広告を見て、拡大解釈をねらったものと気づく人も多いのではないだろうか?

 
高齢者の認知症の薬も、いろいろ問題点が多いと思う。
とのコメントで、前回のブログは終わっている。
 
絶妙なるタイミングというべきかは、わからないが、ブログの直後、認知症の薬について、新聞の一面広告が出た。
題して 早期発見・早期治療で認知症になっても幸せに暮らす であった。
この新聞記事は、広告とは記載してあるが、読者に広告であるという印象を与えず、病気(認知症)啓発のための情報発信の体をなしているのである。
 
この薬の、当初のターゲットは、若年性、進行性の認知症である
しかし、広告は、そこを微妙に隠す書きぶりだ。
この広告を見て、拡大解釈をねらったものと気づく人も多いのではないだろうか?
世の中に、頭の良くなる薬など無い事は、皆、理解しているからである。
 
この広告は、誰にでも来る、老化に伴う脳機能の衰え (すなわち、加齢に伴う不可逆的な変化) が、ターゲットなのである。
広告ではなく、啓発のための記事であれば、“認知症になっても幸せに暮らす。で十分だ。
早期発見、早期治療をあえていれることにより、薬がその役割を果たすかのような効果を狙っている。
 
 新薬が、一部の病気に効果が出ることは事実だが、その効果を、拡大!、拡大!、解釈して、薬を飲む人のターゲットを広げて、薬を多く売りたいのである。
 
新聞広告は、多くの老人と家族がバラ色の夢をもつように、薬を位置づけている。
薬を飲めば、認知症にならない!
早く飲めば、認知症にならない!
認知症は、薬で治せる!、防げる!
 
この広告は、コリンエステラーゼ阻害剤と、MNDA受容体拮抗剤の紹介である。
 
この広告には、専門医(教授)が顔写真付きで載っているが、彼のコメントは専門医にふさわしく格調の高いものだ。しかし、彼がコメントしているのは、明らかな病気といえるタイプの認知症だ。
この薬が、老人の頭が良くなる薬であると、錯覚をさそう広告であるという認識は、教授には、薄いのではないか?
 
“老化に伴う知的能力の衰えとは、明らかに異なる、若年性のアルツハイマー病の治療薬ができました。
あなたの周りに、若年性で突然、ぼけが始まった人はいませんか?”
と広告したら、特殊な認知症の人しか、ターゲットにならない。
一面の新聞広告をうっても、広い裾野の人々まで、ターゲットを広げることができない。
 
高価な新聞広告は、裾野の広い病気を、ターゲットとする。
認知症全部に効果があるのでは?・・・・との誤解を狙っている。
早期発見、早期治療が可能なら、認知症の本人、及び、その家族は、だれもが願う。
 
 若年性で発症する、脳の病気としての性格を持つ認知症は、ぎょっとするような行動を起こしてしまう場合である。
長らく家事をしていた健康な主婦が、突然、料理を忘れてしまったり、周りの人にとっても、本人にとっても、とても大切な事(誕生日など)を忘れてしまったりする。
 
教授の元には、そうした本物の病気を抱える人が受診するのだと思う。
教授は、明らかな病気の範疇の人を、ターゲットにコメントしている。
その範疇の人とは、高等脳を動かしている脳神経細胞が消失したり、神経ネットワークが分断してしまい、認知機能が急激に低下し、人格すら変化してしまう人である。
医師にとっては、緊急に治療したい病気だ。
 
薬が病気の脳を変化させることが可能となれば、治療をした医師は、その経験を生かして、人の高等の脳の機能のしくみを知ることにつなげる。
人の脳は、正常に機能している間は、見えないしくみが無数にある。
 
正常に機能しない脳(認知症)を見て、初めて正常を保つしくみが見えてきたりするのである。
破たん脳を治療することにより、正常脳を推定することができる。
医師は、どのような薬で効果が出るかを見て、脳神経の受容体の研究や、神経伝達物質の相互関係の解明につなげる。
そして、さらなる新薬の開発もめざす。
 
しかし、若年性で進行型の認知症とは別に、多くの認知症は、年齢が進んで、体も弱り、考えるエネルギーや習慣も失って、物忘れが多くなるタイプのものである。
老人は、眠れないと訴えたり、疲れやすくボーとなる。
 
高齢者は、火を付けたのを忘れたり、徘徊してしまう。
家族は、こうした家族をかかえ、心配したり、悲しがったりしている。
 
特に家族を悩ますのは、高齢者のこだわりやイライラではないだろうか?男性も女性も、頑固になる。
老人は、自らの意志を主張しようとして、怒りやすくなるのだ。
老人は、遠慮したり、思いやったりできなくなる。人格を構成していた高等の脳のしくみが壊れるからだ。
 
誰でも、高齢になると、社会へのかかわり合いが減って、世の中から期待されなくなる。
老人は、存在感を無くし、世の中にインパクトを及ぼせなくなる。
周りが相手にしてくれない。
これは、人としてとてもつらいことであり、高等脳であるが故に、人間に、宿命的に起きる悲しさではないだろうか?
 
高等脳が求める究極の希望は、自己主張であるのだと思う。
自己主張は、人としての基本願望であるからこそ、老人はこだわるのだ。
自己主張は、動物が生存するための必須の能力であり、人でなくても、哺乳類以上の高等な動物であれば、必ず持ちあわす感情だ。
 
この新聞広告にも、高齢者の自己主張を、丁寧に扱うようにアドバイスが書かれている。
認知症の老人は、お金を取られた!と訴えることが多いが、これは、自己主張の一環であり、老人の人格をていねいに扱うことを勧めている。
この新聞広告は、貴重な情報を提供しているが、やはり、広告の目的は、多くの老人に薬を飲んでもらうことが目的なのだ。
決して、世の中、人のための、啓発記事ではない。
 
人がこの薬を飲む時には、まず、医師の元へを受診して、医師が必要と認めた場合に、薬は処方される。
そして、処方後も、医師は患者を丁寧に観察しながら、薬を調整していくことになる。
しかし、現実の日本の診療は、医師が熟考しながら、丁寧に診察をするという環境を許していないのでは・・・・?
 
医師であれば、専門、非専門を問わず投与できるし、投与開始した医師が、ずーと観察することをしないで、別の医者に引き継いでしまったりしてしまう。薬を飲んだ本人が、どのような効果を感じたかを、高齢者に聞いても、なかなか答えが期待できない。
 
 認知症の薬は、幅広い患者層に投与されるリスクが高く、効果や副作用があいまいになりやすいと思う。
高齢者向けの投与層の広い、かつ微妙な変化を狙う薬は、製薬メーカーにとっては、新聞広告で大いに宣伝する価値があるだろう。
 
脳内コントロールを変化させる薬を飲む事を拒否する老人もいるだろう。
副作用でおかしくなる老人もいるだろう。
しかし、そのチェックは、メーカーの責任より、医師の責任である。
 
新薬のターゲットとするコリンエステラーゼと、MNDA受容体などの働きは、人の生命現象の根幹となるしくみである。
現代の医学では、脳内受容体の全貌は、解明されていない。しかし、薬が広く使われ、お金が集まることにより、さらなる、生命現象の根幹となるしくみについての研究につながる。
 
究極のところ、意味の無い投与、医療費の無駄使いにならないように、製薬メーカーと、投与する医師のモラルに期待するしかない。
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