読売新聞の人生相談を良く読む。
中年女性からの質問や回答が興味深い。女性たちから寄せられる悩みを読んでいると、悩みが原因となり、更年期障害特有の症状として外に出てくるのではないか?と心配してしまう。
最近、印象的だったのは、夫の加齢臭に悩むという投書であった。夫のそばによったり、自宅に入ると加齢臭が気になり、悩んでいるという投稿であった。
この投稿には、精神科の男性医師が回答していた。彼の答えは、男性の気持ちを代弁する内容となっていて、男性は、加齢臭があると言われてとても傷つく存在だから、注意をする時の言い方に工夫をしてほしいというものであった。
もし、私が回答者であったら、まず、あなた加齢臭は、大丈夫ですか?と言ってしまうだろう。最初から角がたち、回答者としては失格かもしれない。
男女を問わず、体臭はだれでもあるし、加齢臭とは、物を売るために、ことさら強調されて出てきた言葉である。加齢すると、肉体的にはいろいろ壊れてくるので、臭いは出やすくなると思う。若い時でも、特有のにおいがあるが、中年の体臭には、その人の生活レベルが影響してくると思う。ボディケアや衣服に、どの位のお金をかけられるかも影響する。
夫に加齢臭があると言うなら、同じ生活レベルである奥様にも、似た臭いが出ている可能性がある。
「私は無い!」と、投稿者である奥様は思っているかもしれないが、家の中の加齢臭の原因に、女性が関係しているかもしれないと考えれば、むしろ、ストレスの解消になるのではないかと思うのである。
そして、私の回答の最後は、二人で友好的に協力しあってほしいと優等生的に結ぶかもしれない。
他人を批判するのは自由だが、その時、自分はどうなのかと考えることは必須だ。女性はしばしば、それが不得意のような気がする。つまり、相手の気持ちや立場を想定することが苦手な人が多いように思う。男性から見ると、「えっ、君がそれ言うの?」となってしまう。
作品の出来が悪い!医者の腕が悪い!先生のレベルが低い!と、思っても、自分ならどうか?を想定すると、他人を批判できなくなることが多いと思う。
相手の気持ちを想定する能力を高めれば、女性は、更年期障害からの解放に役立つと私は言いたい.。
別の日だが、この新聞の人生相談欄に、中年女性からの投稿があった。
投稿者の女性のご主人は、病気で入院し、憔悴して病室で亡くなった。入院中の夫の元へ、近所の人が妻に無断で見舞いに訪れ、その消耗した夫の様子を他人にしゃべったという。
夫の気持ちを傷つけた近所の男性が許せないという内容だった。悔しくて後悔する毎日であると書かれていた。投稿した妻は、憔悴した夫が人目にさらされないよう守ることが、妻の義務であると書かれている。
回答者は、苦しむ妻に、一定の思いやりを示しながら、夫はその近所の男性と、男性同志で、(妻の知らない)信頼関係があったかかもしれないし、近所の男性も悪気で、他の人にしゃべったわけでもないのでは、とのアドバイスしていた。
つまり、回答者のアドバイスは、男性たちの気持ちを想定することの重要性を説いていた。
夫の気持ちは、どうだったのであろうか?夫は、病気の最初の時は、人目をさける感情を持っていたかもしれないが、病気が重くなれば、人の心は変わって行くこともあると思う。
人の心は、重い病になると、変化していく。妻は、付き添いながら、夫の気持ちの変化の過程を想定する能力を高めることが必要であると思う。
あの高名な免疫学者であった、多田富雄氏も、マヒした口から、よだれがでる様子や、言葉がでない様子をテレビにさらした。そして、発声練習をかさねて、学会のパーティで、「乾杯!」の発声を必死に出した様子もテレビで紹介された。それに涙した人も多いと思う。
決して病気の夫を他人に見せてはならぬとの妻の決意は、逆に夫に負担をかけていた可能性もある。
自分の価値観で物事を決めつけて、こうでなくてはならぬ!と思いこみ、苦しむことが、女性の更年期障害につながっていくように思う。
病気の子どもを抱えた母親がドクターショッピングをしたりすれば、一番つらいのは子どもである。子ども自身も、病気が治らないことに劣等感を抱き、親に大変な心配と負担をかけているとを辛く思っている。
想定すること、とても大事だ。あるべきと考えられることでも、所詮、個人の価値観にすぎない。本来あるべきことを、視点をかえて考えてみたい。
他人は別の価値観で生きている事を理解し、複数の視点から、あれこれ考え直すことは、やはり大事であろう。同じところをぐるぐる回らず、あるべき論から解放される。
病気を持つ人は、不安をかかえ複雑な思いがある。体力の消耗もある。病気の人に寄り添う時や、逆境にはまった時こそ、想定する能力を高めたい。
そういう私も、想定の方向を勘違いして、悩みはつきないのだが・・・。
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