100年経過したら、どこまで、喘息の診断や治療がすすんでいたのでしょうか?

ニューイングランドジャーナルオブメデシンNEJMは、最も権威ある医学雑誌とされていて、この雑誌にのった論文が医学の大事な方向づけとなることが、しばしばありました。

今回は、この中で、2012年3月の、少し変わった趣向で書かれた喘息に関する記事を紹介しましょう。
この記事は、NEJM創刊200年を記念して書かれているそうです。

最初に、この雑誌の生い立ちですが、1828年に、それまでの医学雑誌を統合して、ボストン医学外科学雑誌ができたそうです。それから、100年が経った1928年に、ニューイングランドジャーナルオブメデシンという雑誌名となりました。ですから、NEJMは200年記念なのです。
 
今から200年前、100年前、当時の医療レベルや医学の知識はどれほどだったのでしょうか?今回、ご紹介する記事は、喘息の35歳の女性患者さんを,、架空に設定し、この方の診断と治療が、この200年の間に、どのように変化したかを検証しています。
 
実際に、人は、原始の時代から、喘息に悩まされてきました。この間、動物や人がかかえる喘息と診断される病気の本態は、大きく変わってはいないはずでしょう。しかし、喘息ではなく、似たような症状の出る病気は、さまざまにありました。
そして、医学の進歩は、それぞれ異なる病気を鑑別して、それぞれの病気が起きる原因を明らかにしてきました。

では、喘息に関して、医学の進歩に帰する大きな認識の違いは何でしょうか?
 
喘息という病気を、他の病気が混じらないように診断して、喘息であれば効果のでる喘息治療をさがさないといけません。それを行うために、何が進歩したのでしょうか?つまり、喘息でないものを喘息と誤診したり、効果のない間違った治療をしないようにするために、時代と共に変わってきた喘息を診るためのポイントは何でしょうか?
 
喘息は、ヒューヒューして、息の苦しくなる病気ですが、似たような状態は、心臓の病気である心不全や、肺の血管の病気などでも出てきます。
 
肺の感染症では、感染症の影響で、肺や気管支の形が変化して、空気の流れを悪くなり、ヒューヒューして、息は苦しくなったりします。
 
結核などの肺の慢性感染症でも、人によっては、喘息類似の症状が起きます。症状としては、同じ様に見えていても、その原因となる病気は、様々にあるのです。そして、喘息と呼ばれる病気自体も、時代とともに原因因子が変化しています。
 
それでは、記事を覗いてみましょう。1828年、ボストンに移住してきた35歳の女性の喘息発作がおきています。彼女は、ヒューヒューが起きると、やかんの水を煮沸させて、その蒸気を吸い続けることで、ヒューヒュー1-2日で治まってくることが多かったようです。しかし、年に1-2回は、1週間位続くことがあり、ベットに伏した状態となっていました。

彼女のヒューヒューは、小児期よりあり、成人しても春と秋にこうした発作に悩まされていました。鼻炎や目のかゆみもありました。坂の上る時に、彼女の病気は悪くなりました。
 
彼女には4人の子どもがいましたが、妊娠中は、比較的発作は抑えられていました。4人のうち、2人の男児は、母と同じような発作がありましたが、年長児は軽快してきました。
 
1828年の医師は、彼女を診ました。脈拍は異常なく、肝臓が大きいとか、下肢がむくんでいるとかはなく、心臓のトラブルではなさそうと判断しました。
 
当時、この医師が、新しく購入した新式の聴診器は、彼女の呼吸のヒューヒューを捕らえました。1828年当時の医師は、以下のように評価しました。彼の診断名は、喘息と古草熱でした。そして治療として、彼女にdatura stramonium(ダチュラは、チョウセンアサガオ)と呼ばれる植物を燃やしてでる煙をすうことを勧めました。
 
当時、ヒューヒューして息が苦しくなる病気の原因として、多かったのは結核と心臓病でした。喘息とは異なるこの二つの病気を鑑別診断できるかが、当時の医師の腕のみせどころだったようです。当時、心臓の病気も多くありましたので、心臓の病気と、喘息を分けることが大事だったようです。また、蔓延していた結核によって気管支が狭窄してしまう病気との鑑別も大事だったようです。
 
しかし、喘息と診断されても、治療法は限られており、当時、有効な薬剤はなかったようです。そして、数少ない治療薬として、抗コリン作用を持つ、ダツュラの吸入が経験的に効果があることがわかっていたようです。もちろん、当時、抗コリンという考え方はありませんでした。鼻炎の原因も、目のかゆみの原因も、もちろん、わかりませんでした。
 
特殊な薬草に治療効果を期待する経験から、当時の人は、吸入療法に救いを求めました。そして、ヒューヒューした時は、習慣的に、やかんの蒸気を吸うという行為をしていました。
 
今では、蒸気は、気管支を縮ませるとの考えが確立しましたので、この治療法、今は、やられていませんね。
 
さて、この方が、もし、1928年になった時点で、喘息が発症していたら、当時の医師は、彼女の診断と治療を、どのように行ったでしょうか?
 
100年経過したら、どこまで、病気の診断や治療がすすんでいたのでしょうか?
次回、100年後の1928年に、喘息診断や治療は、どのように変化したかを書きます。続きをお楽しみに!
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