フロイド説では、「私は役立たずだ!生きている資格がない」と思う人は、その人の超自我が、「お前は役立たずだ!私(自我)を裏切ったな!」と、(超自我が)自我を責めます。

本日の読売新聞日曜版特集の[名言巡礼]に、以下の言葉が紹介されていました。

男はんちゅう男はんは、みんなあてらの敵や、憎い憎い敵や!
 
映画「祇園の姉妹」の中の、祇園の舞妓さん扮する山田五十鈴さんのせりふです。野心家で若く美しい舞妓が発した言葉です。

当時は、家族の重圧で、生活のために舞妓になった女性が多かったようです。
 
新聞では、耐える強いおんなとの紹介として引用されていました。監督溝口健二は、映画で水商売の女性を多く描きましたが、溝口健二自身に、、実際に家のために水商売になった姉がいたそうで、そうした姉を不幸と感じながらも、生き抜く力を描き、厳しい社会批判の思いがあったのでしょう。
実際に、祇園の女性たちの生の声を聞きながら、映画の構想をねったそうです。
 
祇園は、今でも日本最高の花街です。当時も今も、祇園の舞妓は、美しい姿かたちと、こぼれるようなやさしい笑顔で、男性たちを魅了し続けました。そして、愛はお金で計算されました。しかし、実は、祇園の芸妓舞妓は、こんな本音を吐露していたようです。
 
女性の笑顔を信じ、お金をつぎ込む男性たちには、ぎょっとする言葉かもしれません。
 
今も昔も、「女は怖い」ということになるのでしょうが、実は、こうした言葉を発することのできる女性ば、神経症になる資質は低いという気がします。
 
ヒステリー症状が起きても、特別に精神分析医にかかる必要はなさそうです。本音の言葉で、気持ちをごまかさない女性たちは、厳しい環境でも、なんらかのプライドを回復して生きていけるでしょう。
 
当時(1930年台)の世の中は、周りの女性も等しく幸せとは程遠く、他人も自分も幸せでなければ、自分を慰め、女性の葛藤はうすれるでしょう。

一方、フロイドの患者の上流婦人たちは、多彩なヒステリーを生じていて、長い時間をかけて、特別な精神分析が必要だったようです。患者たちは、自尊心を裏切られたり、立場を否定されたり、能力以上を要求されて果たせなかったりとか、毎日に苦しい状況をかかえていたのでしょう。
 
フロイドの治療が、どの位の率で治療効果をあげたのか、よくわかっていないようです。彼は、症例数をあげて、成果を示すという近代的医学の手法は用いていないようです。
診療した患者のうち、どの治療法で、どの位の割合で治療効果があがり、無効果や悪化はどの位か?などはわかりません。近代医学の客観的な評価はありませんでした。

しかし、フロイドは、1人の患者を丁寧に精神分析し、症例報告しました。
 
フロイドの精神分析によると、成人後の精神障害は、幼児期の性的幻想の持続によるものと断定されました。そして、それを分析して、治療効果をあげる手法でした。そして、幼児期の性的幻想だけが、病気の根幹があるとするフロイド説は、後世のフロイド批判を大きくしました。
 
フロイドに限らず、自らの治療経験を通じて、何か思いこんだら絶対に正しいとどんどん思いこんでしまう、臨床の医師がしばしばはまりやすい危険性です。臨床にたずさわる医師が、自らの学説から独特な治療に走り、社会問題化することは、今も新聞をにぎあわせる材料です。
 
フロイドは、人の落ち込み(うつ)の程度を、悲哀とメランコリーとに分けました。

日本語でメランコリーというと、物思いに沈むという感じの詩的な印象を受けますが、フロイドの言及するメランコリーとは、重度の落ち込み(うつ状態)であったようです。何もやる気がしなくなる。周囲に興味がなくなる。喜びがなくなるなどがあり、現代の精神科医にとっても、手ごわく、治療すべき状態です。
 
こうした自己嫌悪に陥る原因についても、フロイドはいろいろ解析しました。

フロイドは、メランコリーに陥る原因を、「自分はだめな人間!」だと思う自己否定があるとし、自我が否定された状態としました。フロイドは、超自我という言葉を用いて、普段は意識しないが、実は隠れてもっている気持ちを登場させました。
 
そして、自我をがまんすればするほど、超自我は、自分自身に向けられると説明しました。他人に対する攻撃性を抑えれば抑えるほど、その攻撃性が自分自身に向けられると説明したのです。
 
そして、その説明の根拠として、フロイド理論である幼児期の口唇期が登場します。人は、口唇期に満足できないと、そこに戻って固着するとのことです。
 
口唇期とは、観念的で理解しにくい言葉ですが、何かを失った、あるいは奪われたりした場合に、うつにはまっていく気質には、その人自身に、頼りになるものが残っていないことと説明されています。そうした人は、重度なメランコリーになると、フロイドは言っています。
 
つまり、メランコリーとは、その人が、幼児期(口唇期)に満足な口唇的要求が満たされない生い立ちをもっていると、後になって、重要な何らかを失った時に示す精神症状と定義されます。
 
愛する者の死や、失恋などが、喪失です。もともと、その人は、性格的に受動的、依存的であり、自らの能力を疑問視しています。ここを解決しないと、メランコリーが治らないと考えたようです。
 
うつ状態で、「私は役立たずだ!生きている資格がない」と思う人は、その人の超自我が、「お前は役立たずだ!私(自我)を裏切ったな!」と、超自我が自我を責めます。こうしたどつぼにはまる状態がメランコリーであるとのことです。
 
フロイドの精神分析の以後、医系の精神科学と、文系の心理学にわかれていきました。人の心を理解しようとする試みは、いろいろな学派をつくりながら進歩していきました。
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