悩ましい感情を抱え込んだり、不利な考え方をしないで済む人は、自らで認知行動をいつもしている人ということだろう。

昨今は、新聞、広告ポスターで、「うつの時に、医者に行きましょう」との啓発広告がめだつが、その先が大事だ。医者も薬も、限界がある。本当にいいものかどうかは、結果がでるまでわからない。
 
医者に行こうが、行くまいが、薬を使うが、使わないがに限らず、認知行動療法は、いつでも大事だし、長期的に有用だ。
 
認知行動療法は、ちょっとした日常の出来事でもいろいろなヒントがある。
日常で見かけた出来事に、いろいろと考えさせれることがある。
 
認知行動に関連した毎日の出来事を紹介してみよう。
私が、実際に経験したこと以外でも、参考になるかも・・・と思われる事を書いてみようと思う。
 
うつの原因となるものがすぐには無くならない時、医師も薬もだめな時、そうした場合には、エネルギーロスを避け、ここぞ!の時に、エネルギーを、小出しにして時間をかせぐことがよさそうだ。
 
毎日のがんばることを最低限に減らして、状況の変化を見ながら、過ごす人の紹介である。
 
早朝のファミレスでのレストランに、やや肥満傾向の中年の女性と、二十歳過ぎた息子と思われる青年が食事をしていた。
 
二人は、入口近くのテーブルに向かいあってすわっているが、息子は体を半分以上、椅子(ソファー型)からのりだして、レストランに新しい客が入るたびに、客を目で追って行く。
 
私もじろじろと見られた。私は、少し、ぎょっとなった。彼のしゃべり方から推察して、彼は知的障害があるようであった。彼は、口の中に食べ物をもぐもぐさせながら、大きな声で話す。一方、答える母親の声は無表情で小さな声である。
 
息子はしゃべったり、食べたりであるが、息子の言葉はほぼ独り言に近い感じであり、母は、無表情に軽い相づちを打つであった。
 
朝食を済ませて、二人は出ていったが、母親は、店員さんに「お世話様でした」と、はっきりした声で言った。この声は、以外な位に明るく大きかった。店員もにこやかに返していた。この二人は、なじみの客のようであった。
 
母親は、息子をここまで養育する過程で、ずい分と苦労をしたであろう。母親があの静かさにとどりついたのは、その結果かもしれないと思った。
 
過去には、母親は、あせったり、悩んだり、しかったりしたと思うが、今は静かな様子であった。
母親は、かつて、子供の将来を憂えてうつとなったかもしれないし、疲れて、子どもと離れたいと思ったこともあったかもしれない。
しかし、今は、息子とは、今の関係で落ち着いている。息子も、母といることで安心している。
 
この母親は、安定した気持ちを保ち、無駄なエネルギーを使わないようにしているのだろうと思った。しかし、母は、スタッフに感謝の言葉は、しっかり伝えた。
 
こどもの病院では、重大な先天的な病気をかかえて、かつ知的障害を伴う子どもが多い。
若いうちは、何とか親もやっていくのだろうが、子どもが成長するにつれ、解決できない難しいい問題が子どもに起きてくる。両親も歳をとってきて、体力も気力も低下する。
 
話しは、変わるが、私が知っていた喘息児の母親は、とても静かな人であった。彼女の子ども(喘息児)は、知的障害があり、子どもはしゃべれないが、母親もほとんどしゃべらない人であった。
 
最初、私は、この母親はしゃべれないのではないか?と疑った。病気の事を説明しても、理解してくれたのか、はっきりしないし、質問も無いからだ。しかし、だんだん慣れてくると、母親は少しづつ話すようになり、今までの出来事を断片的に話してくれるようになった。その語り口は普通であった。
 
母親は、子育てに疲れてうつになり、子どもを施設に預けたが、子どもが施設になじめなくて脱走を企て、飛び降りて骨折をしてしまった。そのため、その後は、再び、母子で一緒に住むようになったとかの話であった。
 
母親と一緒なら、子どもは安心する。障害ある息子は抱えれば、母親はうつになっても、前に進むしかないのだろうと思った。
 
母親は、覚悟を決め、エネルギーを無駄にせず、静かな気持ちを維持してがんばっているのだろう。
子どもに病気があれば、親は落ち込む。しかし、多くの親は、それぞれのやり方で、エネルギーをため込みながら、乗り越えているのだろう。
 
先ほどのレストランでの母子のカップルの話に戻るが、母親には、息子が、レストランに入る客たちをじろじろ見る理由がよくわかっている。
 
息子は、まわりを見ていないと不安になるのだ。入口近くに座るのは、息子がそこを好み、息子はそこが安全な場所と感じるからだ。
 
彼が大きな声で話すのは、聴力も問題もあるかもしれないし、彼にとって必要な手段だ。
 
一方、入口に陣取った息子からじろじろ見られた人は、最初、不快に思う。「なんで見るのか?」、「なんで入口近くに座っているだろうか?」と考えるかもしれない。

もし、彼の障害に気づかない場合、人々の反応はどうなるのか?じろじろ見られた人は、不快に思う、不安に思うなど、さまざまなものとなる。
 
「じろじろ見られるのは、私が変なのかもしれない」とか、「私の○○がいけないのかもしれない・・・」と不安の心をかかえてしまう人は、要注意の人である。このように、不安を感じやすい人は、自分に問題があると思いがちなのだ。
しかし、現実は、相手に問題があるのである。
 
障害のある彼は、本人の不安を解消したくて、人をじろじろ見ているのだ!と知れば、人々は穏やかな気分に戻れる。障害者に慣れている人なら、彼の心はすぐ理解するだろう。
 
相手の状態を推し量ることができれば、こちら側は、無駄な不安や不快から解放される。不安を感じやすい人は、傷つき易い人でもあるので、悪いように思いこむ前に、相手の状態を思い測ってみることが必要だ。これも、認知行動と言えるだろう。
 
人は何かひどいことをされたと感じて落ち込む時、自分自身に問題があるためではないかと悩んだりする。しかし、相手が病気だったり、隠したい事があったりなど、相手が困った状態であることが少なくないのである。
 
誰かに感じ悪くされたとか、意地悪された時、相手の余裕の無さを知ると、受け取るストレスは減らせることができる。
 
憎い相手に、ばちが当たれば良いなどと考える必要もない。傷つける行動を学ばせてもらったと思えれば、こちら側は十分、報われる。

自らが、悩ましい感情を抱え込んだり、不利な考え方をしないで済む人は、自らで認知行動をいつもしている人ということだろう。
 
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック