バカンティ氏の「墓場まで持っていく」の言葉には、人への配慮を感じます。
バカンティ氏の“墓場まで”は、小保方氏を信じ、決して疑わないとの信念を表した言葉です。とにかく、墓場までとの表現は、言葉としてメッセージ力が強く、信念を表す巧みな表現であるともいえます。
日本人の研究者からも、同様のサポートの言葉が出てきてほしいと思います。
アマゾンレビューには、教職にあるとの読者からの、確かな文章の星5のレビューも見受けられます。こうした方は、言葉に無駄がなく、講義をする時でも、才能を感じさせる格調のある話しぶりなのだろうと思います。
笹井氏の話し方も、やさしくおだやかなのに、示唆に溢れ、聞き手(小保方氏)はかなわないと感じていたようです。秀才の話し方って、やはりすごいです。
バカンティ氏も、相手をうならせる珠玉の言葉を、たくさん持っているのだと思います。
バカンティ氏は、麻酔科の教授で、彼の研究室は、病院に付属した小規模のもののようです。
理研のような研究メインの施設とは異なり、バカンティ氏は、少ない研究員と共に、業績勝負で研究費を獲得し、研究室を維持しているようです。
そして、バカンティ氏は、患者を診療する医師でもあり、多忙な毎日の研究者でしょう。
バカンティ氏は、診療との両輪で研究を続けていて、研究所の規模は小さいため、研究所の教授は、研究員にフレンドリーな人でないと、室の維持が難しいそうです。トップの人に魅力がないと、若い研究員たちはついてきません。
バカンティ氏は、そうした人であるからこそ、逆境にある小保方氏に対しても、人間的な温かい言葉をかけてくれたのでしょう。
バカンティ氏の研究員たちは、留学生であったり、研修医であったりの若い人たちで、こうしたスタッフたちは、研究が終わればいなくなります。
医学部の学生たちは、将来医者になり病院で働く人が中心で、臨床に戻る(研究を止めて診療をする)場合が多いと思います。中には研究職に残る人もいるのでしょうが・・・・。
海堂 尊氏の小説にも、基礎医学の研究室のスタッフとして、元整形外科医が登場します。この男性医師は、研究業績にこだわらず、ポストにしがみつかない人の良いキャラクターとして登場します。
こうした気の良い研究員は、研究につまずけば、(研究をあきらめて)臨床に戻るのです。
しかし、弱肉強食の理研では、研究成果がすべてでしょうから、研究員は、業績が反映されないと傷ついたり、不公平感で悩んだり、差別や劣等感で落ち込むでしょう。名誉や研究の楽しさの陰には、去るも地獄、残るも地獄のような側面が見え隠れしています。
こうした研究所体質で、小保方氏は笹井氏亡き後、大変不利な状態に追い込まれ、自らの立場の弱さを痛感したと思います。
今回は、特別おかしなことが起きたわけですが、その原動力は何だったのでしょうか?
ネット時代によって、社会の価値観が変化して起きた事件であったような気がします。つまり、今までベールでつつまれていたアカデミア社会の暗い側面が、人々の前にさらされたという印象があります。
暴露をしたのは、アカデミア社会の構成員でした。
内部の権力抗争に、ネット社会の住人を利用したのです。
騒動初期の頃に、情報をネットで暴露しはじめたE研究員は、理研内の幹部に対し“政治力でかなわない”と書き込んでいます。
E研究員の立場では、従来の研究所では、権力抗争の勝ち目のないため、彼は一般人を巻き込んで、新たな挑戦を始めたのでしょう。
STAPねつ造を唱える人には、2タイプがあって、本気でねつ造を信じる人と、ねつ造を利用してやろうとする人がいます。
しかし、両者とも戦法は同じで、小保方氏を、アンフェアに地位を得た人とし、その人がどんでもない犯罪(捏造)を犯し、研究所を辱めたとの非難です。
並行して、税金の無駄使いについて問題提起をし、社会の怒りを誘導しました。マスコミ関係者を理研内に呼び込み、マスコミは特ダネとばかりに飛びつきました。この特ダネは、社会正義のための戦いであると評価されました。
これからも、ネット社会によって、社会の暴露は続いていきます。この流れはとまらないでしょう。
しかし、人間の作り上げたネット社会は、本来、犠牲者を生むものではなく、多くの人が判断に参加することで、公平な裁定を得るためのものであるはずです。
コメント