STAP事件は、論文に書かれたことと、桂報告書に書かれたことを正当にとらえることなく、画策された情報で一般社会を強引に納得させようとした事件であるといえよう。
ESねつ造説を画策した学者たちは、今も、画策の維持にがんばっているようだ。
“けるびなあかでみー“のスタンスは、論文に基づく科学的理解ができない人たちが作製したものである。
そうしたモチベーションや資金はどこから来るのであろうか?
“けるびなあかでみー“の解説者うぷ主さんは、論文に書いてあっても、一般情報を優先して、”書いていない”と言い張る。
小保方氏が、正当なることを言っても、”正当でない”と言い張る。
“けるびなあかでみー“は、小保方氏の言い分を全て、”デタラメ、間違い、嘘つき、無能、非常識、社会的失格者”、と言い張る。
それなのに、“けるびなあかでみー“さんは、「私は専門家でない」と、議論を最初から避けている。
“けるびなあかでみー“さんの主張で、一番大事なのは、上記の最後のスタンスだ。
つまり、“けるびなあかでみー“さんは、自身の無知、無能を自覚していると想像できる。
しかし、そんなレベルの人が、STAP事件の考察、小保方論評をしても、正しい情報発信をすることはできない。
残念ながら、“けるびなあかでみー“さんには、自らの能力の自覚に欠けている。
結局、うぷ主さんのようなESねつ造を信じる一般人というのは、皆、自覚能力に欠ける人たちであるということだ、
とはいうものの、“けるびなあかでみー“さんは、議論に耐えない状態の自分自身をある程度に知ってるのは、救いだ。
ところが、そこすら、自覚できない人が、ため息ブログメンバーにいる。
ため息ブログメンバーは、“けるびなあかでみー“さん同様に、自らは専門家でないと、少しは無知を自覚しているようだ。
しかし、口でそういうだけで、ため息ブログメンバーには、専門家気取りを人たちばかりである。
ため息ブログメンバーがやっていることは、STAP細胞関連論文を正当に読まないまま、デタラメ解釈を拡散する行為である。
正当に読まないため息ブログメンバーは、学とみ子が書く内容への全面否定作業に挑んでくる。
ため息ブログメンバーは、学とみ子を根幹から否定する。
学とみ子を、デタラメ、間違い、嘘つき、無能、非常識、社会的失格者呼ばわりする。
ブログの世界は、実態の伴わない仮想空間であるから、デタラメ主張も可能であり、言ったもの勝ちの世界である。
ため息ブログメンバーは、そうした仮想空間の中で、水を得た魚のように嬉々として、学とみ子バッシングをしている。
ため息ブログメンバーが、学とみ子を否定する活動は、彼らが好きでやっているのであるが、ブログ世界には、第三者である読者たちがいる。
ため息ブログメンバーは、自身の価値観と周りしか見えない人たちであるから、別の評価をしている第三の読者の存在を考える力はない。
個人の思いを書くブログの世界では、他人の無知や間違いをいちいち、口に出すようなことをしない。
ため息ブログメンバーは、そうした第三者の視点を見ることができない人たちだ。
ため息ブログメンバーがどんなに頑張っても、彼らに騙される人はごく一部の人だろう。
ため息ブログメンバーは、文章を書けば書くほどに、メンバー自身の思いこみや能力の限界を晒している。
彼らは、新しい知識を理解しようとする努力を欠く人たちである。
自分自身の持ち合わせる知識と情報だけで、他者と対峙してしまう。
知識の限界を自覚することなく、反論していくことが平気な人たちである。
これは、次々と新しいことを学ばなければならない、科学者や医療関係者にとっては、致命的欠陥である。
STAP細胞を理解することは、とにかく先端科学の知識を必要とする。
ところが、ESねつ造説は、ねつ造犯がいて、架空のSTAP細胞を作り上げたとする考え方であり、この説を信じる人には、先端科学の知識は必要が無い。
ESねつ造事件にしてしまえば、「STAP細胞はどのようなタイプの細胞か?」を考える時に必要となる高度な知識はいらない。
マスコミの説明のままを理解すればよいのである。
それを信じているのが、“けるびなあかでみー“さんであり、細胞に関する知識はこれっぽちもでてこない。
自らが無能であるとか、能力の限界を悟らないまま、マスコミの作ったストリーを理解しているうぷ主さんはハッピーである。
STAP細胞の科学に不十分な理解でも、自らは知識人であると思いこんでしまう人がいる。
そうした人がため息ブログに集うのである。
しかし、現実の社会では、こうした単純な人はむしろ少なく、一般の人たちは、うぷ主さんとは違っていた。
細胞科学を知らない一般人ても、事件の真相はマスコミ説明とは違うであろうことを予想できるのである。
ため息ブログメンバーは、そうした一般人の一般思考を想定することができない。
恐らく、ため息ブログメンバーは、自身が優秀な人間であると思いこんでしまう性癖の人であるからだろう。
中途半端な科学理解はする一方で、周りを見渡す能力が低い、いわゆる社会的処理能力が低い人たちって、いるのではないのかな?
注意しなければならないのは、一般的に知識人と言われる人の中に、こうした社会的知能指数が低い人がいる事だろう。
こうした人たちは、概して、自信家であり、自らの無能を悟ることができない。
自身は、優れた人間であると信じているが、競争には負けていく。結果、やたら、他人をけなすことに抵抗が無くなる人がいる。
こうしたタイプの人は、相手のレベルを推し量る能力が無いのだと思う。
なぜ、そういうタイプの人ができあがるのかを考えることは、なかなか、興味深い。
どのような生育環境、職種環境があると、そういうタイプの人間が出来上がのか?を考えるのである。
そうした人たちのそれまでの”人となり”を想像することは、なかなか、興味深いものである。
ため息さん、Otakeさんの言動は、学とみ子にいろいろな思いを搔き立てる。
恵まれた教育環境に育ち、ある程度の学力は達成できるが、相手の気持ちや思考を想像する能力が低い人はいるだろう。
それでも、幸運に恵まれ、周りのサポートがあれば、そこそこの職種につく。
結局、そこでも社会を学ばないままで、人生を送ることになる。
一方で、恵まれた教育環境でなく、勉強のモチベーションが無くても、頭の良い人はいる。
そうした人が、低学歴や悪い職場環境による社会差別を経験すると、そこから、多くを学び、自分自身を変えていくだろう。
全く未知の世界の知識をどんどん吸収できる能力は、限られた人しか持たない。
全く未知の世界で、新規の知識をどんどん吸収できる人は秀才である。
そうした人は、たとえ、自身の専門外でも、知識を獲得していくことができる。
離れた学術分野において、専門家同士で共同研究などを可能にできる科学者は、お互いに優れていることが条件だ。
優秀な研究者というのは、皆、そうした人たちである。
ところが、それよりランクダウンする人は、自らの能力に限界を感じたり、落ち込んだりする。
新知識獲得へと進めない自分自身を自覚することで、立ち上がれ無い人もいるだろう。
しかし、一方で、”できない自分自身”を自覚できない人たちがいる。
あるいは、”できない自分自身”を自覚したくない人たちがいる。
そうした人は、酸っぱいブドウのような思考回路にはまっていくのではないのかな?
さらに、自身が理解できないことにぶち当たる経験を繰り返すうちに、だんだん、”間違っているのは相手だ!”との思考回路にすりかわってしまう思考になってしまう人がいるのではないかな?
つまり、自身の能力を棚にあげて、他人を批判ばかりを始めるようになるのである。
その結果、「自分は有能、相手は無能である」と、信じて疑わなくなるのである。
ため息さんや、Otakeさんの、学とみ子に対する侮辱文を読んでいると、そうしたことを考えざるを得ない。
ため息さんです。
>
では丹羽氏論文のどの「英文として理解が難しい部分」に丹羽氏は「多能性細胞の出現」を達成できたと書いてあるのだろうか?どこに書いてあるのかを示すのが反論でしょう。しかし、そのようなことは書かないで「ため息の読めない難しい英文に書いてある」というわけです。書いてあるところを示すことができないから、当方を貶める発言しかできないわけです。丹羽論には、肝細胞をATP浴したら、初期化蛋白を合成したということが書かれている。
学とみ子の説明はすでに終わっている。
ところが、ため息さんは、そんなことは書いていないと主張する。
「そこを学者が否定するのか?!」と、学とみ子にとっては驚きでしかないが、ため息さんはそう主張したがっている。
所詮、ため息主張とは、わかる人がターゲットでなく、わからない人のみをターゲットにしたものだ。
一般人でも、学とみ子が今までに行ってきた丹羽論文の説明を読んで理解できる人はいる。
こうした人であれば、上記のため息主張はトンデモインチキ文章であることがわかる。
もはや、ため息主張は、まともに理解できる人をターゲットにしているわけではないこともわかる。
ため息さんは、論文に書かれたものを、無い!無い!と、書き続けてマインドコントロールしようとしている。
無いんだ!と騒げば、そう理解してしまう人だけが、ため息さんのターゲットなのだろう。
ずいぶんと他人をバカにした言動だと思うが、虚勢で生きるため息さんにとっては、何の抵抗もなく実行できる言動なのだろう。
oTakeさんも、似たような主張の人だ。
>科学上の基礎知識がないのは、学とみ子氏や一言居士らだよ。だから、まともな研究者・技術者から全くと言っていいほど相手にされていない。挙げ句の果てに、学とみ子氏に対しては、『医師だというが、本当に医師かね?』という始末だ。そんな状況だから、学とみ子氏が本当に医師であることを示す為に、“本名によって医師登録確認がなされる“事態になっているのが分からないのかね(-_-)
>そもそも、学とみ子氏は医療・医学科学に於ける科学性を何やら勘違いした医師だ。その科学とはどういうものを指すのか、論理とはどういうものかが、まるで出鱈目なのですよ。
私は“理学”が専門なので、ガチガチの科学的思考をするんですよ。学とみ子氏の嘘・出鱈目を見ていると気持ち悪くて仕方がない。そして、学とみ子には、論理性の無さを多くの人から指摘されているのが分からないのかね(-_-)研究者・技術者から全くと言っていいほど相手にされないのは当たり前なんですよ。そして、どういうわけか、陰謀論やオカルトを信じる人たちが反応する(笑)
因みに私は研究者・技術者に相手にされないなんて、ほとんど無いんですけどね。
>“けるびなあかでみー“さんは、基本的に文系研究者で“自然科学“に関しては論じないと前置きがあるわけで、その上で手記『あの日』の内容には明らかにおかしな嘘や出鱈目があるという話をしています。そのような方(“けるびなあかでみー“さん)が原著論文を読んでないと言って文句を言っている方が“おバカ”なんですよ。
>小保方氏には自然科学を議論する前におかしい内容が沢山あるのですよ。因みに学とみ子氏は“人に論文読めていない“と言えるほど論文を読めてもいないし、基礎知識も無い。最近、アレルギーだのなんだの記事をアップして、何やらアピールしたかったみたいですが、ただただ失笑するのみ。
上記文章を読んで、Otakeさんは問題文章を書く人であると感じる人は、当ブログの読者にいる。
そもそも、自身自身で、「私は優れている」なんて宣言する人を、誰も信用しない。
>私は“理学”が専門なので、ガチガチの科学的思考をするんですよ。学とみ子氏の嘘・出鱈目を見ていると気持ち悪くて仕方がない。Otakeさんが、ガチガチの科学的思考をしてるわけないじゃないか?
科学的思考の人かどうかを判断するのは、周りの人であって、Otakeさん自身ではない。
学とみ子がOtakeさんを見当はずれだと思うんだから、他の人も思うはずです。
そもそも、ESのSNPの議論をしている時に、Otakeさんは、商業用細胞の品質管理の話につなげてしまうこともトンデモだ。
Otakeさんとのやり取りは、「どうしてそこへ行く!?」という展開になってしまうのだ。
それなのに、本人は科学的議論をしてつもりになっている。
Otake思考が見当はずれな事に、Otake自身で気付くことができないのだ。
Otakeさんです。
>因みに私は研究者・技術者に相手にされないなんて、ほとんど無いんですけどね。医療機関に努める常識ある人は、保健所の言い分に逆らわない。保健所は医療の専門家ではないが、面倒なことにならないように、医療機関側は気を遣う。
Otakeさんの勤める会社は、何らかの政府の管理下にあるようだ。こういうところのスタッフに対しては、研究者は気を遣うのだろう。
つまり、恐らく、研究者たちは、Otakeさんに遠慮しているんでしょうね。
学生が教授に遠慮するのと同じように、嫌がらせを受けたら困ると思う側は、おとなしくしているものだ。
ため息さんやOtakeさんのように、そんな立場の職業についていると、自分自身の実力を超えて、優秀な人間であると錯覚しちゃうんじゃないのかな?
これが臨床現場なら、あの医者(Otake)は、変わった考えをして要注意だから、行動に気をつけろ!となるタイプの人だと思う。
学とみ子の書いた内容の何も理解できないから、Otakeさんには、嘘・出鱈目に思えてしまうのです。
しかるべき知識を持つ人は、こんなOtakeさんを評価しないことを、Otakeさんは予想しないのである。
本物の科学者は、Otakeさんを仕事仲間と思っていても、科学的議論ができる相手であるとは思っていない。
そうした科学者が、Otakeさんをどのような人として扱っているのかは、Otakeさんは想像しない。
>論理性の無さを多くの人から指摘されているのが分からないのかねと、Otakeさんは言っているが、学とみ子を否定できる科学者はいない。今までもそうした人は現れてきていない。
学とみ子は、知らないことを知ったかぶりをしたりしないし、いつも自然体だ。
間違ったことに気付けば直すし、背伸びなど必要としない。
あのLさんだって、何も具体的に学とみ子の間違いを指摘していたわけでもない。
Lさんは、総論的な学とみ子否定だけを残して消えてしまった人である。
>
最近、アレルギーだのなんだの記事をアップして、何やらアピールしたかったみたいですが、ただただ失笑するのみ。学とみ子の書いているアレルギー疾患のトッピクスなどは、理解できる人にとっては、何も抵抗もない話である。
これをおかしな話だと、Otakeさんが強調すればするほど、Otakeさんの素人ぶりがバレるだけだ。
アレルギー疾患に興味無い人にとっては、元々、こうした専門的な事には入り込んでこない。
アレルギー疾患に興味無い人は、「学とみ子と議論したい人は、それなりのアレルギー知識を持った人であろうから、私は遠慮しておこう」と、考えるのだ。
これが常識人の反応である。
ところが、Otakeさんには、常識的な歯止めが利かない。
当ブログに書かれたアレルギーの説明について、Otakeさんは、「デタラメに違いない!」と思ってしまって、デタラメと断言してしまうのである。
要するに、Otakeさんは、当ブログに書かれている内容の何も理解できずとも、平気でデタラメ呼ばわりができていまうのである。
Otakeさんは、学とみ子説明の正誤もしらず、失笑してしまうような人なのである。
こうした言動ができるということは、Otakeさんは、ハッピーな人生を送ってきた人であるからなのだと思う。
今まで、Otakeさんと議論しても、学とみ子は、とまどう事ばかりだった。
「それ、関係無いでしょう?どうして、そういう話になるの?」
「どうして、そこの基本を押さえていないの?」と、学とみ子はOtakeさんに感じた。
学とみ子は、ため息さん、Otakeさんキャラに遭遇して、人間理解が少し進んだと感じる。
虚勢タイプの人への理解が進んだ!と、感じることができる。
そして、なぜ、虚勢タイプの人たちがいるのか?に、学とみ子の想像がつながっていく。
学とみ子は、侮辱される経験をくりかえしているので、なぜ、こうした理不尽な攻撃をする人がいるのか?を、学とみ子自身で、いろいろと考えることになるのである。
自身に対する過剰な自信と虚勢を持ち続ける人たちは、学とみ子には興味深い。
そうした人たちの能力や、生い立ちや社会経験についての学とみ子の想像が膨らむのである。
つまり、ため息ブログメンバーは、STAP事件考察を向上させるために必要ないろいろなヒントを、学とみ子に思い付かせてくれる上で、とても有用な人たちなのである。
ため息さん、いまさら、バカ丸出しの発言はお止めなさいな。
>
学とみ子は:「丹羽氏は、若山氏がSTAP論文を否定した時、すぐに、ES並みSTAP細胞は無いことを察したであろう。」と書いているのに、同じ記事で、平気で「小保方氏が達成した多能性細胞の出現は、丹羽氏実験が達成できている。初期化たんぱく質合成がおきるSTAP細胞は、丹羽氏も作れた」 と書く学とみ子の頭の構造が理解できない。
①小保方氏によるSTAP細胞の作製と、②ES並みSTAP細胞の作製は、意味が全く違うものなのよ。
ため息さんは、あえて、この違いをとぼけることで、ごまかそうとしています。
ため息さんは、学とみ子との長いスパンのバトルを通じて、素人だましには、何処をごまかせばよいのかを、ため息さんは十分に学びました。
理研の再現実験で結論されたものは、②ES並みSTAP細胞の作製であって、若山氏の研究成果を追試したものです。
だからこその、”再現実験失敗”の結論です。
論文発表前から、理研の上層部、専門家たちは、①の成功は見ているんですよ。
小保方氏が理研に残っているのだから、いくらでも小保方パートの再現実験はできます。
理研の再現実験チームが見ていない実験は、若山氏による実験内容です。
だから、そこの再現を試みて、失敗したと結論したのです。
①は成功しているから、②の実験に進んだんです。
再現実験チームは、再現実験前から、①のパートは成功していることを、知っているのです。
何のコメントもせず、当ブログを読みにくる人がいる。
恐らく、実際にSTAP事件に遭遇して、ひどい目にあった人たちもいて、こうした人も当ブログを読みにくるのではないかな?
学とみ子の想像では、ため息さんやOtakeさんが、どこまで学とみ子に嫌がらせをして、実生活への嫌がらせに及ぼうとするのかを、無言の傍観者たちは、注意深く観察しているのではないかな?
ため息さんが悪あがきをしている。
>「小保方氏が達成した多能性細胞の出現は、丹羽氏実験が達成できている。」と平気で発言する。最初の文節の多能性細胞には、”小保方氏が達成した”の限定句がつく。これは、学とみ子の理解だ。
ため息さんのように勉強のできない人に、学とみ子は影響されることはないのよ、残念でしょうね。
だから、いくら、ため息さんが言っても無駄なのよ。
ため息さんが定義するSTAP細胞は、学とみ子の定義するSTAP細胞と違っていて良いのよ。
どちらの見解を正当とするのは、読者たちが決めることで、ため息さんではない。
以下のため息さんの文章も、勉強ができない子が書いた文章のようですね。
>ATP漬けにした肝細胞に多能性関連タンパクが発現した細胞がある場合があるといっているが、遺伝子は発現するもの、蛋白は合成するものと、しっかり区別して書きましょうね。一応、教授なんだからね。
ちゃんと、丹羽論文読んでいるの?ため息さんの使っている翻訳ソフトは、そんな風に書いてあるの?
ちなみに、丹羽論文では、遺伝子発現もしたし、蛋白合成も確認していてますよ。
もし、翻訳ソフトがうまく訳してくれない時は、こちらの学とみ子の説明が正しいから、参考にしてね。
でも、今度の投げかけは大成功でした。
ため息さんも、遺伝子発現と蛋白合成を認めたからね。
これで、うぷ主さんも、再現実験失敗宣言の中身について、勉強することができたわね。
「デタラメを書くのもいいかんげんにしなさい。」と、ため息さんは、語気を荒げました。
ため息さんが反応したのは、以下の学とみ子文章です。
>>理研の再現実験で結論されたものは、②ES並みSTAP細胞の作製であって、若山氏の研究成果を追試したものです。だからこその、”再現実験失敗”の結論です。
こういう反応を見ると、ため息さんはどういうスタンスの人なのかが良くわかります。
上記は、正当論ですね。相澤、丹羽、竹市氏が目指した検証実験の目的となるものです。
彼らは、すでに小保方パートは、再現可能であることを知っている人たちです。
相澤、丹羽氏と共に、検証実験に参加した研究者たちも、自らの責務について、十分に理解しています。
そうでなければ、研究者たちは、こうした学術的チャレンジに参加したりしません。
そもそも、ため息さんも、oTakeさんも、STAP細胞の"定義"を、固定させて考えている。どう定義しようと、自由ですから。何言ったって良いです。
>多能性Pが証明されてないからSTAP細胞ではないのだ。
そういう考えでいるなら、そうひろめていけばいいだけの話です。
今回もメチャクチャです。まずは、ため息さんは、論文に書いて無いと言い、次は、その多能性ではダメだと言う。くるくる変えてしまう。
新規細胞は未知そのものです。若山氏が作ったES並み多能性細胞は、若山氏本人が否定した時、存在が無くなり、検証実験で無いを証明しました。若山氏が、検証実験不参加であったことも、無い!の証明のひとつです。こんなことは一般人でもわかります。元講談社の文系山田五郎さんだって、理解してます。
研究者というのは、自身の実験に関する事実は、いくらでもコントロールできます。間違いとわかったら繰り返しませんし、チャレンジしたければするし、チャレンジしても意味ないと思えばしません。みんな自由人です。
検証実験で大事なのは、CDB上層部による検証実験は、ES並み多能性が無いことを示すことが目的であり、その考えに理研内の複数の研究者が支持したという事実です。つまり、研究者たちがES捏造の証拠を握っていたら、検証実験は具体化しません。理研内には、ES捏造の証拠なる事実は、無いのです。
キメラができた時、専門家たちは、その画期的結果から、従来の知識とは異なる細胞機能をあれこれ想像しました。しかし、若山氏が論文撤回を呼び掛けた時、その機序は無くなったのです。笹井氏が仮説になったと言ったのは、そういう意味です。
この笹井発言をもって、"捏造ありき"ととった人は、いろいろいました。"ES捏造にしておけば都合が良い"と考える学者たちが、三流学者と一般人の誤解をどんどん煽っていったのです。
ため息さんです。
>桂調査委員会報告書が発表されて「ES捏造」だったら説明ができると考えた学者がほとんどですが、
ほとんどの学者が、捏造だと言ってるとの証拠を出せるの?
世間を納得させたいなら、捏造行為に繋がる証拠を出したら良いでしょうよ。そんなものはひとつも示せず、印象操作だけでは、世間は納得しません。
ため息さんの周りの非専門家だって、そんな風に考えません。学術界の人で、証拠無く捏造呼ばわりができたら、科学人として問題あり。
学術界に属する誰もが、STAP事件を封印して語りたくないのです。冤罪だったら、学術界は、謝罪しなければならなくなりますから。
oTakeさんが、したらばへのコメント漏洩事件を無視しているのと同じ状況です。
ES捏造の証拠を示せるはずの若山研究室が沈黙しているのだから、世間の人は、捏造の有無については謎であると知るのです。
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