昔の人にとっては、尿がどのように作られるのかを解明するのは、難題だったのではないだろうか?

昔の人は、体のしくみがわからないことだらけの中で、病気の原因を考えてきた。
 
想像、推定、想定、予想と、あらゆる思考を働らかせて、病気の原因を探ろうとしたであろう。そうした時代でも、医者は必要だった。病気を診る人である医師は、当時も(今も)、人々から過剰な期待があったろうから、医者は、寝る間も惜しんで、あれこれと証拠を集め、病気の道筋を探したことであろう。
 
しかし、東洋医学の手法では、病気の原因解明は不可能で、その中で、派閥、学閥が乱立し、珍説、奇説も多く生まれた。
 
西洋医学は、科学的証拠さがしの手法をみつけ、努力と失敗を重ねて、体の臓器の働きや病気の解明に努めてきた。

西洋医学で明らかになった事実は、世界共通の真実となり、東洋医学にも組み入れられた。非科学的理論は、間違いとして、東洋医学や漢方薬の知識から消えていった。

今に残る東洋医学や漢方薬の考え方は、西洋医学の波にもまれながら残った知識である。
学閥、派閥にこだわる東洋医学は、科学的思考に後れをとってしまった。

西洋医学は科学として進歩し、漢方医学は、西洋医学の知識を取り入れざるを得なく、知識の改変を余儀なくされた。

東洋医学が西洋医学並みにすばらしい学問であり続けるためには、やむをえない選択であったろう。

しかし、まちがいとして消えた東洋医学の考え方には、興味深いものがある。
 
医学の珍説、奇説には、今や、否定された事実であっても、当時の人々が、真実を求めて思考錯誤してきた経過であることは確かである。
そうした、昔の人々の試行錯誤は、病気を考える上でも、現代人の興味を引く。
 
昔の人は、病気をどのように考えてきたのだろうか?そして人々の体や心は、どのように変化してきたのであろうか?漢方医学的な知識には、昔の人の病気に対する思いを感じ取ることができるような気がする。

鎖国が続いた江戸時代といえ、科学の基盤にたつ西洋医学的知識は、少しづつ日本に入ってきていた。
杉田玄白、前野良沢など、今に名前が残る名医たちは、たいへんな努力をして、人体解剖を行い、言語、医学知識を極めようとした。
彼らは、目で見る、手にとるなど、直接的感覚を研ぎ澄まして、臓器の機能を知ろうとしたであろう。
 
そうした西洋医学が入る前から、人々は経験的に体の働きを知っていた。ドキドキする場所が胸にあり、興奮すると胸のドキドキが強くなる経験は誰でも持つ。胸の心臓が血液を送り出す働きをしていることは、予測しやすかったであろう。
 
肛門から便が出てくること、口と腸とつながっていることを知れば、腸は、食物を変化させて便をつくる臓器であるとの考えにたどり着く。
 
しかし、昔の人にとっては、尿がどのように作られるのかを解明するのは、難題だったのではないだろうか?透明な液を尿としてつくる臓器はどこか?をさがすのは、むずかしかったようだ。
尿が、膀胱にたまることはどこまで理解していたの?尿管でつながる腎臓で作られるのか?それ以外の場所で作られるのかは、確かめることができなかった。
 
短命な昔の人は、加齢に伴い、腎臓が悪くなる人が多かった。そのため、加齢は、腎に現れ、腎を強くすることが抗加齢につながると考えられていたようだ。腎臓には、腎気がやどり、これが強い人は、抗加齢能力が高い人と考えられていた。
 
今では、血流とリンパ流の流れがあり、血管や細胞から水がしみだし、リンパ流として血流と別れ、また合流する循環のしくみがあることを、小学生の理科の時間に習う。しかし、昔の人には、こうした機能を考え出すことは、とても難しい課題だったと思う。
 
ここに、三焦と呼ばれる臓器の話が出てくる。以下の赤字はネット情報である。
 
辞書機能のネット情報によると、三焦(さんしょう)とは、漢方で、六腑(ろっぷ)の一。三つの熱源の意で、上焦は横隔膜より上部、中焦は上腹部、下焦はへそ以下にあり、体温を保つために絶えず熱を発生している器官とされる。

あるいは、別の説明によると、三焦は、伝統中国医学における六腑の一つで、大腸・胃・小腸・胆・膀胱は実体が理解できる腑であるが、三焦は、働きだけがあってカタチがないと記されているが実体はリンパ管であるとある。

三焦は、ネット情報によると、五臓六腑は違う実体のない臓器であるのだそうだ。ネット辞書では、三焦は、リンパ組織ではないか?と書かれていた。
 
三焦という言葉が使われた時代には、リンパ節もリンパ流も、その存在も機能も明らかでなかった。三焦がリンパ流を指すというのは、西洋医学から取り入れた知識である。
 
全く、医学の知識がない人にとっては、三焦がリンパ流をさすかもしれないとの発想は出てこない。
生きている人の体内で、血液とは異なり、水成分も流れるしくみは、昔は、知ることができなかった。
 
尿がどこで作られるかの答えとして、三焦が尿の生成にかかわるとの考えがあったようだ。
三焦は、体幹を大きく3部にわけて、上中下としたが、実質的でないあいまいな形の臓器を指しているために、そこで体内水が濾過されて、尿になるとかんがえたのかもしれない。
 
心臓の話しに戻るが、昔、心臓が、血液をくみ出すとの予想はついても、なぜ、ポンプ作用が壊れてしまうのかはわからなかった。
心臓が悪くなる理由として、包む膜がわるくなるからではないだろうかとの考えがあったようだ。

心臓をつつむ心包が機能しなくなるので、心不全になるとの説が通用していたらしい。昔、心臓を包む膜が大事と考えた人が、膜が弱ると、内部の心臓の働きが悪くなって、心不全となるのではないかと考えたのかもしれない。
 
どこにも真実を解明する手段がない時代、学派、学閥などは幅を利かせる。学派とは、似た考え方を共有する人たちが集まり、その中で通用する理論を作り上げるのである。
 
今や、心不全は、心臓の筋肉そのものの働きの低下、電気伝導の障害などにより起きてくることは、誰でも知っている。

そうした時代でも、漢方医学が高みにいるためには、漢方医学的に説明が求められる。そうした時、心包は、今いうところに心包ではない。それは、冠動脈をさしていると、説明をすればよいのである。
 
つまり、漢方医学のの腎に関しても同様に、漢方の腎は、今の腎臓のことを指すのではなく、もっと、大きな気をさすと言ってしまえばよいのである。

昔の人が、体でおこる現象や病気の、どこに悩み、何を解明しようとしていたかをさぐる糸口として、すり替え作業に注目してみるのはおもしろそうだ!
 
昔の医学は、声の大きな自信家の教祖が言えば、どんなに間違っていても、その人の言うとおりの理論になる時代だった。
 
学派ごとに代わる理論は、お花やお茶の流派と同じであるが、科学である医学は、理論はひとつをめざすものである。
 
昔の医者は、わからないことだらけの中で、病気を診てきた。しかし、どの時代でも、病気は診る専門家は、必要とされる。

この先、数十年先の医者は、今の医者の知識や技術を笑うかもしれない。
数十年先の医療がどのような様相になっているのかの予想は難しい。
むしろ、昔の医療や知識を探り、議論し合い、明日の病気を考えていく方が、今の私たちには、やさしいような気がする。
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