食の歴史を見ると、人の病気が見えてくる。ミルクアレルギーを考察する。

食の歴史を見ると、人の病気が見えてくる。
 
某新聞の書籍紹介コーナーに、「チーズと文明」というタイトルの著書が紹介されていた。著者は、ポールキンステッドとある。この本の内容を、京都大学教授の岡田温司氏が解説している。
 
彼の記載によると、人間がチーズを製造し始めたのは、紀元前7000年あたりとのことである。人がチーズという形態を発見し得た経緯として諸説あるが、一説に、子牛、子ヤギなどの胃袋に、凝固したミルクをみつけ、ミルクを変化させる手段を発見したと言う。
 
チーズは、運搬性、保存性に富み、大事な食糧として扱われており、旧約聖書では、神への貢物としての名誉ある食べ物であった。

昔も、ミルクに対する反応が起きやすく、ミルクを飲めない人が多かった。
しかし、発酵させたチーズは、成人でも反応する人が少なくなるということに、すでに気づいていたらしい。
ミルクに慣れない人は、チーズという形態になることで胃腸の反応が和らぐことを、人はわかっていた。
 
私が興味をもったのは、この頃から、人々は、成人と比較して、乳児では、ミルクに対して反応が起きないという事実を知っていたことである。乳児は、食べ物に反応しにくいという事実を、経験的に得ていた。
 
食べた(飲んだ)ものに反応しにくいということは、乳児の排除能力の低下を意味するものである。
それは、栄養素を取り入れるという意味からは、とても大事な能力と言える。
 
外来の蛋白質を排除する能力が、乳児は低いのである。そして、そのつけとして、乳児は、病原菌を排除できず、胃腸炎が重症化し、命を落としやすかったと思う。
 
乳児がミルクを良く飲めるというのは、ミルクに対して、免疫反応がおきにくいということである。
 
人は進化の過程で、雑食であることを選んだ。生存競争に勝ち続けて行くために、動物は、さまざまな外来性蛋白質を、他の生物から奪い取らなければならない。
 
乳児が食べ物に反応しにくくなっている理由は、外来の蛋白質を、栄養素として早く体になじませるという自然の摂理が働いているためと思われる。
 
経験的に乳児の離乳は、1歳までに完成させる指導がなされてきた理由も、この時期が一番、多様な食べ物を受け入れやすい時期であるという経験を人々は持っていたからだろう。
 
しかし、世の中が清潔になり、乳児の食べ物を厳選するようになってしまった。昨今の子どもも敏感になり、ミルク、卵の反応しやすくなってしまった。
 
その結果、早く離乳を完成させるというコンセプトも変わり始め、食物アレルギーのある子どもたちでは、治療として、反応する食べ物は食べないでおくという食事制限が勧められるようになった。

食物アレルギーは、世界的に増加傾向にあるが、日本では、特に、ミルク・卵など、乳児期に起きやすい食物アレルギーが、年長になってからも遷延化しているのが、特徴である。
 
食物アレルギーの治療は、除去のみとされていた時代が、30年以上も続いた結果、除去が続き、年長児になっても、卵、ミルクが食べられない子ども増えてしまった。特に、日本では、「念のために、除去する」子どもが、世界の他の国より、かなり多くなってしまったのである。
 
むしろ、今はその反省期であり、積極的な食物負荷試験(食べて様子を見る検査)が専門病院を中心に行われている。
 
そうした試みの結果、わかってきたことは、一旦、食べれるようになった食品でも、子どもがそれを食べないでいると、又、再発してしまうという事実であった。食物アレルギーのぶり返しであるが、こうした反応には個人差が大きなこともわかってきた。
 
食物アレルギーの克服には、子どもの性格もかなり重要であると言われる。神経質な子どもでは、なかなか克服できまないらしい。
 
そして、もうひとつ、注目すべきは、ミルクは卵に比べて、治していくことが難しいという事実がわかってきたことであった。
 
これらの原因については、今後も研究が進められていくと思われるので、又、新しい情報があれば、このブログで、ご紹介したいと思う。
 
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