ことしのノーベル生理学・医学賞は、新型コロナウイルスのmRNAワクチンに関連して、ハンガリー出身のカタリン・カリコ氏ら2人が選ばれました。
PBSニュースで、カタリン・カリコ氏の単独インタビューがありました。
インタビューワーが「お祝いしましたか?」と聞いたら、カタリン・カリコ氏が「もう忙しくて疲れた・・・」と返したところ、インタビューワーの質問はさらに続き、「シャンパン一杯のお祝いも無かったの?」となりました。
これに対し、カタリン・カリコ氏は、「まあ、ハンガリーワインは飲みましたよ」と答え、インタビューワーは、うれしそうに「エクセレント!エクセレント!」と言いました。
お互い、自然体で温かみがあるやりとりで、プロとプロのかけあいという感じでしたね。
一流の人たちは、素直な反応がピリッとしており、虚勢しませね。
メッセンジャーRNAがまだ、海のもの山のものともつかない時点で、カタリン・カリコ氏は、研究を始め、マウスで予防効果があることを確認し、人間にも使えるということを確信したそうです。
さらに、PBSニュースでは、女性の研究者の職場での窮状が話題になっていました。
研究界は、とても競争が激しいので、子育て、育児を含め女性には不利がことが多いと、カリコ氏はさりげなく言ってしました。
彼女は、お金を子供のテディベアに隠して、米国へ移民したみたいです。
しかし、家庭か、職業かを選ぶの問題ではないと言っていました。
最高教育を受けた娘さんの写真が画面に出て、オリンピック選手になったりもして、娘は立派に成長してくれたと、カリコ氏は話していました。
カリコ氏は、女性研究者にとって、パートナーは、「ライトガイ」でなければだめだと言っていました。
この「ライトガイ」なる語の登場で、インタビューワーと楽しく笑い合っていました。
女性の進出が進む米国でもこうした状況ですから、日本の研究者はまだまだという感じです。
PBSニュースでも紹介されていますが、カリコ氏は、"Breaking Through: My Life in Science."という自伝を書きました。
かなり詳しく日本語でも、研究者としての苦労が
ウイキペデアに書かれています。
その研究界における女性軽視のシンボル的事件がSTAP論文事件でした。
学とみ子もこの事件を考察してきましたが、学とみ子主張に対しても男性どもの理不尽な攻撃が激しいです。
勉強していない人が攻撃してくるのです。
ため息さんは、学者の肩書がありながら、本人はSTAP論文を熟読していません。
彼らが、素人を利用し偏向情報をばらまく姿を当ブログで公開しておくのも、ある意味で有用であると思っています。
ため息ブログには、最初、女性たちもいましたが、今は、脱落しています。
STAP論文を読めているんだと豪語する人もいましたが、”読めている人”であるなら、もっと反論できるはずです。
しかし、女性は、「学とみ子は無能な奴」と見なし、討論しないスタイルを取ります。
自らの知識を知らしめる努力を続ける女性がいませんね。
「正当なる主張なのに、学とみ子は理解していないから無駄だ!」として、女性たちは議論から去っていきます。
学とみ子が間違いであるというなら、自論の正当性を書き続ける強さが女性にないとダメですね。
学とみ子の間違っているとする論理を、ため息ブログに書き続ければ良いと思います。
つまり、女性は、「あきれた!もう無駄だわ!」のスタイルを取って、議論しないでため息さんの後ろに隠れてしまいます。
「本当は私が正しいのよ!」と主張し続ければよいと思います。
匿名一般女性からのコメントであっても、その論理が破綻していれば、ため息さんの失点になるのですから、女性たちは遠慮するのかもしれません。
つまり、自身の限界を感じても、主張し続けるという女性は少ないのだろうと思います。
一方、エネルギッシュな男性は、あくまで虚勢し、あくまで学とみ子を貶めようとしますね。
ため息ブログの男性陣は、皆、そうした人たちです。
科学のデタラメ解釈も全く気にしません。
議論に行き詰まれば、あとは言葉の暴力に移行させます。
虚勢と自己自慢を混ぜこみ、理論の破綻をごまかし続ける選択肢をとるようです。
ため息レベルにいるような男性たちは、男性側からの女性への攻撃を止めることはしません。
この違いは、男女の攻撃性は、本質的な差があるのかもしれませんね。
しかし、執拗で、自分自身を顧みない男性の攻撃性は、女性が戦う相手ではないということです。
虚勢の無い別のまともな男性を求めた方が早いのです。
それこそ上記で出てきた”ライトガイ”を求めるということです。
執拗で自身を顧みれない男性の攻撃性は、女性が戦う相手でなく、虚勢の無い別の”ライトガイ”求めた方が早いのです。
前回ブログ記事で、”当ブログは、今後、かっぱえびせんを提供しない”と書きましたが、ため息ブログ向けには販売しないという意味で書きました。
そしたら、彼らの悪口も止まりました。
ため息ブログは、当ブログへの攻撃を軽いお遊びだとみせかけるために、学とみ子を”かっぱえびせん”扱いをします。
学とみ子に、いろいろ言わせないと頑張るのが、ため息ブログの役目であると確認できました。
具体的には、当ブログは、彼らのかっぱえびせんと称するコメントを引用しません。
ES捏造説維持の目的集団である彼らにとっては、科学の正当性より、科学界における自分自身のポストの方が大事なんです。
だから、小保方氏の全責任にしておきたいのです。学術仲間を保護して、持ちつ持たれつの忖度関係にしたいのです。
桂調査委員会にも、その影響力が及んでいたのでしょう。
最初にES捏造の疑惑を持ち出したのは、理研内の学術層であったことは大事であり、そこが事件の特異性です。
理研内において、ある学術者は、本気でES捏造を疑い、ある人はその不可能性を知っていて、あえて、仲間やマスコミに偏向した情報を伝えたと思います。
特に、小保方疑惑を信じさせるために、ES捏造画策者は、「酸浴後7日以内に小保方氏はESを使って捏造した」とのストリー作りをしました。
専門家一部は、このストリーを意識的に広め、7日内ES混入説は、桂報告書まで維持されました。
専門家一部から話題性の高いES捏造説をもらったマスコミは、狂喜してこれを受け入れ、紙面の一面でとりあげ、一気に小保方疑惑が広まりました。
マスコミは、プロが作った小保方ES捏造説に反論できるような知識はありませんから、仕方ないことでもありました。
科学を冒涜したとされた女性研究者の人権が否定されました。
ねつ造者として扱われ、監視体制での実験が実行されました。
そして、すったもんだしたあげく、最後の理研の判断は、小保方疑惑の印象操作で終わらせたということです。
その主な理由は、理研内での権力抗争を表ざたにしたくない国の意向と、科学界から犠牲者を出したくないとの調査委員の判断であったと思います。
こうして、理研はあえて小保方疑惑の印象操作をしたものの、小保方氏が科学的に反発できる道も残しました。
しかし、小保方氏はその反発のための行動を起こさなかったということです。
不服申し立てをしなかった小保方氏は、その後に、「あの日」を執筆し、そこに、小保方氏が公開しても良いと考えた事実だけを「あの日」に書きました。
そして、小保方氏は、出版を契機に、日本の世論がES捏造説一色にはなっていないことを確認しました。
小保方氏にとっては、それで十分報われたと判断したのではないでしょうか?
小保方自身を含め、二度と事件による犠牲者を出してはならぬとの思いだったでしょう。
情報の世の中ですから、一般人もSTAP論文を学べば、理解を深めると期待したのですが、少なくても、ため息ブログをみる限り、一般人がSTAP論文の理解を進める事が難しそうだということがわかりました。
やはり、STAP論文を読めるレベルの専門者は少なく、非専門家が、一般人のデタラメ理解を擁護するので、一般人が正しい道を歩めないということのようです。
今まで、長い間、学とみ子は、ため息ブログコメントを引用して、個々の間違いを指摘する作業をしてきましたが、全く、無駄でしたね。
彼らはそれを理解する能力も、反論する能力も無かったのです。
ため息ブログの彼らにできることは、学とみ子に対する低レベルの悪口と嫌がらせでした。
ため息さんは、最初から、学者仲間の擁護のための活動だから、学とみ子が何を言っても無駄なことはわかっていました。
一般人には少し、学とみ子は期待をしていました。
一般人がSTAP論文の理解を深めるにつれ、一般人でもES捏造説の問題点に気付いて、ため息ブログ内で議論が煮詰まる状態を期待しました。しかし、そのような展開になることもありませんでした。
もっとも、ため息ブログの限界に気付いた一般人は、とうにため息ブログを去っているでしょう。
ため息ブログの一般人は、マスコミ説明をそのまま、10年間維持して信じたままなのですね。
マスコミの人たちが理解したレベルに、一般人の理解レベルも留まるということです。
マスコミが気付けない問題点には、一般人も気づけないということです。
マスコミが気付けなかった問題点を指摘する専門家たちは、今まで一人として現れなかったです。
専門家は、STAP擁護論を意識的に避けていることが、STAP事件の一番の問題点ですね。
どの人が専門家として正当な主張なのかがわからないボッーした一般人は、勉強もせず、専門知識も持たないため息さんの虚勢にだまされてしまいます。
ESコンタミは、実験者が気付かずして起きるとの実験上のリスクも、専門家は、一切口に出そうとしません。
せいぜいあるのは、河本研究室が指摘した、
ESコンタミについての川柳だけです。
2005年度 三千里 たずねた母は ESセル 世界で再現実験したけど、成功しなかったのは、小保方ES捏造の証拠だとの思い込みがES捏造説の一般人にあります。
成功しない実験の成果などには、何の意味もありません。
小保方氏は、他人に配慮したため、小保方自身の弁明が中途半端になっています。
擁護派であれば、すぐ気づくことではありますが、小保方ES捏造論者はこうした考え方をしません。
ES捏造論者は、小保方氏は、ES捏造をごまかすためにいろいろ策略をした証拠だとの理解になってしまいます。
そして、小保方氏がTS混入したサンプルをGRASに満ち込んでしまったことをもって、ES捏造論者は、動かぬ証拠だとするのです。
小保方氏が持ち込んだ、チップセック実験のサンプルがESパターンであった調査結果をもって、ES捏造論者は、動かぬ証拠だとするのです。
小保方氏が積極的に自身を弁明しないのは、他者への配慮であり、一方、桂調査委員会は、実験の経緯を解明できる立場にあったのにのも関わらず、事実を追及しませんでした。
STAP論文騒動は、科学界の暗い側面を感じさせる特異的な事件ですね。
小保方氏がすべてぶちまけてしまえば、大変なことになってしまうということは、気の利いた人であれば、容易に想定できます。
しかし、ES捏造説を信じるような単純思考の人はわからないようです。
こういう単純タイプの人は、もちろん、STAP論文を独学で一生懸命勉強する気はないのでしょう。
ただ、真面目にSTAP論文にアクセスしたい他人を、バカ呼ばわりするだけしかできないと思います。
一方、真面目な一般人であれば、ES捏造説の限界性にはすぐ気づきます。
科学とはかけ離れて、見せかけの専門家気分を楽しみたいだけの人が寄り合うブログ情報には寄り付きません。
まともな一般人であれば、STAP論文のどこが正しい事実であって、どこが問題記載なのかの区別を知りたいのです。
そのために、公開されている科学情報を探りに行って論文独学に励むと思います。
そして、ネットには、専門家によるフェアなSTAP論文評価など皆無であることがわかると思います。
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