薬を使わない方が良く治る人がいる、などと、医者が言っているのを聞くと、怒る人がいるかもしれない。

 
ブログには、いろいろな闘病記がある。
がんを抱えたある方の、がん闘病記の読後感想を、以前の私のブログに書いた。
ブロガーは、がんをいろいろ勉強しているのに、何か大事なことを抜けている。
そこは、医療者が埋めてあげなければいけない部分と思うが、できていないようだった。
 
こうしたすき間が生じる第一の理由は、主治医を含む治療者と、患者が話会う時間が少ないことだろう。
患者は、医者以外の医療関係者とも会話をかわすことで、医者への質問や、病気への理解をふかめることができる。
 
抜けてしまったことは、
医師が、患者に理解させられなかったこと。
患者が、医者に気づかせることができなかったこと・・・・などと、考えてしまう。
 
医療者が、患者の気持ちを知り、患者が、医療者の気持ちを知ることができるかは、双方の能力が関係する。
 
医者は、頭の良い人が多いが、多くは健康な働き盛りの人で、病気を持つ人、老い行く人の気持ちを理解するのが難しい。
 
そして、若い医師は、多い業務量で疲れている。
たくさんの患者を診るには、エネルギーがいるが、それが途中で途切れてしまう。
時には、医者の頭は、病室の患者や、気になる患者のことで、頭が一杯だったりする。
一方、診察室に入ってくる患者さんは、それまでのエネルギーをぶつけてくるし、必死に話そうとする。
 
医者は、患者の理解が進んで欲しいと思っているが、患者の理解が遠そうに感じたりしてしまうこともある。
遠い状態を近くの状態にまで引っ張ってくるには、医師にも患者にもエネルギーがいる。
 
これは、患者側からは見えにくい部分であるのだが、医者の診療時間が短い理由のひとつに、医者自身が“治せない!” “わからない!”と感じている場合があることだ。
医者は、患者から、治してほしいと懇願されているプレシャーを感じる程に、そこから逃げたくなるのではないだろうか?医者のできることには限界があるからだ。
 
それでも、体力のある医者は、エネルギーを持って次の患者に向かうだろうし、異様にエネルギーを燃やし続けることのできる才能のある医者はいる。医者には躁病の人が多いと思う。
 
ある精神科にかかっている人のブログを読むと、3分診療を嘆いている。
患者側は、時間をかけて診療してほしいと願い、いろいろ医者に言ってみるが、医者はもうカルテを閉じていると言う。医者は、立ちかけていると言う。
 
患者さんは、医者以外の人にも、意見を求めることがあるだろうが、満たされていない。
3分診療でも医者から言われることが、とても貴重なのだ。
 
そんなに期待されていても、精神科の医者ができる手段は、限られているだろう。
そこは、医者自身でよくわかっている。
 
テレビでワクチンの宣伝に出てくる俳優が、医者を演じているが、異様な自信と脅しを漂わせている。
実際の診療の場では、医師はそうした態度はとらない。
治せないなあーと、沈んでいることが多いと思う。
 
ある精神科のドクターがブログに、こんな風に書いている。
最近は、いろいろな種類の薬が新たに発売になった結果、精神科医が、薬を使ないで様子をみる、とか、自然回復の経過を観察するとかができにくくなったという。
 
この精神科医は、薬を使うことで、患者がより複雑な病態への迷い込むことことを指摘している。
薬で病気が複雑化することも事実なのだ。
 
脳内物質を薬でコントロールする薬が多く開発されたことで、救われる人がいる一方で、脳内が複雑になる人もいる。抱える病気が悪くなる事もあるだろうが、副作用が一過性で済んで、最終的に治療効果がでたりする人もいる。
こうした個人差は、薬を出す前にはわからない事が多いだろう。
医師の匙加減がものを言うとしか言えない話だ。
 
この精神科医は、薬を使わない傾向の精神科医であるのかというと、そうでは無い。
彼のブログは、薬剤の説明に溢れている。彼は、多種類の薬を使っている。
多種類の薬をどう使い分けるかを、プライドを持って詳細にブログに書いている。
適切な薬の組み合わせができない医者を、批判もしている。
彼は、重症の人を、薬を中心に治療している精神科医であることがわかる。
 
薬を使わない方が良く治る人がいる、などと、医者が言っているのを聞くと、怒る人がいるかもしれない。
しかし、病気や、薬の感受性の個人差の大きさは、絶大なものだ。
 
病気の個人差に目をむけることで、治療や医師への批判が、もっと適切なものとなるような気がする。
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