羽生選手の活躍がすばらしいが、彼のコメントもとても自然体だ。「すごく、緊張した」、とか、「足が緊張でがくがくした」、とのコメントを聞くと、多くの人が、「君のような天才もそうなんだ!」と感じて、安心したりする。
足がガクガクしても、超越した演技をすることができるのだから彼らは別人だ。緊張して萎縮する一般人と、一流選手は違うと思えども、羽生選手の「がくがくした」との言葉に多くの人が親近感を感じるだろう。
人がみつめる中で、何かをやらなければならない時、多くの人は、本来のことができなくなることが多い。プレッシャーの中での作業は、ストレスを多く感じてしまうものである・
日常的なイベントでも、似たようなことはある。
試合だと、本来の力が出ないのはあたりまえである。
ゴルフの最後のチャンスので、手がしびれるという話も良く聞く。
医者に行って聴診器を当てられ、「大きく呼吸してください」と言っても、普通の深さの呼吸が出来なくなる人もいる。意識すると、深呼吸が難しくなったりする。
医者の前で血圧が高くなる白衣高血圧も、よくある現象である。
人は、ドキドキしてはいけないとか、気が小さいと思われたくないなどと、意識してしまうと、かえってドキドキしてしまうものである。
今回、活躍の羽生選手の素直なコメントには、学ぶことが多い。
自分に弱いところがあったら、それを最初に自分から言ってしまうというやり方である。そうすることで、プレッシューからは、逆に遠ざかれる。
インタビューアーから、「緊張してしまいましたか?」などとストレートに聞かれた時、成績が悪かった選手は落ち込むし、成績が良い選手は、おごりを見せない優等生的な答えをさがして迷うだろう。
選手は、足がガクガクしても、スケートリンクに降り立った時がピークで、滑りだすと、体内コルチゾール濃度いっきに高まって、スケート時はハイな状態になると思う。スポーツに限らず、舞台で歌う歌手が、出だしはだめでも、途中から一気に歌がうまくなることがある。
人は、気持ちがあせっているのに、逆に無理して感情を封じ込める作業をすると、うまくいかない事が多い。
何か悩みがある時、何とか、他人が気づからないうちに治してしまいたいと思ったり、隠しておくべきと思い込む時、そのプレッシャーが表に現れてしまい、かえって苦しむものである。
うつで仕事を止めた人が、うつを治して早く復職しようとすると、うつ克服ばかりをあせりプレッシャーとなる。
特に、PTSD(外傷性ストレス症候群)などで苦しい実体験によるうつの時、イベントのはっきりしない内因性うつより、薬の効果は出にくいように思う。
東日本大震災を経験した多くの人が、PTSDをかかえている。
抗うつ薬は活用すべきと思うが、いろいろな理由で薬を飲みたくない人が少なくない。
こうした人は、飲み続けてもそれが奏功することは少ないと思う。
特に、男性は、抗うつ薬を止めてしまう人が多いようだ。
彼らは、薬を止める事に不安をかんじながらも、薬を信じることができないようだ。
自ら判断しているのだと思う。
こうしたタイプのPTSDの人では、それぞれに認知行動を工夫しながら、新しい経験を上書きする作業が奏功しそうだ。周りに力になってくれる人、認知行動のヒントをくれる人がいると良いと思う。
少しづつでも、新しい経験を重ねて、苦しい思い出を上書きしながら、毎日を過ごしていく。
動物実験の結果でも、ストレスの条件を設定したネズミに、その後、似た条件でストレスに変えて、快楽を与えると、ストレスの消去が進み易い。
動物の脳は、ストレスを忘れるように、仕組まれている。
子育て中の、毎日のイベントに追われる女性は、毎日否応なしに起きる出来事で、心のストレスが上書きされてしまい、結果、悩みが緩和されやすい。
しかし、子どもが育ち、そうしたことが少なくなる更年期になると、それまでにつのった感情で我慢がきかなくなるようである。
昔、悔しかった事、昔、好きだった人、昔、隠していた事、きらいな夫、などの思いにとらわれて苦しむようになる。
女性の毎日の生活において、上書きできるようなイベントが少なくなってしまったことによるのだろう。
不得意なこと、避けたい事は、隠さず自らで明らかして、乗り越えてしまうことは、生活の知恵である。そして、不本意な出来事は、別のイベントで上書きしてしまい、忘れてしまう事が大事なのであろう。
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