記者会見での大事なポイント、今回は人権が関係しているのだが・・・、が、見逃されてしまうのです。

STAP騒動が、これだけ注目を集めた理由として、記者と学者の生のやりとりを、一般の人がウオッチできたからでは?と以前に書きました。

事件でも起きなければ、こうした記者会見はやりませんし、今回は、実際に事件が起きたため、責任ある理研関係者が記者会見をしました。

神戸CDBの研究員は、再現実験前後で記者会見をし、理研本部は、調査委員会の中間報告。最終報告などで記者会見をしました。

再現実験の責任者であった相澤氏は、最初の記者会見で、記者たちに要望をしました。再現実験に限定して質問を受けると言いました。しかし、記者にとって公表内容は後で文書を読めばよいことで、記者会見では別のことを聞きたいのです。

回答者の失言から、大衆の喜ぶネタを引き出したいのです。そうした瞬時のかけひきが、興味深いのです。頭脳と頭脳のぶつかり合いといった感じの質疑応答の緊張感です。

いったん、記者会見を経験した相澤氏は、二回目となる検証結果発表では、記者の質問を予期していました。

記者は、小保方氏の様子を報道したいのです。数回、小保方氏の様子を聞かれた相澤氏は切れて、「あなたは、小保方氏が泣いたとか、そういうことを聞きたいのか!」とやり返しました。

記者も負けず、「いや、まずはその質問ではなく、最初にお聞きしたのは・・・」としてから、「では、最後の質問ですが、彼女は泣いたのか?を聞きたい」でした。こうした瞬時のやりとりが、見ている人をひきつけました。

STAP問題は、扱う専門用語が膨大で、記者たちはその意味を、自分のものにすることに四苦八苦しました。

記者の中には、理研からリークする情報を得て、豊富な知識を持ち合わす記者たちがいましたが、彼女たちは、遠藤すり替え説を確認するための質問に終始し、問題点を掘り起こすという作業はできませんでした。

調査委員会報告で、東京新聞の記者が、ESからSTAPをつくると、ESとSTAPの遺伝子が似ていても説明がつくのではないか?と質問しました。
回答した研究者は、ESからSTAPを作る???という質問が理解できませんでした
解説すると、ESは受精卵からつくるため、生命倫理の問題が起こり、そのために卵をつかわないiPS、STAPの開発研究に進んでいるのです

ESからSTAPを作る人はいません。ですから、これは一見、馬鹿な質問だったように聞こえますが、この記者は、皆が信じているESすり替え説に疑問を投げたのです。そうした意味では、価値がありました。

記者があまりに専門的な分野に入りすぎてしまうと、本来の記者会見の目的が達成できなくなります。TCR再合成の有無などで、記者会見の場で議論しても、しかたないことです。

記者会見での大事なポイント、今回は人権が関係しているのだが・・・、が、見逃されてしまうのです。

神戸CDBと、調査委員会の際立つ違いは、小保方氏に対する配慮の違いでした。

実際に小保方氏に接した神戸CDBは、彼女を研究者として配慮し、理研本部の発表は、彼女への配慮を欠きました。

調査委員会は、ろうろうと読み上げて、小保方氏のミスを指摘しました。
ESすり替え説を採用しましたが、故意か偶然かは特定しませんでした。
しかし、小保方氏がすり替えた以外で、第三者による行為の可能性が議論されませんでした。

人権擁護の立場から、記者がここに関して、質問しても良かったのです。

桂調査委員会長の頭の中には、小保方氏以外のすり替え犯を想定していないように見えました。桂調査委員会長は、理研側が作り上げたシナリオを完全に信じ切っていたようでした。

犯人特定は、調査委員会の権限ではないとは言え、調査委員会の発表は、ますます、巷に、小保方犯行説を広めてしまったのです。
これで、決着したか?やれやれ!とするネット書き込みもありました。

桂調査委員会長は、小保方氏の問題点を、時々、薄ら笑いを浮かべて指摘しました。桂調査委員会長は、小保方氏の印象を語り、その内容は、小保方氏はミスの言訳が多く、不注意な人で困ったものだとするものでした。

桂調査委員会長は、かつて、彼が研究に従事していた頃とは、今は研究員の質がだいぶ様変わりしたことにお気づきでないです。

昔から遺伝学は、難しい学問で、マニアックな人が、一生かけて研究する分野だったと思います。その研究所には、アニメやファッションを追う若い研究者は、皆無だったかも・・・・。

テレビのコメンテイターの言葉によると、かつて論文を書く人は、何年もそれにかかりきりだったが、今は、別の仕事をしながら論文を書く人や、子育てと両立させながら論文を書く人が増えたてめ、論文の質も様変わりしているとの指摘でした。

確かに、コピペ、画像の流用などは、今は、実に簡単にできてしまうのです。
ネットには、一流の人が作った画像が溢れています。

研究者は、稚拙な自分自身の画像より、似たものなら使ってしまえ!の誘惑は強くあると思います。

もちろん、フェアな行為ではなく、はるか昔、研究論文を作った時代の人には、許せない行為であると思います。しかし、その頃は、そうした流用技術がなかったのです。

盗用可能な画像や論文がネットに溢れている現状は、“科学は皆のもの”という西洋哲学があります。学生たちは、一流の画像に触れながら学びます。

優秀な学生は、どんどん、自分のファイルに取り込むでしょうし、論文の言い回しなども、コピペして、自分のファイルに置きます。

日本人にとって、一流学者の論文の英文は、珠玉の表現に溢れているのです。
論文の英文には、格調が求められますし、シンプルであることも要求されます。こうした文章をつくることは、日本人は苦手です。

実は、優秀な学生ほど、こうして集めたファイルを持っています。学生のうちに、自由に英文論文にアクセスできる人は、優秀な学生です。ここまでの力がない学生は、英文が自分のものになっておらず、コピペファイルを増やすことができません。

学生からの提出書類にコピペが多いほど、その大学は優秀な学生がいることになりそうです。

卒業後、自らが研究論文作成する時には、コピペの英語を、自分の表現に書き換えなければなりませんが、直して直していくうちに、元の英文に近いてしまうかも・・・・・(涙)。
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