先日の放送大学で、萩原朔太郎、田中恭吉の授業を放映していた。講師は、木股知史氏であった。
朔太郎は、『月に吠える』(田中恭吉・画 1917刊)の著者で、詩人である。田中恭吉は、「月に吠える」の装丁を担当した版画家である。
「月に吠える」に集録された詩は、人間の肩から、竹が生えるという妄想的な感覚を謳っている。
竹が、何ものをもつきやぶってするどく育つ様を前に、詩人は、その強さを賛美しつつも、その生命力に恐れおののいている。
一方、竹が生えてしまった人間は、衰えていくとするイメージである。人の命のはかなさを憂いている。詩人は、ある時は竹になり、ある時は、人に戻る。
当時の挿絵入り詩集は、画文共鳴という言葉で説明されるそうだ。文学と美術、詩人と画家たちが協力し、意匠を凝らした書物が作られたことを指す。芸術家の親密な交流から創り出されたイメージが、大衆化とファッションになりはじめた時期であるとの解説があった。
しかし、その耽美的な暗さは、作家たちがかかえた病気である結核の影響が大きそうだと、私は感じる。
なにしろ、結核は、日本の国民のほぼ全員が感染していた。
結核は、肺結核が有名であるが、地球上の最強の細菌であり、人の体内のどこでも結核菌は増殖する。
少し病気が良くなっても、又、すぐ悪くなるといった症状を繰り返す。症状が軽快して病む人が希望を持てば、すぐ悪化して、その希望から突き落とす。病む人の心を何度も踏みにじっていく。
発熱し、免疫反応が高まり、脳が影響を受ける。逃げ場のない苦痛は、妄想を呼ぶ。病む脳は、現実でないものを恐ろしげに再現することが得意だ。結核に感染した若い才能あふれる人たちは、逃げ場のない苦痛を克服すべく、文学として昇華させたのだろうか?病気に負けたくない!と、混乱する心が謳われる。
萩原朔太郎の『月に吠える』の詩集には、田中恭吉・版画による夜のサボテンがある。
田中恭吉による死体から植物が生える画のイメージである。
田中恭吉は、なんと23歳で結核で死亡している。
弱って行く体と、勢いつく植物を対比させて、気持ちが乱れてコントロールできない心の状態を描いているのかもしれない。いづれにしろ、見る人の心情によっていろいろに考えることのできる芸術作品である。
この版画に与えられた後世(現代)の論評は、想像世界の闇の奧へと連れ去られる誘惑があるとある。しかし、この絵や詩は、病気が人の心を追いこんだとも言える。
じわじわと進行する結核は、当時の才能あふれる若い人の心をずたずたにしていた。結核は、当時の人のメンタルトラブルと大いに関係したのであろう。体が病めば、心が病む。
戦前の若い世代で、結核が重症化してしまうような人は、結核に免疫が弱くい人であり、こうした人は、さんざん、結核菌と戦ったあげく、免疫反応にも苦しめられ、命を落としてしまうのである。
結核で亡くなった正岡子規は、彼が小児期から抱え込んでいた結核菌に負けて、34歳で死亡している。
ウキベディアによると、22歳で喀血とある。その後の12年間、じわじわせまりくる死との戦いの毎日であったろう。
今は、こうしたものすごい感染症は無くなったので、一般の人は、病気をイメージすることが難しいであろうと思う。ハリセンボンのように、数ヶ月経ったら、又、元気に復帰できるような病気ではなかった・・・。
文学や芸術に、病気の視点を加えることは、邪道かもしれないが、人の心の理解には、やはり欠かせないものである。当時の文学者が暗い妄想に囚われた原因に、やはり、結核は重要だ。
病気以外にも、戦前のメンタルトラブルは、戦争、社会の不平等、理不尽さが、人々を苦しめていた。結核の影響力は、極めて強いものであったであろう。
今も昔も、人のメンタルトラブルは、身体的な病気を基盤に起きやすい。
がん、神経難病など、進行性の苦痛を伴う病気が起きた時、気持ちの落ち込みがない人など、いないだろう。
メンタルトラブルが、さらに元の病気も悪くするという悪循環もつきものだ。
メンタルと肉体の両方が悪い影響を与えあって行く・・・。
現代のメンタルトラブルは、忙しい仕事、競争の激しい仕事など、厳しい時代であるのだが、昔よりずーと良くなったことは、症候性のうつ病(文末に説明)が無くなった事である。これは、大変ありがたいことで、病気がなくなったことで、この原因による人の心の病気は減った。
メンタルトラブルは、絵画、音楽、などの芸術として昇華したものが多い。
こうした作品を見ながら、心の問題を一考するのは、大事なことであると思う。それは、大事な認知行動療法の一種であるとも言える。
少しづつ、自らがうつを克服していくのは、認知行動療法である。
残念ながら、その方法に画一的なものはない。しかし、社会の中のいろいろな出来事や経験から、ヒントにつながるものは多くあるはずである。
追い詰められた心を描く文学や音楽にも、人の強さが潜んでいて勇気づけられたりするものである。
ふりかえって、当時の医師たちの立場を思い測ってみよう。患者である若い芸術家の苦悩と死を前に、医師たちは、医学の無策をつきつけられたことだろう。
作家たちが結核で苦しみ、その苦悩が、絵や文学から垣間見える時、当時の医師たちはどのような思いでみつめたのであろうか?身近に治療にあたっていた医師であれば、患者さんたちの作品は、見たくなかったのではないか?と思うのである。
(症候性のうつ病とは、別の体の病気に伴って発症してくるうつ病である。今なら、代表的なものに、糖尿病性うつ病とかがある。)
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