名作「欲望という名の電車」に見る女性の病気

「欲望という名の電車」
 
先日、何10年ぶりかで、「欲望という名の電車」という古い映画をみた。
 
複数のアカデミー賞を受賞した有名な映画である。しかし、この映画の時代背景やテーマは、とても暗い。
 
主人公ブランチは、家の没落で財産を失い、引き続き起きるいろいろな不幸イベントを契機に、いわゆる“発狂”していく。
 
主人公ブランチ自身の口から、彼女が経験した不幸が、語られていく。名家の没落ストリーだ。
 
ヒロインを演じる女優は、演技とはいえ、狂気を演じるのは、精神的負担が大きいだろう。主演女優のビビアンリーは、この映画で、鬼気せまる演技と賞されたが、現実の彼女の精神も、あやうい状態になって行ったらしい。
 
激変する社会システムは、多くの文芸作品を生む基盤となる。運命に翻弄される女性が、破たんしていく経過を描いた作品も多い。破たんする女性を描く文芸作品は、多くの人の共感をよぶ。

つらいイベントを契機に、病んでいく女性を、作家が描く時、実際にモデルとなる女性がいたであろう。だからこそ、ストリー展開に説得力が増す。
 
この物語の最後は、統合失調症の発症を思わせる。主人公ブランチは、強い幻聴を感じている。
 
一般的に、女性の統合失調症は、男性と異なり、環境が大いに発病に影響すると言われている。
 
統合失調症は、脳の器質的変化(脳細胞の消失)と推定される病気だが、彼女の発狂は、環境が大いに発症に影響した。つまり、没落がなければ、彼女の発症は無かったであろう。
 
彼女のアルコール中毒、タバコ中毒も、苦しい日常から逃れる手段であった。それらは、彼女の脳の破壊に、大いに影響を与えた。
 
裕福で豊かな環境で育った人の精神面は、弱くなりがちだ。周囲から大事にされ、その人たちに気を使う必要はない。わがままが許される日常である。
 
周りの人たちの犠牲や涙の上にたつ幸せであった。裕福な育ちは、人に配慮するという心を育てにくい。
 
しかし、裕福な生まれでも、一旦、富や名声も失ってしまえば、心を切り替えていくしか、人生の選択肢は残っていない。
 
妹は、没落しかけた暮らしに地獄を見て、家を出た。妹は、労働者が暮らす新しい境遇を受け入れ、過去の価値観を捨てた強い女性だった。
 
一方、姉の方は、路頭に迷い、行ってはいけないはずの場所である妹の家を訪ねてしまった。
 
そこには、最も危険なタイプの人物、妹の夫のスタンレーがいた。
彼は、生まれの良い女性を求める一方で、富を憎み続ける人物だった。
 
人は、こうしたアンビバレンツな気持ちが共存する。アンビバレンツな気持ちは、富や力を求めるモベーションにつながったりもするが、不毛な結末を産むこともある。

没落しても、姉ブランチは、額に汗する労働者階層を逆なでするような言動をとり、労働者を怒らせた。彼女の追い詰められた心は、周りに配慮する余裕を無くしていた。

労働者階級の彼(スタンレー)が持つ正義感からすると、ブランチのような女性が、最も軽蔑すべき人物であった。こらしめてやる!と、彼は、富に対するコンプレックスを爆発させた。
 
私は、若い時に、何度か、この映画を見ている。しかし、映画の多くのシーンや筋を覚えていない。
 
当時の私は、映画の重いテーマと暴力になじめず、集中して映画を見れなかった。ただ、主人公のブランチが、少年にキスしたシーンは覚えていた。今、なぜ、このシーンだけを覚えていたのか?と、その理由を考えてみると、そのシーンの時だけ、音が静かになったのだ。
 
この映画は、全編を通じて、騒音と効果音に満ちている。たまに、静かなシーンがあっても、静寂の時は続かず、すぐ、破壊的な効果音が続く。
 
この映画の騒音は、下流の苦しい暮らしを象徴する効果音である。騒音に悩まされても、耐えて暮らす人々を描いている。そして、又、この暮らしには、男の酒と暴力がつきものである。
 
この映画の時代背景は、現在の日本とは、女性の立場も異なるが、苦しいイベントを契機に、女性が心を病んでしまう様は、時代を超えて共通のものだろう。
 
「欲望という名の電車」は、女性が心を病む原因や経緯を、解説的に描いた作品と言えよう。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック