ペットをかわいがるかどうかなどで、女性の性格など予想できない気がする。

他人を助けようと踏切事故で亡くなった女性に献花が続いているという。
本当に性格のやさしい人である。
 
少し前だが、ペットをかわいがる人は、心がやさしいとの心理学者がネット記事で語っていた。
心理学の世界では、ペットに対して全幅の愛情を注げる人は、人間に対しても同じく全面的に愛情を注げることを表すデータが存在すると言う。
 
本当に、そうだろうか?ネット情報の掘り下げ方に異論を唱えたい。

ペットは、人に食も住、生きるためのすべてを依存している。かわいくなければ、人に依存できない。
依存している姿が、かわいいと感じる所以であろう。一方的な関係であり、ペットに裏切られることは無い。
 
動物を飼うということは、動物愛護をするか、しないかではない。
野生動物の保護活動の方が、動物愛護と言える。
激しく威嚇する野生動物を見ると、その姿にひきつけられるのは、人が自らの生きざまを思うからではないか?
 
ペットをかわいがるかどうかなどで、女性の性格など予想できない気がする。
ペットが高価な血統書つきであったり、珍種だったりすれば、それは純粋な動物愛護ではない。
 
もし、女性の優しさを見抜きたいなら、むしろ、高齢者や病気の人に対して、どの位、やさしく接することができるかで、判断した方がよい。踏切に飛び込んで、人を助けたりするなど、その最たる行為である。
 
病気の高齢者が、激しくせき込み、その分泌物をはからずしも浴びてしまっても、咳を心配し、やさしく接することができるか、などでも判断できる。排泄物を浴びても、高齢の相手を気の毒と感じられるということだろう。
 
災害時、自分の飼っていたペットの安否を気遣う前に、逃げ遅れた人たちを思いやるのが先だ。
 
自分のペットを失った悲しい気持ちは、自分自身でよくわかる。
しかし、知らない人の死は、その人の周りの人々の苦しさを想像するからこそ、悲しいのであり、想定できる能力が高いことを示す。
 
想定する能力が高い人は、他人を思いやれる。日常生活で、予期しないことで相手が落ち込むことがあれば、その気持ちに配慮し、ケアできる能力とあい通じるのではないかと思う。
 
他人の苦しさを想像できる能力が高い人が理想であろう。そして、その苦しさを除く事が出来る人は、さらにすばらしい人である。

相手の気持ちを想定する能力は、必ずしも、目の前のペットをかわいがる志向とは一致しない。

心理学と医学はしばしば、対立してきた歴史的経緯がある。
 
精神分析も心理学も、答えがひとつということはなく、サイエンスであるとは言えない。より客観的な手法を用いて検証する心理学は興味深いが、学者の思い込みの紹介にすぎなり著書も多い。
 
心理学は、人の心を扱うのだから、真実などは無いのであろう。ここが脳科学のアプローチと違うこころだ。
 
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