“徹子の部屋”で、歌劇蝶々夫人を放映していた。
西村知美氏ら一流の音楽家たちを、そろえた演奏会の映像であったが、この日、ナレター役の徹子さんは、なぜか、興奮していた。
徹子さんの企画だったのか、長寿番組へのごほうびだったのかわからないが、徹子さんは、蝶々さんの悲しい運命を、涙ながらに語っていた。徹子さんの脳裏には、“日本女性への侮辱”という感情があったのかもしれない。
最後は、徹子さんによる絶叫的なアリアというか、アリア的絶叫というか、徹子さんの叫びで締めくくられた。彼女によいしょ!という感じの番組構成であった。
歌劇蝶々夫人のストリーは良くしられている。
簡単には、明治の頃、上官について来日した西洋人が、日本の蝶々さんと結婚した。夫が帰国し、蝶々夫人は残されてしまうのだが、蝶々夫人は結婚したつもりでいたので、夫の帰国を信じていた。
長く待たされた後、ついに、夫(ピンカートン)は、帰るのだが、その時には、同国人の妻をつれて来たのである。そして、無神経にも、妻と共に、蝶々夫人を訪ねた。自らが妻と信じていた蝶々夫人は、侮辱を受けたと判断して息子を残して自害して果てる。
悲しい運命に散る蝶々夫人は、死の直前に有名なアリアを歌う。夫を待つ期待で歌う楽しいアリアと、死ぬ前の覚悟のアリアを、対比させる。美しい歌声が、人の涙をさそうようにオペラは構成されている。
蝶々夫人の自害は、その時代の教育の影響によるものが大きかった。男性支配の価値観は、夫をすべてとし、女性の自己判断を奪い、を窮地に追い込むものであった。男性が女性支配するには便利な考え方ともいえよう。
現代でも、今のイスラムの女性にそうした価値観が残っている。イスラム女性が寡婦になったら、その後一生未亡人であり続けるらしい。夫が人生すべての価値観を、女性に植え付けている。
イスラム未亡人の女性のこの苦しさが、自爆テロの温床になっているという。
残された女性は、「もう私はどうなっても良い!夫を奪った奴がにくい!」との自暴自棄の窮地に追い込まれ、テロを実行させる。蝶々夫人も、名誉を傷つけられた人間は死ぬべしとの思想を、親から受けて育っていた。
さて、このストリーは、現代を生きる子どもたちには、どのようにうつるだろうか?
今の学校教育であれば、人はどのような逆境でも強く生きることを教えることだろう。
このストリーは、どう幸せに生きるか?を考えるための教材に満ちている。又、学校教育の場に限らず、大人が心理学や幸福を学ぶ時に議論する時のための課題を提供している。
なぜ、蝶々夫人は死ななければならなかったのだろうか?
蝶々夫人が強く生きるためには、どう、考え方を持つべきだったのか?
蝶々夫人は、港に船が入り、幸福の絶頂で「ある晴れた日に」を歌う。その後は、「かわいい坊や」を歌い、さらに、「生き抜くために」と歌う。そんな風でもすばらしい作品になりそうだなあー、などと、私は勝手に想像する。
死ぬ事を止めた蝶々さんが、生きるためのアリアを歌うというのも、現代的で良いのではないかと思う。
人の幸福論を論じる時に、アルフレッドアドラーによる個人心理学が、最もふさわしい答えが引き出されると思う。個人心理学と訳すると、ぼけてしまうが、人生の幸せは、個々の人でつくりだせるものという考え方が、アドラーの個人心理学だ。
アドラーの説は、人の考えや幸福感は、個々の人に根ざすとするもので、個人がどう考えるかで、幸せを作りだせるとする。つまり、アドラー心理学では、幸福の追求過程として、蝶々さんは、立ち直らなければならない。立ち直ることが、人としての追求すべき課題である。
そうした意味で、蝶々夫人の自害の行動は、悪い例を提示することになる。蝶々夫人は、自らを第一とすることができずに、他人の価値観にふりまわされ悲しい選択肢をしてしまった。
アドラー心理学では、幸福になる鍵は、本人が持つ。幸福の鍵を握るのは、他人ではない。そして、他の人が幸せになろうとする判断に、自らは介入しないと説く。
アドラー心理学では、人々をとりまくもろもろの人生課題について、自と他を分離するように勧めている。課題の分離とは、自分が考えたり行動することと、他人が考えたり行動することを、切り離せという教えである。
相手(ピンカートン)が、自国の女性と結婚したのは、彼自身の選択であり、それは彼の問題である。
そこに蝶々夫人が影響を及ぼせなかったのは残念だが、蝶々夫人の問題ではない。介入できない課題なのである。振り回されるのは、不幸を呼び込む。
彼にとっては、自国民の彼女の方が蝶々夫人より良かったのである(課題の分離)。
つまり、蝶々夫人は誤解をしており、それを知った時には、そこに執着してはいけない。他人の課題には介入しないのが、個人の幸せを追求するために必要である。
裏切られた蝶々さんは、つらく苦しいことがあっても、自らが幸せになろうとする気持ちや努力は持ち続けなければならない。
決して、蝶々夫人自らの存在そのものが、名誉を汚されたわけではないと、蝶々さんは考えなければならない。
この経験を生かして、次の失敗を避けていくスキルとしなければならない。
(夫が帰ってくると)勝手な誤解をしていたのは、蝶々さんのミスでもある。蝶々夫人が結婚したと思ったのも、誤解であった。
蝶々夫人は、相手(ピンカートン)も思ってくれているはずと想像したが、現実はそうではない。だから、自らは誤解していたと悟り、相手の選択肢には介入しない。
次のステップは現状をどう乗り越えるかが大事だ。蝶々夫人が、自身をどう考えて、ダメージを最低限にするかは、彼女の大事な次の課題となる。
しかし、蝶々夫人は、自らを滅ぼす行為に及び、残された人に、最大の不幸を呼びこんでしまった。残された子ども、夫(ピンカートン)にも、重いつけを残した。アドラー心理学では、最も望ましくない解決策であった。
アドラー心理学は、蝶々夫人の自害後の、夫(ピンカートン)の心は問題としていない。ピンカートンは、忘れてしまうかもしれないし、どの位、トラウマとして残るかもわからない。
そこは他人の課題であり、蝶々夫人の課題ではない。所詮、他人の心は、分離すべき課題の一つにすぎない。
当時の日本が、まだ欧米なみの力を備えていないからこそ、日本女性も軽く見られていた。
当時の時代背景は、日本は西洋とは同じレベルではなく、富や文化レベルは、西洋よりはるかに低レベルであった。そんな時代に生きた蝶々夫人は、彼女個人の名誉棄損というより、日本そのものの評価が低い故に起きたとばっちりでもあった。
西洋人からは、当時の日本は野蛮な国という印象だったであろう。開国後の日本は、西欧文化に追い付け追い越しを続けた。明治や大正に名を残した作家は、いかに西洋の知識を持っていたかが問われていた。
永井荷風は、“わがフランスよ!自分は御身を見んがために、この世に生まれてきたごとくに感じる”と言っている。この頃の知識人は、フランスやアメリカにべたぼれし、いかに世界的価値観や教養を身につけるかで競争をしていただろう。
夏目漱石の“吾輩は猫である”は、高い教養があるとされる知識人の裏側を、あばいた内容である。その暴露作業を、猫にやらせた。
吾輩は猫である”が、一般人をひきつけた理由は、当時の人々は、強い憧れを西洋に持っていたことが背景にあるだろし、同時に、一般人は、知識人に対してジェラシーと強い皮肉の思いがあったのだろう。
今の子供たちには、あれこれ説明しないと、こうした時代背景は理解しないと思う。
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