乙武洋匡氏と薮本雅子さんとのトーク講演会に行きました。
乙武氏の張りのある声、生き生きとした言い回し、表現のおもしろさ、多彩で多様な言葉づかいなど、知的な展開が続き、多くの聴衆を魅了しました。彼は落語が好きとのことで、落語と似た歯切れのよい本音の物言いが、随所にちりばめられていました。
とにかく、彼は、身体的弱点をすなおに表現し、周囲の人の共感を得ながら、多くの人に希望ある生き方を示しました。
いくつか、印象に残ったことを書きます。
彼は、学校を卒業するまで、かわいそうな子どもとして見られることがあったそうです。“五体不満足”を書いた理由は、彼自身はかわいそうな子どもではないと、世に伝えたかったそうです。
彼は、3年の期限付き任期の小学校の担任を経験しました。その時のエピソードです。彼は、この時の経験をもとに、だいじょうぶ3組という本を書きました。
小学生の低学年の生徒は、手足のない先生がどのように牛乳を飲むのか、興味深くみつめるそうす。実際に、彼は講演会の舞台の上で、飲み方を披露しました。ところが子供たちが上級生になると、苦労して牛乳を飲む先生の様子を直視しなくなります。相手の弱点を傷つけないよう、人は他人に配慮しなければいけないことを自然に身につけていきます。しかし、同情は、相手にとって心地よいとは限らず、行き過ぎた配慮は、逆に相手を傷つけます。結局、人は、皆と同じく扱われることが、一番安心するものです。普段、親しくしている友達が、「乙武はゴルフやる?」と聞いたそうです。初めて聞いた人には、ドキッとしてしまいますが、この友達は、乙武氏の障害を全く忘れていたのです。日常つきあっていると、相手のハンディはみえなくなるわけです。これが“慣れる”ということだそうです。障害者には、周りの人が“慣れる”ということが大事であり、そうすることで障害のある人も、障害を忘れて暮らせるようになります。
水が恐くて仕方ない男児がいました。乙武先生は、その生徒に水に顔をつける練習をがんばらせるために、自らも5m泳げるようにがんばると約束します。手足のない乙武先生にとって、水の中で、おぼれずに前にすすむということは至難なわざです。乙武先生は溺れることを覚悟にチャレンジしました。そうすると、その生徒自身も、顔をつける練習のチャレンジを始めたそうです。そして、乙武先生が担任をはずれてから、しばらく後、その生徒が25m泳ぐことをめざすと、後任の担当に話したそうです。乙武先生は、水の中の自分自身を、丸太ン棒と表現しました。少しでも力がかかると、ぐりんと回転してしまうそうです。そんな困難な努力を、乙武先生がしている様子は、生徒の心に大きなインパクトを与えたことでしょう。
最初から、能力の限界を感じて何もしなければ、何もできない。結果はだめでも、とにかくチャレンジしなければならないと乙武氏は語りました。特に子どもは、そうした応援は必要であると言いました。一番をめざさなくても、君は君でいいという歌詞を引き合いに出し、子どもの教育の現場では、一番をめざすように後ろを押しても良いのではないかと話しました。今の学校は、杞憂の場であり、低い確率でも危険があることは、避けていく姿勢であり、又、教育指導は、横並び主義で、担任の裁量権は限られる傾向にあるとも話しました。今の教育の現場では、まれに起こる危険の確率でも、それが起きないよう対策が立てられる傾向が強くあるようです。こうした危険回避に向けて、上部機関と相互に確認し合うため(ほうれんそうと呼ぶ)、先生たちは、膨大な書類つくりに時間をとられているそうです。
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