前回、危険なメソッドで紹介したザビーナの話について、もう少し考えてみることにします。
彼女は苦しい幼児体験に関連した侮辱感に苦しむ少女でした。それでも、歳月は彼女を成長させました。しかし、彼女は、限られた世界しか知らず、彼女の知識では、環境からの抜け出し方がわからなかったのです。彼女の不穏状態は高まり、家人には手に負えなくなりました。
そんな彼女が精神病院に強制的につれてこられました。
画面は、馬車の中で半狂乱になるザビーナの描写から始まります。恐らく、彼女はこれから、地獄のようなところへ連れて行かれるとの恐怖感で一杯だったでしょう。
ザビーナは、身近な人から精神病院とは恐ろしい所との情報を与えられて育ったと思います。罰として病院にいれてやる!頭に電気がかけられる!みたいに教えられてきたとおもいます。当時の精神病院では、電気ショック療法がやられていました。
ところが、連れてこられた病院には、知的な医師であるユングがいました。その静かな医師から、話すことを勧められ、彼女の中には新たな価値観が生まれます。すぐ、ザビーナは、ユングに惹かれていきます。
精神の混乱を落ち着かせるのは、愛の力といってしまえば、あまりに単純化です。
病院での生活は、ザビーナにと、新たな世界観と価値観を与えました。
女性は、若い時期は、精神疾患が発症しにくいという理由のひとつは、廻りにサポートしてくれる男性がいることが関連すると言われます。愛されているという感情は、強い満足感と自信を与えるものです。
現在の女性なら、家庭のような閉鎖された環境でいると、自らとらわれてしまったネガティブな価値観で悩み続けてしまうことがあるでしょう。
愛するものがある、愛されている、理解してくれる人がいる、世の中に役にたっているなど、本人の希望がだんだんかなえられていく、など自己肯定の感情は大事です。
そうした心のよりどころが、病気回復のエネルギーになります。この映画は、そうした女性の環境の変化と心を描いています。
心の病気にとりつかれた時、誰でも、マイナスの価値観にとりつかれます。特に、幼児期は、廻りの人の価値観が、その子どものすべての価値観となり、子どもの心を支配します。
子育ては、家庭の中に独断的な力があると、うまくいかない事が多いでしょう。ザビーナの家庭は、父が絶対的な支配力をもち、その価値観がすべてでした。
逆に、今は、母が独断的に決めつけた子育てをしている場合があります。そうなれば、父が軌道修正する必要があります。
両親が独断的に子どもに接すれば、学校が軌道修正にかかわろうとするでしょう。子どもの成長発育の過程では、複数の人々と、多様な価値観に触れていく必要があるのです。それが学びの原点でしょう。
ザビーナも、絶大な父のいる家庭で育ち、父支配家庭の中で、病的な心にとりつかれました。
ザビーナの不安と不信を、愛情を持ってサポートする大人が、周りにいなかったと思います。心を軽くしてくれる大人にめぐりあうことなく、彼女は育ちました。
錯乱状態にあったザビーナが、精神の安定を取り戻す力に、ユングの役割は絶大でした。
特に、ユングが本気で愛してくれたことが、彼女の屈辱感を修正しました。その後、ザビーナは医師となり、社会貢献したのですから、その後の、彼女の努力と才能も大きかったわけです。
女性の心の病気を考える時、ザビーナの人生が、いろいろヒントを与えてくれます。閉塞感で悩む人の心を変えられるのは何か?は、臨床心理学の治療のテーマです。
廻りの人と環境から、人は学ぶ事、
屈辱感を解放しようと踏み出すこと、
不安感が根拠ないと思えること、
受け身だと物が見えない事に気づく事、
自分で考え努力して、新たな展望を見いだす事、
価値観の多様化で救われる事を知る事、
経過が大事で、結論は最初には見えない事
などなど・・・。
現代でも、挫折感や屈辱感などにとりつかれてしまい、心を病むことがあります。挫折感や屈辱感は、マイナスの価値観にとりつかれた結果です。
他人からみたら、意味のないことで悩んでいるかもしれません。視点を変えると、変化しうるあいまいな感情でもあったりします。本人自身が、別の考えで処理できれば、挫折感や屈辱感が別物に変わったりしえます。
廻りからの評価や他人の気持ちなんて、所詮わかりませんし、自己の中で、作り上げてしまった妄想かもしれません。
自分自身を悩ませている感情から意識的に遠ざかり、自らが救われると感じるための自己肯定の道を探るしかありません。
自分の立場や考えを客観的にみながら、自己肯定をしていきます。
子どもなら、その役割は廻りの大人の義務ですが、大人ならその人自身でやらないと成果があがりにくいです。
ザビーナも自ら医学部で学ぶことにより、病気について多くの知識を得たでしょう。
話は少し変わりますが、気持ちの切り替えが大事と思われる身近な例として、子宮がんワクチン問題があると思います。
このワクチン接種を受けた女生徒たちが、その後、強い痛みを訴えて、ワクチン被害ではないかと、社会問題になりました。
ワクチン後、激しい痛みがなかなか収まらず、その痛みのために学校へ行けなくなってしまったのです。その結果、このワクチンそのものが、ひどいシロモノであり、これは現代の薬害論であるとの強い批判もありました。
そして、今年、1月21日の新聞に、子宮がんワクチン究明委員会の見解が、発表されました。その記事によりますと、女生徒の痛みの原因は、接種された本人がかかえる心の問題であり、ワクチンは関係がないとの見解でした。
このワクチンは、外国では日本よりずーと前から発売されていました。その時から、女子生徒が倒れることは報告されていましたし、因果関係も論議されていました。
しかし、大きな社会問題にはなりませんでした。外国では、この年齢の若い女性のメンタルの不安定さが原因であるとされ、ワクチン中止になるような状況にはなりませんでした。
ところが、日本では、即、薬害論が出て、即刻中止すべきの騒ぎにもなりました。実際に、ワクチンを打って後悔するとの泣き顔の女性もいました。
これも、ワクチンを受けた女性が、独自でかかえてしまった妄想(に近い感情)のようでした。
この記事の読み方はいろいろにあるでしょう。当事者にとっては、委員会の理解が足りないと訴えつづけることになるかもしれません。
確かに、女生徒に、ワクチン後に痛みがあり、それが長引いたことはたしかなのですが、ワクチンと関連している証明はできないという結論は、支持されやすい考え方です。
生ワクチンと異なり、一旦、体内にいれたものの物質の動きは簡単に追跡できません。1昨日食べたお肉がどこにいったのかわからないのと一緒です。
それより、痛みの可能性として考えやすいのは、人の心のみ、痛みを感じ続けている可能性です。人は、つらいことがあると、いつまでも心が痛む、体が痛む、ものだからです。痛みが続けば、戦争後のPTDS(外傷後ストレス症候群)と同様と見なされます。
廻りの大人たちが悩めば悩むほど、女生徒たちの痛みは解消していきません。親の思いで、こどもは強い影響を受けます。そして、彼女たちは、大人はひどい!、わかってくれない! と人間不信に陥り、誰も真剣になってくれないと悩みます。人生経験の少ない若い女生徒たちは、限られた閉塞的な感情で胸が一杯になってしまうものです。
いろいろな情報や経験が無く、気持ちが切り替えられないのです。しかし、女生徒たちは、どんどん成長していきますので、心の修正が可能です。
そうした彼女たちの成長に、周りの大人の果たす役割は大きいです。
望ましくは、痛みで悩んでいる女生徒たち自身が、自ら、痛みの原因究明してやろうじゃないの!位の気持ちを持ってくれるとうれしいです。
ザビーナが精神分析医になりたいと行動を起こした気持ちと一緒です。医者でなくても、研究者でもどんな科目でも、科学を勉強することで、いろいろ人生観が変わります。
そうした学びの過程で、いろいろな気づきを発見できることになります。悩める人は、発想の転換をして歩みだすことが、悩みを救うことになると思います。
被害者の会の女性生徒たちが、「ワクチン被害の究明を要望する」との要望書を厚労省に送ったとの新聞記事がありました。患者さんたちが、私たちの病気を解明してくださいとのお願い文書です。
他力本願は、自らが満たされることなく、期待が薄いです。他人に何かを頼んでも、思い通りにならない経験は、多くの人が持ちあわせます。
結局、誰でも、自分で考え、努力して行き着いた成果でしか、満足できないのです。
ザビーナの病気は、情報がきわめて限られていた時代に発症しています。こうした時代背景の違いはあるものの、彼女の変化は、現代の心の病気考える上で、多くの示唆を与えます。
これが温故知見でしょうか?
コメント