老境に入る前に、人生で経験した我慢を、うまく処理しておく必要があるのだろう。

 
人は歳をとると、若い時には、我慢できたことができなくなる。女性の精神疾患が、男性より、人生後半に多くなるのと関係しているようだ。

人は、脳が老いていなければ、我慢するエネルギーがしっかり作れる。逆の言い方をすれば、老いた脳では、うまく我慢ができない。若い時は、自らの立場をわきまえ、将来を見通し、我慢すべきところは我慢できる。周りに気をつかい、相手の気持ちを想定し、自らは抑えて、良い人を演じようとする。
周りがハッピーであるように、努力する。ここは、我慢時だ!と判断すれば、自ら我慢を実行する。
 
波風をたてたら、自らの立場が悪くなって損!がわかる。だから、我慢する方への選択となる。
我慢がつらくなると、時に、相手にお願いしてみるけど、ダメそうならそれ以上は要求せず、再び、我慢を続ける。この我慢が将来、実を結ぶようことを信じている。
 
社会生活をする上では、誰でも、我慢は要求される。特に、生活の糧を他人に依存した生き方をしている人では、妥協と我慢が要求される。
 
そうした状況では、生活の糧をかせげる相手のご機嫌はいつも、気にせざるを得ない。
自らで稼ぎだせない暮らしは、つらい部分もあるが、責任もとらされないで済むし、能力の限界を試されたりもしない。
そこに甘んじるという選択になる。
 
夫に生活を依存していれば、妻は、家族の世話をやき、相手の喜びを自らの喜びとする人生を送ることで、妻が得られるものが増えていく。

今回も、新聞の人生相談からの発想である。投稿したのは、後妻に入った50代女性である。
 
この女性は、今回の結婚を何が何でもだめにしたくないとの思いだ。
しかし、夫となった男性には、先妻の子供が三人いて、その子どもたちと一緒に住んでいる。子どもは二十歳を過ぎているが、家を出ていく様子がない。夫は、それを容認している。先妻の子供は、炊事、選択の家事を、後妻の女性に押し付けている。
この女性は、結婚後は、家政婦のような扱いしか受けないような気がしている。女性が、やっとの思いで、洗濯をするように子どもたちに言うが、子どもたちは聞き入れないし、夫もそれ以上は言わない。

この相談では、この女性が、この結婚にしがみつく背景や理由は書かれていない。
 
投稿されたこの人生相談の答えは、作家が書いている。
このままでは、まずいので、まず、子どもたちと夫にしっかり、人生設計をたてさせるべきとある。
 
もちろん、それができれば望ましいが、それができない場合を考えてみたい。
 
後妻に行くというのは、いろいろな状況があろうが、女性にとっては、試練が大きい。
後妻に行った女性が、入った家で、家政婦やら、消耗品やらの扱いしか受けられていないと感じてしまうこともあるだろう。
 
そうなれば、結婚を止めれば良いのだが、この投稿した女性のように、「だめにしたくない!」と、女性が思っている限り、我慢をするしかない。
そして、女性がそうした気持ちでいる限り、足元をみられてしまう可能性が高い。
新しく来た女性が、我慢する人なのかどうかを、家人はためしてやろうという状況になる。
テレビドラマ的な状況である。
なさぬ仲の先妻の子供との付き合いは、大変だ。
 
サガンの有名な小説“悲しみよ、こんにちは”も、先妻の子供のジェラシーを描いた小説である。後妻になるはずの女性は、娘のしかけた罠にはまり、結局、交通事故死する。先妻の子供にとっては、後妻は異物である。人生経験の薄い子どもが、最初から、後妻を素直に受け入れることは難しいと思う。
 
結婚をしたのだから、何十年と妻としてすごせば、法律は、この女性を守ってくるかもしれない。そこまで、我慢していくという選択肢もある。そして、長い間の努力が実り、楽な晩年を過ごせる女性も少なくないだろう。
自らを捨てて、捨てて、妻の座にしがみついた結果、最後に得られるものがあるかもしれない。
 
結婚が成功するかどうかは、女性の希望や努力だけでは決まらない。
女性が、自らの人生をかけた大変な努力をしても、夫が、それを認めてくれるという保証はない。
女性は、将来に向けても大きな不安をかかえたまま、我慢の人生を過ごす。
 
配慮しない夫や子供と暮らす結果、起きてくることは、女性のメンタルが悪化であり、ひいては体全体の健康の悪化である。押し付けられるつらい仕事から解放されるためには、女性の取る手段は、体調不良位しかない。
体調不良から始まった病気が、さらなる複雑な病気に進行してしまう人がいるだろう。
 
体が痛い、お腹が痛い、手がしびれて動かない、足が痛くて立てない、足がつけない、体がだるくて動けない、頭痛がひどい、めまいがして動けない、臭いに敏感になり、その臭いに近付けない、などは、仕事から逃れたい弱い立場の人に、必然的に出そうな体の症状である。
 
弱い立場は、自己弁護をしがちだ。思い通りにならない後妻の女性は、自らは正しいと自己弁護的になる。
つまり、家事はやりたいのだが、体が言う事をきかないので、残念ながら、やれないという態度になる。
自己弁護を必死でやりながら、自らの正当性を主張する。しかし、いつか、焦点がぶれていってしまう。

心の悲鳴が、体の症状として出てくるのだが、本人は、しばしば、心の病気であることに気付かないし、うすうす気付いている場合には、うっかり、そこを指摘したりすると、女性は激怒する。
 
こうした我慢の人生の心配な点は、その人の老後である。
我慢する人生を生きた人は、老後に苦しむ。特に、我慢の結果が、老後の良い人生につながらなかった人は、なおされであろう。
 
人には、苦しい時も乗り越えられるための高等脳(大脳皮質)が備わっている。高等脳は、生涯の味方であり、考えなおしたり、あきらめたり、居直ったりする時に活躍する。
しかし、歳をとり脳が衰えていくと、この生涯の味方が、働きを失ってしまうのである。
人は、若い時の苦しい事、悲しいことが、耐えられない程のつらさで思いだされる。

高等脳は、その人の人生において、苦しい感情をなだめすかす役割を担っている。
ここは、自らで気持ちを切り替え、新たな努力を産み出すためのエネルギーを作る。

若い時には、がまんできた事が、歳をとると、悔しくて我慢がならぬ!ようになるのは、なだめすかしてくれる高等な脳部分が、消えてしまうからだろう。こうなると、周りがどんなアドバイスをしても聞き入れることはできず、人格が違ってしまう印象となる。
 
我慢の多い人生を送ってきた女性の中には、歳をとって思い返す事が、くやしくて!くやしくて!と、苦しみ、とても怒りっぽくなる。愛想の悪さ、表情の険しさなども出てくる。
 
こうした老いた女性が入院した場合には、看護者に対する暴言や、執拗にナースコールを押すことなど、自己主張がとても強くなることがある。
つまり、他人から大事に扱われたいとの欲望が、強い態度や言葉になって、表に出るのだ。
外回りの人格が変化してしまう。
 
人格を作っていた、高等脳のコントロールが無くなるためである。
あんなにおとなしかった方が・・・・!となるようである。
もちろん、こうした女性自身が抑えきれない暴言を吐いてしまうと、女性自身も苦しむようにもなるようだ。
自己嫌悪も強くなり、メンタルが悪化する。
 
こうした年老いての人生が、メンタルの悪循環となっていくようである。
これを避けるためには、くやしくて!くやしくて!と、激しい感情に振り回される状況をなくす努力だ。
 老境に入る前に、人生の我慢を、うまく処理しておく必要があるのだろう。
くやしい思いをかかえたまま、老境に達してはいけないのだ。
老境に至れば、修正不能である。
もっとも、歳をとっても、高等脳がしっかりしていれば、こうした悩みは起きにくいが・・・。 
 
高等脳が、がんばってくれている間に、悔しかったことの整理をしておきたい。
若いうちから、苦労したことを、楽しくがんばった思い出へと変換したり、我慢を無駄にしない心がけだろう。
 
最近、ネットにのっていたあるタレントの女性の言葉を紹介したい。彼女は、
「私は、自らで、地雷を踏んで、きれいさっぱりと、それまでの人生を壊してきました。」
と言ったそうだ。
 
我慢を捨ててしまう生き方であり、我慢を消す手段であろう。
こうした生き方ができれば、高等脳を失った老境の日々に、くやしくて!くやしくて!は、無くなるであろう。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

トラックバック