”ESねつ造ありき”とする学者グループに利用されてしまった経緯に、毎日新聞はすでに気づいているのであろう。

毎日新聞が、以下の記事を書いている。

タイトルは、「STAP細胞、京大霊長研…後を絶たない研究不正」 だ。

本来なら、毎日新聞は、STAP細胞をESねつ造事件のままにしておきたいだろう。
須田氏は、優れた報道に与えられる大宅賞までもらったのだ。
新聞社にとって、大切で、誇るべきSTAP事件を、上記では、そのようなニュアンスで報道していない。
毎日新聞は、他の研究不正事件と並べて、STAP事件をその中のひとつとして紹介しているに過ぎないのである。
この扱い方は、注目できる。

日本のマスコミにとって、STAP事件報道は、他の研究不正事件とは、まったく性質を異にするものである。
マスコミにとって、報道の勝利だったはずである。
しかし、STAP事件は、マスコミが、自らの足で学者に食らいついて取材したのではなく、ESねつ造画策学者からの情報を鵜呑みにして、マスコミは記事を書いてしまったのである。

研究上の疑惑に過ぎない出来事を、まるでねつ造が確定しているかのように、理研周りの学者たちが情報を世に放出した。
理研周りの学者たちが、事情がわからないマスコミを利用して、情報操作を始めたのだ。
学者から学者に情報が伝わるうちに、ESねつ造説の信憑性がどんどん高まって行った。
興味本位に信じる人たちが増えていったのである。

ESねつ造を信じてしまった学者たちから、STAP論文著者らは、激しく攻撃された。
理研内部の抗争が激化し、国からの管理者も、アンチCDBで動いたようである。

ですから、マスコミは自由に研究所を攻撃できる環境になっていた。

CDB上層部は、著者らを守ろうとしようとしたが、マスコミは、CDBは嘘を言っている、不正をごまかしているとしてCDB攻撃ができた。STAP攻撃OKとなる国のお墨付きをマスコミは得ていたのである。逆に、STAP擁護では、マスコミは動けなかったのである。


記者らが、ねつ造話が本当であると思いこんでいたから、不確定情報に過ぎないESねつ造を、報道の正義として喜んで広めたのである。
そのまま、大新聞社を含むマスコミ全体で、ねつ造間違い無しで、全国に広まってしまった。


しかし、上記記事で取り上げられた他の研究不正は、そうしたものではない。
だからこそ、上記記事に問題が大きいのである。
上記記事では、質の違うはずの研究不正事件をずらずらと並べている。
そして、STAP事件も、そのずらずらの不正の一部として、紹介されている。
上記記事は、他の研究不正事件と、STAP事件が同じであったかのような扱いをしているところが、おかしいのである。



この記事の文頭の文章は以下の「研究不正」とされる行為にはさまざまなタイプがある。」 から始まる
マスコミにとってのSTAP事件は、「研究不正」の単なる報道ではなく、マスコミがESねつ造を決めつけた事件なのである。
細胞実験に詳しくないマスコミが、画策する学者に利用されたのである。

上記のネット記事でのSTAP事件は、以下(紫字)のように書かれている。

▽2014年

 理化学研究所の研究ユニットリーダーらが、新しい万能細胞「STAP細胞」を作製したと英科学誌ネイチャーに発表。ところが、理研の調査委員会は図表類計4件の捏造や改ざんを認定。調査委は「STAP細胞はES細胞が混入したもの」と結論づけた


上記文章は、なかなか、工夫がされている。つっこまれない内容となっている。
これを書いた記者は、すでにSTAP事件のマスコミ報道に、問題点が多かったことが良くわかっているからだ。
小保方ねつ造の事実など、示せないことが、上記記事の書き手にはわかっているのだ。
結果、上記記事は、小保方氏がES細胞を使ってSTAP細胞をねつ造したとは書いていない。
その疑いがもたれたとかすら、上記記事に書いていない。

上記説明の>「理研の調査委員会は図表類計4件の捏造や改ざんを認定。」は、正しい。

>」「調査委は「STAP細胞はES細胞が混入したもの」と結論づけた。」これも正しい。

つまり、以前の毎日新聞のスタンスとは異なる。
報道ミスを犯したことを、マスコミは十分に承知しているようだ。

当時のマスコミは、小保方氏がES細胞を使ってSTAP細胞をねつ造した、あるいはその疑いが極めて高いと報道したのだ。

なぜなら、ESねつ造は小保方氏しかできない手法であると、マスコミは学者たちから情報を受けたからである。

学者たちが考案したESねつ造ストリーは、実に巧妙に作られているので、確認しておこう。

STAP実験の際、小保方氏が酸浴後day7までに、ES細胞を混ぜ、他の研究者は小保方氏のこの行為で、だまされてしまったとの筋書きが、ESねつ造ストリーだ。
この酸浴後day7までのES混入説だと、ES混入者は、小保方氏に限定され、小保方氏以外の誰も、ES細胞を混ぜた人にならない。

しかし、実際には、ES混入実行は手技上で難しいものである。
ES細胞というのは、大きさ、形態、増殖速度など、他の分化細胞とは全く異なる。
つまり、顕微鏡を覗く作業を要する時に、研究者ならES細胞の存在に気付く。
また、培養をすれば早い速度で増えていく。

しかし、培養中にES細胞が混じり、その後の培養継続中にES細胞だけになってしまったら、ES細胞と気づけず、STAP細胞がES並み細胞になったと勘違いするかもしれない。
ES,TS細胞は、培養条件などで、生死も働き方も変化してしまう。
専門家ですら、可能なのか?について推論は語れない。

しかし、マスコミは、こうした実験実践上の知識をもっているわけではない。
学者たちが、情報を与えない限り、記者たちは気づくことができないのである。
学者たちが、小保方氏だけがES,TS混入が可能とマスコミを指導すれば、マスコミはそのまま信じるのである。

当初、学者たちがESねつ造を信じたのは、STAP論文実験は、ほとんどの実験を小保方氏一人が手掛けていたと聞いたからであろう。
その後、桂報告書が、キメラ・幹細胞作製に小保方氏がかかわっていないと示してからは、さらにES,TS混入を実行するための説明が難しくなってしまった。

STAP実験にかかわった研究所たちは、何も言わない。
お互いに、ES混入の原因について、何も話し合わない。
具体的な目撃証言も何もない。
あるとすれば、「小保方氏は離れた場所で実験していたから怪しいのでは・・・・」 位の証言位しかない。

研究室としてやるべき、ホウレンソウが無いのだ!
最初から、小保方氏だけが怪しいとマスコミは決めつけているのだ。



しかし、時は流れた。
つまり、ESねつ造説には、論拠が無かったことが、毎日新聞社は気づいたのであろう。
だからこそ、毎日新聞社の認識の変化が、上記記事の扱いからうかがえるのだ。

マスコミは、ESねつ造をもはや、主張できることができないのである。
頼りになる専門学者、マスコミを焚きつける学者は、もはやいないのである。
そして、マスコ独学では、新たなESねつ造のための証拠探しの能力を欠く!
ESねつ造に証拠がないとすることに、マスコミは反論できないのである。

「真実の出来事は、どんなに時間が経ってもあせない論拠がある」と、当ブログは書いた。
一方で、真実でないものは、説明がどんどん変わっていくのだ。

実験の実態を知らない人たちは、不用意にESねつ造が可能であると考えてしまう。
そして、実験の実態を問われても、全く答えられない人たちであった。

専門家はすでに、STAP事件から手を引いている。
専門家たちは、マスコミにSTAP事件を語らない。
専門家以外の人たちが、独学で勉強を進められない人たちは、議論から脱落していく。




桂報告書は、小保方氏の論文使用した図表の不正をねつ造とした。
つまり、ねつ造なる用語をつかって、小保方不正を認定した。
そして、ねつ造者を作り上げたい理研学者一部は、ねつ造なる言葉は、ESねつ造を意味するものであるかのように印象操作をしたのである。実際には、ESねつ造など無くても、ESねつ造があったかのように印象操作をしたのである。

当時のマスコミはおおいに、ESねつ造の事実を暴こうとがんばったのである。
そして、マスコミにとっての収入にもつながるために、マスコミは、ESねつ造派学者に協力したのである。

しかし、彼らの努力は、永続性の無いものであった。
マスコミは、ESねつ造論を維持することができない。

ESねつ造説をあれだけ広めていた毎日新聞ですら、小保方ねつ造報道をスルーして、STAP事件を、他の研究不正事件と同等に扱うしかすべがなくなっている。
他の研究不正事件の一部として、STAP事件を扱う事しかできなくなるのだ。

マスコミは藪蛇のようなことしか、できなくなるのだ。

その御家事情を示すのが上記記事なのだろう。

毎日新聞の記者が優れていたので、ESねつ造事件をスクープできたとは、上記記事では、言えなくなっているのだ。
毎日新聞の記者が、報道正義のために戦い、毎日新聞はES混入事件暴露に勝利したとは、上記記事は言っていない。

恐らく、マスコミは、学者間の権力抗争に巻き込まれてしまったと、内心、思っているだろう。
”ESねつ造ありき”とする学者グループに利用されてしまった経緯に、毎日新聞はすでに気づいているのであろう。


講談社が、「あの日」を出版できたのは、講談社編集部が、小保方氏文章のファクトチェックをしっかりできたからだ。
つまり、小保方文章には、証拠があるのである。
訴訟になった場合でも、出版社として証拠を出せる準備を、講談社はしっかりできていたからこそ、「あの日」が出版物として世に出ることになったのである。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント