家政婦は見た!考:家族が仲良く幸せに過ごして欲しいと思っているようで、実際には家族の傷口に塩を塗るタイプの女性が、もし、実際に身の周りにいたら・・・・

 
新聞の新番組紹介欄の情報によると、家政婦は見た!という番組が始まるとのことであった。以下(赤字)は、新聞の紹介文章である。
 
登場人物は皆意地悪なのは、この作品ならでは。家政婦沢口の性格も例外ではない。どこかで家庭を崩壊させようとしているようにふるまっている。
(家政婦が)基本的には、家族がひとつになって仲良く幸せに過ごして欲しいと思っているようで、実際には家族の傷口に塩を塗るタイプの女性
 
これはドラマなので、誇張されているのだろうが、実際に、心と行動がうらはらな日常生活を送る人のメンタルは、どうだろうか?と考える。
 
意地悪をすることは、疑いもなく、本人に、とても悪い影響を及ぼすであろう。
 
嫌いでたまらない相手に対して、従順で尊敬しているふりで相手に従う。こうした暮らし方が長く続けば続くほど、いろいろな不快な症状につながりそうである。心と行動のギャップは、本人が本人を傷つける状態だ。
 
うつ、不眠、いらいら、性格異常、ヒステリー、めまい、体の違和感などにはじまり、妄想、行動異常となることもあるだろう。その関連に、本人自身で気付いているか、そうでないかの程度は、その人次第で異なる。

雇い主から、人格や感情を無視される使用人、
夫からバカにされ続けながらも、結婚生活を続ける妻、
怒られながら、軽んじられながらも、雇われ続ける状態など。
 
紹介のテレビドラマにある、善人を装って、雇い主に意地悪する人生と同じだ。

ドラマであれば、雇い主が悪い人である必要がある。そうでなく、雇い主が善良な人格者だったら、ドラマにならなくなる。
 
家族が仲良く幸せに過ごして欲しいと思っているようで、実際には家族の傷口に塩を塗るタイプの女性が、もし、実際に身の周りにいたら、人々はがまんできるだろうか?
 
特定の人から意地悪されたら、人々は気付く。最初はだまされても、結局、見抜ける。
そして、こんないやな奴がこの世にいるのかとあきれるだろう。
 
主人の傷口に塩を塗る行為をしている本人自身も、自分自身に嫌気がさして、その人自身が、一番、傷つくことになりそうだ。自分自身の良心に対して裏切り行為をしていると、自らのメンタルヘルスに及ぼす悪い影響が大きいのである。
 
現実に生きる人なら、我慢の人生は、どこかで切り上げた方が良い。
仕事を止める、雇われるのをやめる、離婚するなどの選択肢である。

昔は、身分が厳しかった。
越えられない社会階級の中で人々は育った。そして、昔の人は、がまんができた。選択肢も無かった。
「私だけでない!」と、周りの人のがまんを見て、生きられた。
殿から切腹の指示がでたら、家来は死ななければならなかった。
 
昔の映画には、丁稚が番頭に怒られたり、女中が主人からバカにされたりの場面はよくある。使用人は、ご主人とその家族のご機嫌を精一杯とっていた。御主人を怒らせたりしたら首になってしまう。
 
1980年代の映画「細雪」は、多くの名優をそろえ、映像美もさることながら、佐久間佳子、吉永小百合の美しさを余すところなく映し出した作品である。
 
この中にも、わがままな女性たちに、必死につかえる使用人(女中たち)が丁寧に描かれている。原作者は、使用人に温かい目を向けていた。
こうした使用人たちの生活の知恵や感情表現は、映画のみどころでもある。弱い立場の人間を温かい目で見る視点で描かれる。こうした場面で、映画のメッセージ力は増す。
 
他の小説やドラマで、丁稚や女中が出世して、主人と逆転するストリーになるものがある。
苦境にあった使用人が努力を重ね、成功して金持ちになるサクセスストリーは楽しく、人々は好んでストリーを追う。
 
そして意地悪だった元主人が、反省する、改心するとかの展開も良くある。
しかし、元の主人に対する復讐が展開されるストリーづくりもある。
その復讐がどぎつ過ぎると、読者は嫌気がさす。復讐は、小説やドラマの主人公にはふさわしくない。
人々は、努力せず威張る人、怒る人が嫌いである。これは、社会に存在する人々の普遍的な価値観というものかもしれない。
 
では、個人主義の外国ではどうであろうか?
 
享楽的で贅沢な暮らしの主人公の父子は、南仏の避暑地の別荘で、若い女性の姉妹を雇う。この姉妹が、雇い主に対し、反抗的な態度を示す様子が出てくる。使用人の姉妹が、愛人家業の女性を軽蔑し、いやがらせをしたりする。
 
ホームパーティでは、給仕役の姉妹が勝手に酒をぐいぐいのんでしまう場面などがでてくる。
つまり、この使用人姉妹は、自らの価値観に正直に生きているようである。
 
使用人姉妹は、贅沢な暮らしにジェラシーを感じながらも、自らの価値観をしっかり持っている。雇い主に批判的な気持ちを持っていることを隠そうとはいていない。尊敬できる女性に対しては、従順である。
 
使用人だが、ごまかさない生き方のようだ。1950年台の作品と言え、すでに、個人の尊厳が大事にされている印象を受ける。

もっとも、この映画自体が、享楽的な生き方に対して、批判的な目を向けている作品なのであるが・・・。
 
この映画に主演した、お金持ちでわがまま一杯のお嬢さん役を演じた女優ジーンセバ-クは、その後、自殺している。映画の中での彼女の暗い表情を見ていると、感慨深い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
 
もっとも、社会格差の厳しい外国では、使用人が、主人の食べ物に鼻水をおとしたり、咳をふきかけるとかの嫌がらせ行為があったようだ。
 
人々が格差の社会を生きた結果、多くの人々は身分の無い社会を望むようになった。
雇われる人は、多くの権利を持ち、雇う側は多くの義務がかせられている。
今は、人を雇うことがとても難しい時代になっていると思う。しかし、人々にとって、良い時代になったことは確かである。
 
我慢の人生は、メンタルヘルスを傷つける。
昔よりはずっと改善された社会環境のはずなのに、新たな悩みも出てきた。権威が消滅し、人々が、あきらめたり、がまんすることが難しくなっているようだ。
 
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