文科系の心理学と、医学系の精神医学を対比させてみると、何らかの治療的な示唆がでてこないだろうか?

 
精神分析学という言葉は、何かすばらしい学問領域のような雰囲気をかもしだすが、実態は何であろうか?実際に脳(心)分析の難しさと、脳科学の進歩を前に、精神分析学は、最近はあまり使われなくなり、名前倒れになってしまった感がある。
 
精神分析学を学びたいという希望する若い学生はいるだろうが、先生は、学生に何を学ばせればよいのか?解明途上で、実に混沌とした領域と感じる。精神分析は、人の心の共通性を解明しようと、学問的努力をしたが、結局は個々の人での問題として終わるので、学術的にはならないのではないか?
 
神経内科、精神医学で扱う病気のうち、脳の実質の障害が証明でき、進行性でほとんど回復しにくいものがある。しかし、多くの脳の病気は、数年単位の時間経過で、変動する動的な経過をとり、その予後はさまざまである。脳は経験をつんで賢くなる一方で、壊れていってもしまう。
 
人が心の病気になる時、その原因になるような出来事があることが多いが、病気の真の原因に患者本人が気づいていても、あえて隠している場合がある。一方で、本人が全く気づいていないことなどもある。心の病気になることで、救われていることさえある。そうした時に機能させるのが、精神分析かもしれないが、複雑すぎて、機能する実態はないのでは?と感じる。
 
 
現代においては、心理学でも、医学でも、どのようなアプローチであっても、実学となれば、悩める人に対して、治療の成果をめざすものである。人を対象とする治療者は、悩める人に共感し、希望を持たせることを成果とする。

ヤフー知恵袋に載る「心理学とは何か?」の素朴な質問の回答をみると、心理学には、教育系と医学系とのアプローチがあるという。

心の病の治療に、教育系の心理学のアプローチとはいかなるものかに、私は興味を引かれる。
 
実際に悩める人への治療として心理学を応用する時、心理学をどのように生かすのか?現実の心理カウンセラーは、病気の人に対し機能しなければならず、ハードルが高く、才能を要する仕事だ。ある精神科医が、カウンセラーは美人が多いとあった。確かに、私に知っている女性カウンセラーも、女優の卵とのことで美しかった。やはり、男女を問わず、美しいことは有利かもしれない。
 
精神分析というと、ユングやフロイドが有名で、彼らのことをこのブログにも書いたが、治療法としての参考にするには、時代が違ってしまったようである。
 
時代が違えば、心の病気の質も変わってくる。女性の社会的立場や価値観が違いすぎてしまったので、この時代の治療を学んでも、実学として現代に応用するのは難しい。
 
フロイドは、治療用テクニックとして、性の問題を持ち出して、女性たちの心の病気を解きほぐす効果を狙っていた(私見)。フロイドの多くの患者が、上流女性だったらしいが、フロイドが女性患者と性の話しをすることで、彼女たちは「もう、このドクター(フロイド)には何もしゃべってもかまわない!」という心理になったのだろう。
 
そうなると、心のトラブルの治療効果が出そうな気がする。女性はいつの時代でも、先生のような存在を求めているような気がする。

日本の心理学も、医学と同様に、世界の著名人の業績を学ぶことから始まっていると思う。日本人研究者が留学できるようになった時代は、ユングやフロイドが活躍した時代より後の、その直系のお弟子さんが教官となっていた時代であったようだ。
 
ユング研究と言えば京都大学の河合隼雄と言われているが、彼は心理カウンセラーとしても、悩める人の治療に直接あたっていた。箱庭療法や臨床心理士の活躍の道を開いた学者である。彼の残していた書物に、一般人への読み物向けとして、「昔話の深層」という本がある。
 
 
文科系の心理学と、医学系の精神医学を対比させてみると、何らかの治療的な示唆がでてこないだろうか?今回は、河合隼雄の著書を参考に、考えてみた。
 
今の医学的解釈では、心の安定を失った人の病態の説明として、脳内伝達物質の機能失調で説明している。
治療に使われる薬も、これらの脳内伝達物質を調整させることをターゲットにしている。
 
環境に適応できない状況に陥った人は、過度な不安・不満や、不眠が起こり、多様で多彩に機能するはずの脳内伝達物質が消費され、その結果として脳内伝達物質が枯渇(無くなる事)してしまう。一方で、過剰になる脳内伝達物質もある。こうなると、脳内伝達物質で機能している脳細胞自体が、再生に向けたエネルギーを生み出せなくなる。
 
河合心理学ではどのような解釈を行うのか?追い詰められた心の状態は、河合はどのように表現しているのか?脳内伝達物質枯渇とよばれる状態は、河合心理学ではどのような解釈になるのか?
 
河合心理学では、意識、無意識という言葉が持ち出されている。そして、悩める人自身は苦しみながらも葛藤し、やがてその成果として、その人自身の中で、乗り越える心の再生化がおきてくるであろうと期待している。そうした経過を通らないものは、例外的な脳の病気であろうとしている。
 
河合は次のように書いている。
 
今までの最高の原理はくずされ、新しいものが導入されることによってのみ、真の更新が行われることが明らかなのである。
 
われわれ心理療法家のもとに訪れてくる多くの人は、これを同じ状態にある。それまでその人が信条としてきたことがくずされ、どのように生きてよいのかわからなくなる。
 
そこで、われわれ治療者に相談して、何かよい生き方をおしえてもらおうと来談する。これに対し、われわれのできることは「無為」である。そしてこのことが最上の方法なのである。
 
自分で解決を見出せず、治療者も頼りにならぬと知り、まったくいきづまってしまったこの人は、退行現象を体験しはじめる。今まで、無意識のほうから意識のほうに流れて、心的エネルギーが、逆に意識のほうから無意識の方へと流れ始めるのである。
 
これは今まで意識が依存してきた規範にたよれなくなったので、それに対立するものが無意識内に形成され、この対立のために心的エネルギーの流れが乱されて、むしろ逆流を生じたのである。
 
心理療法家としては、このような退行現象に耐えていると、その頂点に達したと思われる頃、エネルギーの流れの反転が生じ、それは無意識内の心的内容を意識内へともたらし、そこに新しい創造的な生き方が開示されてくるのを見るのである。
 
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