本日、徹子の部屋に松たか子が登場した。新聞での紹介によると、
彼女曰く、「初めてけんかできる相手が、夫でした。」
「結婚したいと父に言った時、父親は初めて父親となり、娘は初めて娘となった」
という言い方が紹介されていた。
結婚承諾の大きな家庭内の出来事の際、親と子の本音の話し合いがあったと思うが、これはどの家庭でも当たり前のことだろう。
しかし、松たか子の家庭では、それまでの人生イベントの中で、本音で親子が話し合ったことが無かったことを伺わせる発言ともとれる。
娘が語る父親批判か?との見方もあるだろう。
テレビの松たかは、それ以上はくわしくは解説しなかったが、ところどころに、ビッグな親を持つ子供の思いが垣間見えた。
格式ある有名人の家庭で育つことの大変さは、誰でも想像できる。
その具体的な様子を聞けるのは興味深いものである。
こうした話は、一般人との家庭の場合と比較しながら聞いてしまう。
多かれ少なかれ、一般家庭においても、親子の行き違いは日常的におきる。しかし、有名人の場合は、重荷が大きそうだ。
実際の松たか子は、家柄の良さに加え、美しくさや才能も申し分ない。彼女は、自らの意思と無関係に背負い込んだ重荷をものともせず、逆に利用し、はね返すような活躍をしている。
彼女の努力、容姿、環境、すべてに恵まれたことが、重圧を乗り越える力になっている。そんな彼女が、それまでの葛藤を番組で語っている。
松たか子が、この番組で語ったところによると、松本幸四郎(父)は、日常の生活でも、ドラマ化されたあるべき像を持ち、特に、公の場では、それに沿って演じているという。
一流役者にとっては、公の評価は極めて大事なものであり、日ごろの行動にも気を使うだろう。名家に生まれた役者であっても、時に庶民を装うこともできなければいけない。計算しつくして、あるべき人の顔を演じる必要がある。
そして、有名人の子供たちは、優秀であることが期待される。何でも、周りのこどもより良くできなければならない。
今日の番組では、松たか子は、親子関係を素直に語ってくれたが、これは、女性の特性でもあると思う。息子は公共の場で、こうした父親像は、なかなか言わない。
男性は建前論を重んじるため、息子は、公共の場では、父親の代弁者に徹し、実像は触れず、役者の建前論が中心になるだろう。
一般的に、女性と異なり、男性は、話の内容や言葉、表情から読み取れるものとは、まったく違う感情をかかえていたりするのである。
ここで少し視点をかえ、一般家庭の場合の子どもを考えて見よう。
彼女のような有名人ではなくとも、多かれ少なかれ、人は親の期待、家の期待を背負っている。
親の期待は、子供を成長させる力になる一方で、いろいろな葛藤を生むだろう。そして、子どもの中で葛藤が高まって、解決できないと感じたとき、それが子どもの心の病となっていく危険がある。
一般的に、大きな存在である親の場合、子どもは萎縮しがちになる。子どもは、少ない情報と経験しか持たない。子ども自身の能力が育たない前に、プレッシャーが重いと、子どものバランスは狂ってしまう。
子どもの能力やキャパはさまざまである。もともとキャパが少ない子、キャパはあっても生かせない子、キャパを超える期待を背負う子は、苦しいものとなりそうだ。
はね返す力がなければ、親への反抗も言わず、感情をぶつけることができない。
こうした環境からのしかかるプレッシャーは、子どもだけとは限らない。大人の場合でも、いろいろな心の病の原因となる。特に、弱い立場で、物事を決められない立場にある人では、悩みは深刻だ。
本人の努力では乗り越えられないと感じながら、解決できない人生は苦しい。これが、体の病気の症状となって出たりすれば、身体表現性不安障害などと言われる。
特に、本人が心の葛藤を隠したい、平静でいるふりをしていたいなどがあると、心も体もさらに悪くなるものである。
番組の最後に、松たか子は、「小さいおうち」に主演して、当時の社会の不平等というものが、人々を苦しめたであろうとコメントした。それに応じて、徹子は、男女の差について言及していた。
女性の立場が弱い時、心の問題がおきやすいともいえるだろう。
嫁ぎ先(結婚相手)からの期待に答えられないと感じる人
嫁ぎ先(結婚相手)の要望が理不尽と感じる人
不妊を責められる人
子どもに病気が起こる人
などなど、高まる不満と不安は、受身で生きる女性の心の病気となっていきやすい。
こうした意味では、時代背景の変化は、女性にとって、確実によくなっているが、発症が無くなる方向へと向かってほしいものである。
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