社会規範の殻をかぶり、真実を見ない人
既成の道徳の鎧によって、生きた心の動きを被っている人
1月12日の本ブログに、河合の文章を載せた。河合は、建前を重んじて現実を見ない女性を、既成の道徳の鎧を着た人と批判的に表現している。
しかし、女性がそうした思考回路になる理由は、女性の置かれた環境や立場の影響があるのではないだろうか?
では、どんな状況の女性が、社会規範の殻をかぶり、真実を見ない人なのか?
「浅田真央は、メダルもとれなかったのに、なんであんなに大騒ぎするの?」との意見について考えてみよう。
実際に、マスコミに、こうした浅田への批判の投書がある。
こうした人は、河合の言う 「既成の道徳の鎧によって、生きた心の動きを被っている人」 かもしれない。
しかし、女性の立場にたって、もう少し考えてみたいと思う。
浅田真央は、人々を感動させた。メダルを取らなくても、マスコミは大騒ぎをした。
それは、彼女の演技が多くの人の心をとらえたと、マスコミが確信しているからである。
スポーツは、人の技を見て楽しむものだ。その技がすばらしいとマスコミは確信し、大騒ぎをしているのだ!マスコミには、この映像のレベルが高く、収益となることがわかる。
マスコミは、人々が求めるものに、極めて敏感だし、それが商売でもある。
実際、氷上の浅田選手は、いつも強く美しいし、今回のソチのファイナルでは、とても難しい事を成し遂げた。
しかし、その難しさを理解しない人はいる。人はすべて、その人の物差しで判断するので、世間が浅田選手をなぜ称賛するのかの理由が分からない人がいるのである。
今回の浅田を評価しない人では、評価の物差しは金メダルを取る事なのだろう。
一流選手は、プレッシャーがあっても、乗り越えられるはずと考えている。大事なショートで大ミスしてしたら、名選手の資格が無い!と思っているだろう。結局、極めて困難なことにチャレンジしているとの評価が薄く、人がやることへの想像力が足らないのだと思う。
大ミスしたからこそ、翌日の浅田の演技にさらなるプレッシャーが加わることが想像できない。だから、重いプレッシャーを乗り越えた完全演技も評価できない。
今回の浅田を評価しない人では、世間の評価の視点が変化しても、そこを追う事ができないのである。あえて、世の趨勢を追いたくないと考える人もいる。他人とは違う思考を選ぶ人もいるが、今回は、こうした人を論じていない。
もし、女性の短い物差しを誰かがなじったら、その女性は怒る。
女性は、自らの短い物差しを自覚できないからこそ、怒るのである。
一般論だが、受け身で生きる女性は、できないことを迫られる機会を逸してしまう。右か左かの判断をつきつけられる機会が無い。
人から非難される状況になっても、自らで分析して悩みを解きほぐすことができないのである。
葛藤を自己解決できないでいると、その先にある被害妄想へとつながるリスクがある。
しかし、自らの人生の物差しの短さを、自覚さえできれば、被害妄想を回避しやすい。
無理して、急いで物差しを長くする必要は無い。想像や実体験をして、自然と物差しは長くなる。
物差しを長くするには時間がかかるし、本人の努力が必要だ。
しかし、しっかりしたやさしい夫がいる家庭婦人は、短い物差しで人生を過ごせたりしてしまう。
寛容な夫であれば、妻に想像力の欠如があっても、あきらめてつきあってくれる。しかし、男性自身の労働環境が苦しくなり、夫のメンタルヘルスに余裕が無くなると、無理解な妻の行動にイライラしてしまうので、妻のメンタルヘルスも悪化してくるだろう。今は、中年過ぎた夫の雇用問題が大きいようだ。
たまたま、修羅場の無い順風満帆の人生だったら、女性にとって、良い人生と言えるかもしれない。
しかし、世間知らずな女性、真実を見れない女性、想像力を欠く女性は、男性からは、非難の対象である。
口うるさい男性評論家が、こうした女性を評価して、「既成の道徳の鎧を身につけた人」と非難するかもしれない。
医療現場の話に例えると、医師はなんでもできなければいけないと思っている患者さんがいる。
病気を診るという作業が難しい事が理解できないのである。
こうした思考の患者さんは、
誤診された、
こんなになるはずがない、
助かったはずが助けられなかった!
と悔しい思いにかられて、苦しい思いに長くとりつかれてしまったりする。訴訟に出る人もいる。
短い物差しで判断したことで苦しんでしまうのである。
しかし、自らの物差しを変えることにより、悩みが救われたりする。人が最大の努力をしたことであれば結果を問わず、お互いに認め合うというのは、人間共通のルー-ルである。
人生で起きるすべての問題に対して、物差しを長くする事などできない。すれば、身の周りの現実の出来事に対し、少しでも物差しを長くしたい。それが、心の負担を軽くしていく。
浅田真央の演技の話題に戻るが、彼女は、演技後、あふれる涙を落とすまいと上を向き、首が後ろに落ちた。そして、後の首をしばし元にもどせなかったようだ。つまり、浅田選手は、その位、感情が高ぶり、体のコントロールがきかない状態になったと想像する。
大きなプレッシャーと不安を克服し、重い責務を果たしたとの彼女の万感の思いが伝わる。聖なる映像だ。
しかし、私が気になるのは、この涙の浅田真央の写真が、一社のマットレスの宣伝に使われている現状である。
公的な映像への許可は、もっと規制があってもいいと思う。彼女の写真の使われ方が不快であると思う人は少なくないだろう。
マットレスで眠れるとかの評価は、個人的なもので、思いこみが働くものである。これに、浅田選手の涙の映像は不釣り合いだ。暗示効果を誘導する過大広告に見える。批判はあっても、新聞に出してしまえば勝ちだ。彼女の映像効果で、素晴らしい眠りを保障するマットレスとの誤解の刷り込み効果を狙ったものだ。
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