更年期障害は、女性を苦しめ、望ましい状態ではないが、とりもなおさず、女性の弱い立場を象徴するものでもある

自分で自分を教育するということは、誰でも日常的にしている。
 
受験に合格する、資格をとる、などが自分教育の代表的なものであるが、同じように、禁煙を成功させる、がんになっても立ち直るなど、大事な自己教育だ。
 
女性が更年期障害の原因に気づき、医者に頼らず、解放されるのも、自己啓発の一種と思う。すべて、自分による自分に対する教育の成果である。
 
新聞の人生相談で書かれるアドバイスというのも、知識人が自己啓発のヒントを与えるという図式だ。
新聞の人生相談には、男女の考え方のギャップなどが見てとれ、興味深い。
 
先日の読売新聞の人生相談の投稿にも、男女の考え方の違いを感じた。
 
夫と外食する時、夫は好きな中華のメニューにこだわり、それを妻にも強要するので、妻はつらいとする内容であった。この投稿への回答は、優等生的な内容であった。

その内容は、ラブラブなご夫婦関係であることが見てとれるので、その関係を保ちつつ、妻は友好的に夫へ働きかけてほしいとのことであった。
 
この回答より、私が興味深かったのは、夫のうんちくにうんざりしている妻の気持ちであった。
中華料理以外のものを食べたいとする妻に対し、夫は、中華料理のすごさ、栄養的や歴史的に優れているとする知識を披露するとのことだ。つまり、妻の悩みは、単なる食事内容に関する不満だけではない。
 
いつからかはわからないが、夫からいろいろな知識を披露されることが、この妻は苦痛になってきている。
夫の知識は、雑学レベルだが、妻が知らないことが多い。妻は、知らないことや反論できないことを、夫からつきつけられることが、苦痛になっている。

今後、こうした状況が続くことは、妻の更年期障害の発症に関係しそうに思う。妻の投稿文章からは、妻は料理より、夫のうんちくにうんざりしている自分に気づいていない。
 
男性は理論的だ。そこを論破できる女性は少ない。投稿者夫妻は、人生の大事な節目に、男性が主導的にものを決めてきたであろう。家庭が維持され、男性は「教えてやる」的な態度を強めてしまってきているのではないか?
 
夫が決める人生は、安心で、頼もしいものかもしれないが、それは、一方で、女性にとってあきらめを伴うものである。
 
妻は、「あなたの独断にはついていけない!」と言わないできた優しい人のようだ。そのため、妻は不本意な思いを残しながらの人生を、続けてきてしまった。
 
他人が決める生活環境で暮らしている女性には、更年期障害が起きやすい。自らの判断で切り開けない人生は、その不満が体の症状としてでるのである。
 
女性自身もそうしたことがうすうすわかっている。しかし、女性に更年期の症状が出た時、何か病気があるのではないかと不安になり、ドクターショッピングをする。
 
そして、女性の症状の原因究明のために大事な事実があっても、女性自身がそこに気づいていないために、医師に伝えられない。医師は病名に困るが、女性は、医師に病名や(治療法を求める。

その病名があまり意味がなくても (例えば、更年期障害とか繊維筋痛症とか)、女性はそれで安心する。
 
治療のために医療費を使うことが、自己主張の一環となっている感もある。更年期の治療の最たるものが、漢方薬だ。効果が無くても、イメージで使われていることが多い。
 
更年期障害は、女性を苦しめ、望ましい状態ではないが、とりもなおさず、女性の弱い立場を象徴するものでもある。病気になったりしないと、周りにインパクトを及ぼせないのである。
 
ファミレスなどで、中年男女が話をしているのを聞くと、反論できない様子の妻をみかける。妻が何か言えば、さらに夫は理屈をつけてくるので、それにかなわない。
 
しかし、反論しない、やさしい妻でいることは、ますます、主導権をにぎられることになるリスクがある。
 
夫が、おやっ!やられた!かなわない!と感じる気の聞いた答えをひねり出す努力は、やはり、妻には必要であろう。子育ての終わった今、妻も今までの経験を生かして気の聞いた雑学知識が披露できるようになっているはずだ。

夫は、一方的に妻を論破できたとしても、良い結果は期待できない。妻の体の不定愁訴につながっているだけである。
 
幅広い雑学を披露したい男性の気持ちはわかるが、その結果、マイナスのことが起きるなら、せっかくの知識が惜しい。
 
男性は、定年などがあれば、雑学披露を聞いてくれる人がだんだん減ってくる。最後に聞いてくれるのは、妻位になるであろう。だから、夫は、妻が喜ぶ雑学の維持に努力して欲しいと思う。
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