ネットのブログで、STAP擁護論を展開している人たちは、STAPは無いとする学者らの発言に矛盾を感じてきました。
ESすり替え説では、説明のつかない事実が多くあることが、複数の人々から提起されていました。
私のブログでは、アンチ小保方路線で突っ走った理研判断はなぜなのか?について、その理由を考えています。
そして、仮説として、理研内の研究職の階級間闘争が、表面化したとの組織抗争説を展開しています。
STAP事件は、多数派が属する研究者層が、神戸CDBが新たな試みとして実践した実力主義を打倒する目的があったということです。
多数派層は、今後の理研人事が神戸並みの実力主義を採用しないように圧力かける必要があると感じたのでしょう、多数派の組織力を示すためにSTAPを利用したとの仮説です。
理研は、戦前から存在する国立の研究所でした。戦時中、理研の研究が軍事協力と非難されたようですが、戦後は再生に向けた研究者たちの大変な努力で盛り返し、現在もその精神が維持されているようです。
国立の研究所というのは、国の方針に従って、科学的な努力と貢献を惜しまないがあり、かつ、国の命運を決めるとのプライドが、働く人々にはあるでしょう。
国から、いろいろ難題が持ち込まれた時、その都度、日本の頭脳として解決に努力してきたと思います。
自己点検の精神は脈々と受け継がれ、研究の品定めなどの活動が行われ、自己点検が研究へのチェック機能として働いているのでしょう。それは、同時に、組織間の圧力の手段としての利用できるものでした。
多数派層が、理研上層部や国の決定に対して不満を持った場合は、多数派層は、当局へ圧力をかけることのできる陰の権力者だったでしょう
。
こうした筋金入りの研究者たちは、金儲けの研究は民間にやらせろ!とのポリシーもあるのではないかと思います。
そうした理研研究者のプライド気質が、若い女性のSTAP研究へのいちゃもんになったのでしょうか?
理由はいろいろでしょうが、理研内では、STAPはつぶさなくてはいけない実験だったのだと思います。つぶせば、多数派層の力が誇示できたことになります。
しかし、ねつ造結論ありきの理研の態度が、一般人の人にとっては、「おかしいな?、偏向しているな?何か圧力がかかっているのか?」と気づかせたのです。
理研の発表には、論理の飛躍があると思うのです。
慎重な科学者の出した
結論と思えず、結論が短絡的なのです。科学者というのは、結論する前に、考察の経過を紹介します。結論にならなかったことは、なぜ、排除したのかについて根拠を紹介し、そうした考察を経て結論を正当化させます。
つまり、いろいろな可能性を除外を明かすのが普通だと思うのです。
しかし、今回の理研の発表は、そうした考察がありません。
例えば、再現実験の発表にも、短絡さが出ています、初期化たんぱくが作られていたにもかかわらず、再現実験は失敗した!となっています。
再現実験前の記者会見に、相澤氏が言ったのは、初期化蛋白の合成だけではだめで、論文通りのキメラができなければ、だめだと言っていました。
つまり、理研は、キメラをもって成功と考えるという前振れがあるのです。そうした説明をせず、全く、成功しなかったかのように結論しているのです。
初期化の蛍光発現は、元論文の十分の一に過ぎないという人もいますが、蛍光を発し、タンパク合成もあったと事が大事なのです。
そうした部分をあえて書かないことが、操作された結論づくりとなるのです。
一般人は、無知でだませる存在か?と、勘繰りたくなるのです。
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