痛みは他人と分かち合うことができない、他人から探られないですむので、自己主張の大事なポイントなのだ。

前回のブログでは、整体士は詐欺師というような書きぶりをしてしまったが、これは整体士に限っての話では無い。
 
病気にかかわる職種のすべてに言えることで、「私は治せる人!」という広告は、信用して欲しくない。
そうしたことをいう医療人は、危ないと思って欲しい。
 
医療にかかわる人である限り、どの職種でも大風呂敷はいけないことだ。
テレビドラマの大門女医のように、「私は、絶対にオペをミスしない」とは、宣言できないのだ。
もちろん、”絶対、大丈夫は無い!”は、ほとんどの人でわかっている。
しかし、体や心が弱っている時には、藁にすがる思いになる。
もちろん、藁を投げる職種の中で、一番に非難される職種は医師である。
 
ひとりひとり、病気の条件と、術野(手術する体内の条件)の様子は異なり、現実のオペは、終わってみないと、結果は出てこない。
 
日本では、従来より、病院でも医院でも、「治せます」広告は禁じられている。
 
しかし、ネット広告で、「治せます」広告が解禁になってしまった今は、規制はあっても機能していない状態だ。
 
さらにこうした大風呂敷に拍車をかけているのは、医師の処方する薬について,、一般向け広告が許可されたことだ。こうした薬の過大広告は、ますます増えてきている。
 
広告に登場するのは、名前が知られた医師であるが、医師にとっても自らの名声につながるため、新聞に出る誘惑には負けるようだ。
 
メーカーは、潤沢な予算を使って、新聞一面に薬が病気を治せるかのように、広告を打つ。

先日の広告のタイトルは、「痛みを我慢せず、早めに相談」というキャッチコピーだ。
キャッチコピーは、メーカーが勝手に付け加えることができる。
医師が話した内容と一致していなくとも、キャッチコピーを書きこむことができるのだ。
これが、メーカーの狙いである。

この広告での医師の説明によると、怪我や炎症による痛みと、神経刺激による痛みの二種類があると解説されている。そして、その二種類の割合は、人により違うと言っている。
 
この解説を読みと、個々の人での痛みの実情は、結局、わからない!と言っているに過ぎないのだが、一般的には、どう伝わるのだろう?
 
痛みの原因を検索して、それにあった薬を出します、などと新聞広告にあるが、この説明は、今ひとつ納得できない。
症状に合った薬があれば、処方してみて効果を見ます。効果がなければ止めます!と言うのが真意である。
 
しかし、薬の効果がはっきりせず、もう少し、もう少しとやっている人は、少なくない。その間に、薬は売れるので、効果が無くてもかまわないのである。
 
効く薬は、副作用もでて責任追求も強いので、メーカーは、効かない薬を暗示効果で、売ろうとする。
 
効果の強い最新の薬では、副作用責任もでてくるので、販売メーカーの覚悟が違う。
副作用情報は、メーカーから、熱心に医師に伝える義務がある。
医師も独自に学んで、メーカーと議論する。これが、本来の薬のあり方である。
 
新聞広告は、こうしたルールを無視している。
薬の効果だけを強調する 新聞広告を流して、一般人をその気にしてはいけないことなのだ。
 
では、なぜ、こうした割に合わないはずの広告が出回るのか?
それは、新薬を理解せずとも、患者さんが希望すれば、処方する医師がいるからである。
医師のレベルは問えないものだ。
 
こうした痛みのような訴えはあまりに広範なので、新聞広告をしてはいけないのだ。
患者さんの誤解をさそおうとする、メーカーのずるさが見透かせる。
 
確かに、病気の種類によっては、治療や手術で治まる痛みの場合があるが、そうした場合は、ごく一部である。
 
それ以外の痛みは、各個人の身体条件が個別に異なり、病気もそれぞれに違いうため、痛みという範疇でまとめて解説をするのは無理だろうと思う。
 
一面の新聞広告のめざすものは、医師の処方がなくては使えない薬、それも新しく高価な薬を売るためのものである。
 
それを、一般広告で出すのは、とても矛盾したことなのだと思う。
医師は、「あなたの場合は、このタイプの薬は合わない」と、しゃべるだけで、診療費が取れる。
 
この新聞広告は、原因解明も、治す事も、現在の医学のレベルでは不可能であると断言しているようなものだ。
痛みは、体の修復の大事な要素であるからである。壊れていく動物の体は、修復が必要である。しかし、この修復は、所詮、間に合わせの修復にすぎない。
 
個人の痛みの原因は良く変わらないことが多く、痛みは治せない!と言っているのだが、そう読み取ってほしい。
つまり、キャッチコピーとは異なる内容で、医師は話しているのだ。
 
新聞広告の後半は、痛みのある人は、主治医とよく相談して、治療のゴールを決めるとよいと言っている。
治療のゴールとは、個人で違うので、音楽を聞くゆとりができるまでとか、すっきり朝まで眠れるまでとか、だそうだ。
これは、どこかで痛みをあきらめなさい!と言っている響きだ。
 
実は、痛みの解説には、「痛みは、心配ないですよ!」とのニュアンスを伝えることが、とても大事なのだと思う。
早期に治療すると治りますよ、長引くと治りが悪くなりますよ、とか、こうした解説が、一番良くない。
 
痛みは、体の修復の働きであると考えて、痛みを消さなければならないとあせらないこと、不安におもわないことが大事だろうと伝えたい。

加齢が進めば、骨がつぶれたり、体が壊れてくるのだから、ささえる構造を維持するために、有る程度に、体を動かす事が必要である。
しかし、動かせば痛みが出るので、そこを不安に思わないようにアドバイスをするのがよさそうだ。
 
そして、痛みで眠れない日があっても、毎日でなければ大丈夫であり、好きな事を楽しみましょうと、言うところだろう。
 
日常生活で、体に負担をかけて続けている事があれば、姿勢やくせなども含めて、態勢を考えてみることも大事だ。
 
新聞広告の最後のまとめの文章は、周りの人は、痛みのある人に共感を持って接すると良いとのことである。
 
痛みは、一種の自己主張であることがある。つらいことから逃げるために、体の痛みを訴えるのは、弱い立場を象徴している。
 
神経や、炎症が無くても、メンタルトラブルで、人は痛みを感じてしまう。
痛みを訴えることで、意識せずとも、苦しい状態から逃れられることがある。
本人にとっては、仮病ではなく、本当に体は痛くなるのだと思う。
メンタルに追い詰められると、痛みに耐えられなくなる。
 
痛みは他人と分かち合うことができない、他人から探られないので、自己主張の大事なポイントなのだ。
「私が私の体の事を言っているのだから、確かでしょ!」
 
こうした訴えは、女性に多い。
思いやりのないワンマン亭主から、「飯がまずい!」「俺が食わせている!」のような暴言により、妻は、体の症状を訴えるしか手段がない。
こうした状況の女性では、夫のやさしい言葉だけで、痛みは軽快しそうである。
今の時代は、男女が逆の状況もあるかもしれない。

テレビでも、有名女優をつかって、過敏性膀胱(要するにトイレが近い)の薬を宣伝している。
こうした広告に特徴的で、かつ、最も罪作りなのは、薬で治療した方が良いに留まらず、薬で治療しなければいけない、放置するとさらに悪くなる、と脅すタイプの広告である。
 
薬を使うことが、あたなのために100%良いという、印象を与えようとしている。
こうした言い方を、もう少しプロっぽく、改善してほしい。
厚労省が本気で、医療費を抑えたいなら、副作用広告を勧めることが、効率的である。
薬の弱点を書くことは、科学的との印象を与え、薬のとってのマイナスではない。
 
薬は、効果のあるものはすべて、副作用との天秤であることは、肝に銘じたい。
 
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