかったのではないか?と思います。
桂報告書が出た後ですら、訴訟に踏み切った学者がいましたから・・・。

最後まで、故意のES混入論にこだわった人が一部であったにしろ、最終的に、個人責任に押し付ける事態になってしまったのでしょうね。




“STAP実験が再現されないから、STAP論文はねつ造だった”なんて、いまだに言ってる奴は、本当に困ったちゃん!ですね。

自然界にある生き物、その生き物を構成している細胞については、常に変化しています。
細胞は、常なる変遷状態にあり、分化、かつ後戻りしています。
現時点ではES並みに戻るには人工操作が必要ですが、自然にもある程度に分化状態を変化させています。
遺伝子機能を柔軟に変えられないと、生物は生命維持ができません。
あちらの人には、そこを理解する力がありません。
抗体で、コロナウイルス感染症を語るレベルから、早く脱出して、新たな議論を展開してほしいです。

すでに、シングルセルレベル解析の時代となり、個々の細胞における遺伝子発現解明が進んでいるのですからね。
バルクな細胞が、それぞれ、別方向の細胞に変化していくさまがわかります。

細胞変化は、顕微鏡などを用いて肉眼で観察することができますし、STAP細胞は、小保方氏が顕微鏡でずっと変化を追っていきました。
これは、ES細胞における分化とは違います。
生命は、細胞の働きと変化で成り立っていますが、それを遺伝子発現の定量的な数値として見ることができます。

科学の進歩により、以前よりすっと正確に、細胞の一連の遺伝子の流れが観察できるようになってきています。
つまり、生命科学や医学が進歩して、深度の深い遺伝子発現データーの取得できるようになったのですね。
深い遺伝子発現データーの取得の勢いは、今後も続きます。

あらかじめ持ち合わせた遺伝子構造異変マウスにおいて、外部ストレスに対して遺伝子発現をどう変化させるか?が、今後、もっとわかるでしょう。

STAP実験に使われたのは、人工的操作を繰り返した特殊な遺伝子構造でした。この特殊な遺伝子構造マウスは、もうつぶされてしまったでしょうかね?


おわび
STAP細胞を応援してくれている方からのコメントが、当方のミスにより、一部アップされていませんでした。
ここでお詫び申し上げます。
すみませんでした。以後、気をつけます。
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