こじらせ女子だった女性は、“こじらせ老女”になるのは、少ないのではないのか?

 
流行語のひとつに、こじらせ女子という言葉がある。
これは、若い女性が、自分自身のことを下げ過ぎてしまい、暗い印象になっていることを指すようである。
 
自分自身のことを下げ過ぎてしまいがちなのは、そこに理想とは違う自分がいるからであろう。
若いうちは、自分自身が理想とは違うと感じがちで、悩んだり、落ち込んだりする。
理想が高すぎたり、理想が現実離れしていたりするからだ。
現状維持でも、必死の努力を要するものだという経験や自覚が無く、理想の成果を求めてすぎてしまう。若いうちは、当然かもしれないが・・・。
 
若いうちは、人生経験が少なく、現実を受け入れるスキルが、まだ、育っていない。
周りの人たちに対しても、理想とは違うと感じてしまいがちで、親などの身近な人にやさしくなれない。
 
街で、親と思われる相手に、とても冷たく接する若い人をみかけることがある。
子どもから見れば、現実である親は、子どもが憧れる理想からは、程遠いと感じてしまうのかもしれない。
 
ある日、朝の通勤ラッシュのプラットホームで、中年女性が先を行く娘を必死に呼びとめようとしていた。通勤途中の娘は、ほぼ知らん顔で先を行く。
母親は、娘にやっと追い付いて、何か言おうとするが、娘は顔色ひとつかえずに、母親の言葉に耳をかさない。無視された親も、周りの人たちの視線が気になったのか、話すのをあきらめたようだった。
 
出勤途中の娘は、パンプスを履いて身なりに気合が入っている。母親は、普段着というわけではないが、娘ほどの気合は入っていない。娘は、追いかけてきた母親の身なりがいやなのか?話し方がいやなのか?話す内容がいやなのか?は不明だが、目の前の母親は、娘が理想とする母親像からほど遠いと感じていたようだ。
 
鼻もちならない若い娘ということになろうが、娘には、娘の理想があるのだろう。
しかし、娘の若い時はすぐ過ぎ、娘は自らの限界を知り、親の努力がわかるようになっていくのだろうと思う。
 
“こじらせ女子”の自己評価が低いということは、理想が高いということで、めざすものが大きいのである。
こじらせ女子は、理想とのギャップに悩み、自信が持てない。
自己評価を高めさえすれば、自信がついて明るくなるというものではない。
自己評価などは、簡単に高まるはずもない。やがて、いつかは、自らの高い理想が虚構であることに気づくだけだ。
 
こじらせ女子は、自らの限界がわかっている人で、努力を重ね、まじめな仕事ふりかもしれない。
長期的には評価できる人かもしれない。
 
“こじらせ女子”は、自ら考える能力が高いので、相変わらず自信は無くても、自ら、周りへ与える印象を変えて行く。たとえ、笑顔に自信がもてなくても、御愛想笑いができるようになるのである。
 
愛嬌の良さは、一種の努力の成果と言っても良いだろうが、とってつけたような愛きょうで、努力を惜しむ人は、がっかりさせられる。
 
こじらせ女子”が若い女性なら、かわいい面もあるかもしれないが、中年女性が、自我を通せば、“こじらせ女性”ということになる。職場でも、トラブルメーカーと思われるかもしれない。でも、本当にそうか?
 
働く女性の多くは、文句を言いながらも、どこかで妥協している。その女性の立場が悪くなることになっても、自分自身で、物事を考えるトレーニングはできている。
後輩だった男性の方が、先に出世してしまうことも、日常茶飯事に起きる。
そんな男性にさからいながらも、従いもする。
むしろ、職場の“こじらせ女性”とは、自分自身がわかっている頭の良い人であったりもする。
こうした女性は、同僚女性から評価されていたりする。
 
ほとんどの人は、普通の容貌、普通の才能である。
中年を過ぎれば、容姿、富、運に満たされないままに人生の結果が見え、人生が終わるのを悟るようになる。
それでも、健康に恵まれれば、それほど、不幸な人生ではない。
歳を重ねれば、多くの周りの人も同じ様な状態であることも知っているし、あきらめることもできるようになっているからだ。
 
問題は、その後である。
老境に入って、“こじらせ女性”になるのは、とてもまずい。
 
歳をとると、無視されることが多くなり、その結果、誰でも自己主張が強くなる。
若い人が、理想でない自分をみつめすぎてしまうのとは、質が違う。
“こじらせ老女”は、“こじらせ女性”とは、反対の方向に行ってしまう。
 
“こじらせ女性”の場合は、理想から外れるのは本人であり、理想的でない自分を自覚する。
ところが、“こじらせ老女”には、理想的でない自分自身は見えない。
社会全体の中にいる自分の状態を、あれこれと考えることができなくなる。
自分が見えずに、相手にばかり理想を求めるようになるのである。
 
どういうタイプに人が、“こじらせ老女”になりそうか?
こじらせ女子だった人は、“こじらせ老女”になるのは、少ないのではないのか?
社会全体の中にいる自分の状態を、あれこれと考えることができるスキルは、健在だろう。
こじらせ女子は、それほど、人生をがまんしてきた人ではないだろうし、ある程度、自分自身の意志を大事にしてきた人だからだ。
 
誰かに依存し、ずーと我慢してきた女性が、案外、“こじらせ老女”になったりするかも・・・・。
自分で考えて起こした行動には、その人の責任が付きまとう。
しかし、そうした人生を生きずに来てしまった。
 
狭い価値観しか持たなかったり、内心とはうらはらに、他人の言う事をおとなしく受け入れてきた。
こうした人が危ないかもしれない。
 
人は、無理して我慢する状態が続くのはあぶない。
 我慢は、大きな脳への負担である。我慢してきた人生はストレスが多く、長い間、大事な脳の部分に負担をかけたりする。その部分の脳細胞にダメージを与える。
 
自ら考え決定することができないで過ごす人生は、自己解決力を育てないだろう。
 
若い女性のこじらせ女子はOKだが、こじらせ老女は、本人にとってもとても不幸なことだろう。
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