羽生選手、金メダルおめでとう。
彼の細く、ハガネのような体は、ジャンプの後に氷面に鋭角に立つことができ、飛んだ後に倒れず立ち直ることができる。技術に裏づけられた羽生選手の気合を感じることができた。
試合前、試合中の羽生選手がよせる眉間のしわは、悩める青年像を象徴する国宝の阿修羅像を思わせる。
緊張に耐え、やり抜こうという表情は、どこか宗教的な感じさえする。プロ、アマを問わず、カメラマンにとっても、彼の表情の多くは、シャッターチャンスと言えそうだ。
従来、大きな二重の目が美形の典型だったが、彼の目は切れ長の東洋的な美しさがある。
相変わらず、羽生選手のコメントは興味深いが、金メダルを取ってからも、プレッシャーについて、素直に語ってくれた。
「プレッシャーは、僕だけではない。誰もがプレッシャーを感じている。プレッシャーの条件の中での勝負だ。プレッシャーの中で、どれだけのことをやれるかの勝負だと思う・・・」のようなコメントであった。
プレッシャーに負けて失敗すれば、自分自身はそれだけのものだ!と羽生選手は言っている。
うまくできれば自己満足するが、できない自分を責めることはしない、とする考え方である。
プレッシャーにつぶれた自分自身を反省する時、「僕は、これだけの者だった。しかたない。」と肯定する。
つまり、悩みを引きずらず、落ちこまない。だめな自分も受け入れるということである。
もっとも、彼のような天才は、次はもっと上を望む。しかし、普通の人にとっては、“できない自分”を受け入れるための教訓と言えそうだ。
多くの男性は、夢みる年を過ぎて、ある年齢に達したら、そうした悟りの境地で生きているのだろう。
一方、女性は、先を見るということが得意ではなく、その場の状態で判断することが多いと思う。
先日、裕福そうな女性たちが4-5人集まっておしゃべりをしていた。
そのうちのひとりの女性が、「この間、喘息で入院したけど、治っているのに、なかなか医者が退院させてくれないのよ。そして、医者が言うことには、あなたの症状はメンタルだ!なんて言うのよ。それを聞いて、私は、わかりました。それなら、メンタルは自分で治します、と言って退院してきたのよ」
と、彼女が病院で起こしたトラブルを、憤慨しながら語っていた。
残念ながら、この女性は、次に又、起こるであろう喘息発作を想定していない。
他の病院にいけばよいと思っているのだろうが、案外、元の病院に戻されることもある。
こうした想定能力の欠如は、女性の強さでもあるし、弱点にもなる。
男性は、退院したい時には、医者に言い訳をするだろう。やれ仕事があるとか、やれ会社を首になるとかの理由をつけて、医者に退院を頼みそうだ。次の病気を考えて、病院に捨て台詞は残さない男性が多いと思う。
テレビの番組で、男性の通行人に「あなたは、夢はありますか?」と聞く番組があった。
この街頭インタビュー調査に対し、「夢がある」と答えた通行人が半分で、「無い」と答えた通行人が半分であった。
スタジオにいた女性タレントは、多くの男性は夢があると、インタビュー前に予想した。意外が結果に、スタジオの女性たちが沸いていた。
人は誰でも、夢をもっていると思うが、ある時期から、男性は、夢を持たないと答えるようになるのだろう。
少なくとも、人前ではそうした態度をとる。夢はあってもかなえることは難しいことを知るようになるからと思う。
先を良く読むのは、男性的な思考回路であると思う。
男性は、毎日の収入源(仕事)を得ることが、何より大事だ。
つまらなくても、仕事を飽きず、続けていくことが大事だと思っている。
その中で、“私は、この程度の出来だ!”と思っている。良い意味でも、悪い意味でも、現状肯定の考え方をしているのだと思う。
現状肯定の考え方は、病気を得た時に、役に立つ。
何かの異常を指摘されると、その異常が取れることだけを考えて、気に病む人がいる。
一億総検診時代、国の方針は、検診さえすれば、人々が健康で働けると思っているらしい。
労働者は、検診が義務づけられているが、検診で異常を確定するのは難しい作業である。
レントゲンに影がでました!、心電図に異常があります!、血液検査の原因不明の肝機能障害があります、などと、検診で言われて、一気に落ち込む人がいる。
体の異常が、原因不明と言われると、多くの人が不安の材料を抱え込む。
検診を多くの健康人に行った結果、新しい病気もみつかるようになった。
こうした病気には、データが無かったり、診断名のつかないことも良くある。
しかし、検査の結果が良くならないと、病気が続いていると考える人がいる。
検診でみつかる病気には、まだ、診断や治療の方針や結論が出ていないものも多い。
異常値が一生続いても、生命予後は変わらないものもある。それは、病気とはいえないだろう。
人は、健康であるかどうかを、常にチェックしようとすると、異常値に悩まされてしまうのである。
はっきりした病名を言われなければ、異常値にとらわれることはないのだ。
正常の考え方を変えてしまうのが必要な場合もある。
こうならなければいけないと考えてしまうと、そうならない時の葛藤が大きいのである。
病気に限らず、何事も、「これで良い!」{私はこれだけの者}と居直ることは、悩まない人生に必要なのだと思う。羽生流の現状肯定の考え方でもある。
たとえば、うつの人は、早く治したいとあせったり、どこかに良い医者が薬があるはずとしない。
アトピー性皮膚炎の子どもをもった母親が、つるつるの皮膚でなければいけないと、ドクターショッピングしたりする話があるが、これも無駄だ。
他人に依存することは、体力や気力を消耗させる。
気力、体力が消耗した末に行き着くのは、不安と不満である。
うつに落込まれることも多い。
体力と気力の保持は、どのような病気や環境でも必要なスキルだ。
病気を治したいとあせる人に、はまるリスクある。
世の中には、ニセ専門家、ニセ情報があふれている。
情報を出している本人が信じ込んでいる場合が多いので、たちが悪い。
偽ベートーベンが、これだけ非難される今の時代に、なぜ、偽広告はこれだけ許されているのだろうか?
眠れる食品、体を若返えられる食品、病気の元を取る薬、など、昨今の新聞の広告は、でたらめに満ちている。
最後に、羽生選手の話題に、再び、もどるが、彼は、立ち直るための考え方、めげない考え方、現状肯定の考え方を示唆している。
こうした人でなくとも、日常的な周りの人たちとの何気ない会話からも、はっとさせられる言葉にめぐりあえるチャンスはいくつもありそうである。
コメント