アナ雪を見る人、誰でも、それぞれの生きざまに照らし合わせて、アナ雪のキャラクターが象徴するものに、思いを馳せてみるは、いかがだろうか?

 
ネット情報によると、2009年、ディズニーは、CG作成会社のピクサーを買収して、そこの製作者のラセター氏を、ディズニーのアニメーション部門のチーフ・クリエイティブ・オフィサーにしたそうだ。
 
ラセターは、ストーリー構築能力に優れており、かつ、仲間の意見を取り入れて、筋をどんどん変えてしまうそうだ。その結果、筋の展開が読みにくく、ハラハラドキドキが持続するとのこと。

アナ雪は、ラセタ―と、才能あるスタッフとの共同作業の結果できたものだそうだ。だから、ハンサム王子が、実は悪玉に変わり、ヒロインはダブルキャストになった。
 
劇中歌「Let It Go」を聴いたスタッフたちは、当初は悪玉の姉のエルサを、もう一人の主人公に変えたそうだ。スタッフ間で相当な議論が重ねられた結果、人の心をつかむストリーになったのだろう。
 
とにかく、いろいろな性格の人が、ストリーの中で活躍し、映画を見る人のだれもが、自らの人生を見直し、反省する材料を提供してくれている。

エルザの悩みは、誰でも持ち得る不幸(マイナス思考)を象徴しているようだ。プレッシャーにつぶれる人生をも描いているようだ。人は、自らに余裕が無い時、他人に対しても攻撃的になる。それだけ、苦しいのである。

エルザは、マイナス思考にとりつかれた悩める女王で、彼女は、人のうらやむ富と権力を持ちながら、苦しい人生を送っている。名声につぶれる人を象徴している。ロイヤルファミリーの人に起きやすいメンタルトラブルに通じる。

エルザは、自らが素晴らしい才能を、才能と思えずに、マイナス思考に突き進む。どんどん、自分自身を追いこんでしまう。このエルサの行動バターンは、不安神経症、うつの人に見られる思考過程に通じる。

メンタル以外でも、身体的な病気を抱えた人が、自らの病気を恥と感じたり、治らなければ不幸であると思いこみ、暗い気持ちで悩み続ける生き方にも通じているかもしれない。症候性のうつという病気がある。

自らの病気でなくとも、病気をかかえた子どもを何とか治したいと、医者をグルグル回って、子どもに劣等感を持たせる母親像とも通じる。
アトピーや夜尿症などは、成長で病気が軽快したり、良くなる事も多く、命取りではない病気だ。しかし、早く治したいと熱望する親がいる。親が行きつく先は、無責任な医師や、医療まがいの詐欺行為だ。
 
一方、となかいのスヴェンは、本当に良い人を象徴している。普段は、力が強くて、たくましい。
主人クリストフに従順で、文句を言わずに仕事を熱心にこなす。
アナを城の人に渡した後、スヴェンが名残惜しそうに、城門の前で、じれて振り返る姿が涙ものだ。
 
しかし、スヴェンは、しっかりと状況判断ができ、見るべきものを見ているのである。
いざとなる時には、ぶれない判断ができる。
そして、主人クリストフに対しても、しっかりと自らの意思を示す。このスヴェンは、困難時に勇気を出せる、理想の人間像を描いたものなのだろう。

一方、雪だるまオラフは、少々、自分勝手で、自らに無いものに憧れ続ける。
太陽や温かさにやたらと憧れる。自らが生きやすい寒い雪の中の環境に感謝する事は無い。
魔法の無い状況では、オラフが暑さを楽しむためには、多くの犠牲や他人の努力が必要なのだが、オラフには、そこはあまり見えていない。
雪だるまに、ふさわしくない環境に憧れる。どんどん、物事を美化して、それにはまり込んでいく。

これは、性同一障害の人の行動パターンと似ているのではないか?性同一障害の人は、とにかく、持って生まれた性に不満であるという意思を、他人に対して示すことにこだわる。
性が変わることで生じる良い面ばかりに、とりつかれてしまうようだ。

もちろん、実際の雪だるまオラフは、いつも陽気で、映画では良い人である。
エルサが魔法をくれなければ、自ら雪国に帰っていくキャラクターであろう。
 
最後に、ヒーローのクリストフは王子様にはならない。以前の職(氷売り)のままである。
どんな職であっても、それぞれの職ごとに意味があり、社会で自らの仕事をまっとうことが最も尊いという、米国映画のメッセージがあるのだろう。

学とみ子的発想の方向は、以上に書いたとおりである。読み過ぎの部分もあろう。

アナ雪を見ながら連想するのは、お薦めである。
映画を見る人は、それぞれの生きざまに照らし合わせて、アナ雪のキャラクターが象徴するものに、思いを馳せてみるは、いかがだろうか?
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