アドラーの心理学を、半沢直樹ストリーで考えてみると・・・。勝手に想像してみると

 
先日、ある大手の工作メーカーの工場内をお邪魔した。

すると、このメーカーの壁に、京都の某寺院の名僧なる方が書かれた、自筆の色紙が飾ってあった。
その文章の内容は、今を大事にせずして、いつを大事にするのか?であった。
この言葉を見て、アドラーの「人生は瞬間のつながり」という考えと相通じていると思った。

この色紙は、瞬時の努力なしで大事は成さぬ など、努力が尊いとの基本姿勢も説いていた。

仏教は、刹那的感覚を大事にする。人は、明日はどうなるかわからない。
瞬時を大事に生きよ!は、人の生き方の基本なのであろう。

一期一会とか、瞬時を大事にする考え方は、日本に溢れている。
心の葛藤を避けるための、一種の悟りの勧めである。

仏教的な考えは、淡交と言う言葉でも表現されているように、他人に束縛されない、他人に期待しない生き方であろう。これも、アドラー的か?

東洋、西洋を問わず、人の寿命が限られた期間であることをふまえて、今を生きよ!、今を充実して生きよ!と人の道は説く。

訪ねた工場には、他にも壁にかけた言葉に、良い作品があった。
それは、ものつくりはすばらしい仕事であり、ものづくりをしようと呼びかける文章であった。
さりげない言葉で、ものつくりへの思い入れが伝わる作品であった。
汗にまみれ、苦しい環境で働くことになっても、ものをつくることは、人生がすばらしいものになる!と、書かれていた。
声に出しても、文章が流れるように続き、美しい詩のように思えた。
さりげないいいものを見つけたと感じた。

この工場は、高い天井で働く人の環境に配慮しているものの、薬品、振動工具などにさらされ、労働環境は厳しそうだ。
 
それでも、健康に恵まれた男性たちは、働いている。
70歳を過ぎて工場で働いている人もいる。聞けば、定年はないのだと言う。
ものづくりの仕事に憑かれた、努力の人たちであると思う。
 
アドラーの心理学は、万人のための、熟慮の先の考え方をしめているようだ。

では、皆がアドラーの心理学を良く理解して、そのように行動したら、どうなるか?

ドラマは生まれない、淡々とした世の中になるのだろうか?
忠臣蔵騒動も起きなければ、アンナカレーニナもない?・・・。

人気の銀行マンストリー、半沢直樹の倍返し、10倍返しはないかもしれない。

アドラーの心理学的発想では、そもそも、直樹の父親の自殺はない。銀行からの融資を断られて、うらみつらみの断腸の思いで苦しんだりしない。銀行の判断は、他人の判断だから、あきらめられるのである。

普段から、直樹の父親が、アドラー心理学的実践者ならば、自らの事業が他人たのみ(銀行たのみ)であることをいつも自覚している。
 
父親は、事業の経済的自立ができていないことを残念に思っているが、仕事は生きがいで続けたい。
工場の経営状況が悪くなり、銀行が冷たくなることは、覚悟している。
工場で働く人とも、そうしたピンチは話会っている。だから、銀行が冷たくなっても、想定内であきらめがつく。

直樹の父親が、実際に銀行の融資を断られた時、父親は、他人(銀行)の判断に大きな期待をよせたこと自体が、間違いであることを再確認できる。
 
結局、父親の会社はつぶれ、会社更生法を適応するなり、自己破産をして無一文になるなり、周りの人たちに配慮して、父親は可能な道を選択する。
 
直樹の父親は、最後は、日本の生活保護にはまるか、その後、生き方をみつけるべく、がんばるか・・・。

一方、息子の直樹は、そんながんばる親を見て育ち、事業をすることの困難さを知りながら成長する。
父親からは、粘り強さを学ぶ。
 
銀行員となってからは、危ない融資はしない。銀行は、福祉機関ではなく、商売として融資をする自覚を強く持っている。

しかし、直樹は、町工場の人たちの地味な努力や夢を知っている。いつも、町工場のおじさんと会話する。おじさんと、銀行利用について会話もかわしておくだろう。

直樹が、銀行内で立場が上がって、裁量権が増していけば、町工場の事業内容や将来展望を示して、銀行上部の了解を得ることができるようになる。直樹は、町工場でも、企業の展望を見抜いて融資をするようになる。

結局、融資をするかしないかは、最後は人が決めているのだろうから・・・。熱意が人を動かすことはよくあるだろう。

実際のストリーの放映の最後は、印象的だったが、直樹の一連の行動は、組織の和からはみ出したものだった。
直樹が、アドラーの心理学的発想をしていたら、倍返し、10倍返しなどにこだわらない。そんなことはしない。復讐は、上司が忌み嫌うこと、出る杭は打たれることも理解できるだろう。
 
そして、頭取が直樹を左遷させる事も、直樹は事前に予想できた。
 
勝手な妄想だが、こんな感じだろうか?
このような想像を膨らませていくと、やはり、ドラマは生まれないかもしれない。
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