今回も、読売新聞に掲載された人生相談へのコメントです。
今回は、回答者が書いた内容に対する私のコメントです。
かつての新聞相談のスタイルは、一般人からの相談に、有識者が回答し、新聞読者は、その回答を拝見するというスタイルでした。
作家などの社会的見識のある人、教授と呼ばれる専門知識を持つ人が回答を寄せても、かならずしも、万人向けではありません。
今は、それぞれ一般人でもコメントを出す時代となりました。ブログもフェイスブックも、一般人によるやりとりを可能としています。
今回は、相談を寄せたのは、離婚歴があり、子持ちで、正社員として会社で働く女性です。彼女は、今まで、がんばって会社で信用を得てきたこと、家も子どもも順調であると書いています。
しかし、相談してきた女性は、結婚前に勤めていた大企業と比べると、今の会社の仕事に不満を感じると言っています。社内の企画書が通らないとか、会社での評価が十分でないとか、おしゃっています。
ご自身でも、生活は幸せであると評価していますが、仕事上の不満がつのり、今後、どうすべきか?の相談です。
今回の回答は作家の方がなさっています。回答の出だしの文章は、
「がんばってきましたね、実力がある方ですね」と、一定の評価をしています。
しかし、その後には、「周りの状況を見えていないのではないか?周りの人への思いやりや配慮が足らないのではないか?」との言っています。そして、「ご自身で自己分析ばかりしているが、自己分析ができると考えてはいけない!」と書いてありました。
こうした内容を読むと、相談を寄せた女性は、回答の最初の部分しか読まないと思います。有識者からの批判に傷つき、相談を寄せたこと自体を後悔するのではないか?と思うのです。
相談そのものを後悔させることになれば、回答に意味が無くなってしまいます。
新聞掲載のような一般論的な人生相談であれば、読者がいます。読者にも、読んで参考になったと思わせることが必要です。相談を寄せた女性が相談してよかったと思い、新聞読者にも、なるほど参考になったと思わせないと、新聞に掲載する意味がなくなると思います。
相談を寄せてきた女性は、自らの人生に誇りを感じています。正社員で、企画を出すような立場にいることも彼女の誇りです。女ひとりでがんばってきたことを、誰かにほめてほしいと思っています。それでいろいろ書いているのです。それは自己分析というより、自慢話です。女性である私の立場では、そこは十分に評価してあげたいと思います。
もし、対面で彼女をカウンセリングをすると仮定してみましょう。カウンセラーは、女性の自慢話を十分に聞いてあげるだけでも、彼女は満足し、その結果、自己反省に向かうでしょう。自分自身のおかれた環境を考え、今後の方針を自ら、決めて行くようになるのではないかと思います。
女性が得てきたポストは、女性自身の努力の成果であり、周りも十分にそれを評価しているだろうと言ってあげたいです。その上で、カウンセラーは、すべての働く女性が感じるガラスの天井について、話を持っていきたいです。
回答者はこう書いています。「あなた(相談者の女性)は、ご自身をこうした人間であると、決めつけています。自己分析をしていますが、分析できる程度の自分でしかないということに気づいてください。自分のことを自分が一番、良く分かっているというのは、幻想ではないでしょうか?」
私の印象ですが、上からの目線と感じます。
相談を寄せた女性の立場で考えると、こうした回答はうれしくないです。相談した女性は、批判めいたアドバイスに対し、「そんなことは、わかっている」「私も、他人への配慮は十分にしてきた!」と反発するでしょう。新聞を読んだ読者も、上から目線を感じる人は少なくないと思います。
人は、会社の事業の経験を積み、若い時より知識が増え、会社に益する企画書を作ることができるようになります。しかし、それが会社の上層部で通るかどうかは、別の問題なのではないでしょうか?
これ以上、この女性に活躍されたくないとか、表面に見えない評価があると思います。それは、女性自身が抱える問題であるだけでなく、時にはプラス評価の才能が災いすることあるでしょう。才能の持つ者は、排除されやすいと思います。特に、男社会である会社組織では、必ず女性に付いて廻る現実でしょう。
一般論としてのガラスの天井を話題として持ち出すことで、女性自身も自らがかかえる問題点に気づきます。自分自身で気づけば、女性は不快感を感じないであきらめることができるのです。あれこれ考えて、あきらめると言うのは、知的エネルギーではないでしょうか?
人は知識を求めます。そして自分の行動を決めて行きます。
自分のことは、自分が一番、良く分かっていると考えて良いと思います。
昔の女性は、自分で行動を決めて行くことができなかった。だから、多くの小説を産んできたと思います。
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