理研内組織は、ねつ造疑惑のリーダーシップをとることで、自らの組織力を示そうとしたのかもしれません。

Teabreak2さんのヤフーブログには、以下の文章があります。
自己点検委の報告書は、文章や構成がこなれていて、事実経過―原因―改革の方向性―提言と、いかにも官僚的な文書の雰囲気が漂っています。

私がここにコメントしました。
“自己点検委の文章が官僚的”の理由ですが、自己点検委には、公的文章に慣れた事務方がサポートしているのに対し、一方、改革委は、そうした事務方のサポートがなかったと考えられますね。
この事からも、理研内には、研究者や事務方職員が属する強力な組織の存在がある事を伺わせます。一方、改革委員会は、公的文章を書いたことが無い人で構成されいることを示しています。

改革委員会の岸委員長らは、理研CDBの仕事ぶりを強く批判し、結局、人員整理までやってのけたのですから、恐ろしいことです。笹井夫人も、改革委員会の彼らにどうしてそういう権限があるのか?と疑問をなげています。

私の以前のブログ(2015/5/6(水) ネーチャーニュースのDavid Cyranoski記者が書いた英文記事が紹介されています。)にかきましたが、サイエンスの記者が改革
元委員たちに、委員会の裁定についての意見を求めても、答えられなかったと言ってします。

こうした第三者機関といのは、一見、公平そうですが、どんな人が選ばれているのかはわからず、実の内容はピンキリなのではないでしょうか?

知識もない事情も分からない人が委員になって、見当はずれな裁定することの危険を考えると、裁定された人は、本当にひどい目にあいます。委員の資質を確かめることができないのですよね。

理研が、国立時代から体質的につないできた理研内組織は、労働環境を守る意味でも、新人抜擢などの人事をしている神戸CDBの人事体制を潰そうとねらっていました。

そこに、鴨葱のようなSTAP研究が現れました。この理研内組織は、ねつ造疑惑のリーダーシップをとることで、自らの組織力を示そうとしたのかもしれないと想像しています。

古く旧国立理研職員たちは、プライドをもって組織力を維持してきたでしょう。

上層部の人も、多数派組織から出世すれば、同じ仲間ですし、研究には、協力が必須です。ですから、組織の意思が動いた時には、上層部は止められないようです。

小保方氏も、「周りの人に気づかいが必要」などと、相澤氏に言っていますが、この理研内組織は、狭い研究界の仲間意識でつながっており、学会も動かせる強力な組織力と権力を持つようです。

大学人であった笹井氏は、この組織からの出身でなく、組織は彼を攻撃しやすかったかと想像します。

STAPを受け入れないのは、この組織の意思だったのでしょう。想像の話であることをお断りした上で、言わせてもらえば、これは組織暴力と言えるものですね。皆で攻撃して、陥れる手法です。

アンチSTAPは、日本だけでなく、世界の学者にもいます。再現実験は失敗したとの学会発表も複数でありました。研究の世界は、激しい競争ですから、お互いに攻撃するのです。相手を打ちのませておかないと、自分がうちのめされます。

研究は、無いことを実験しても意味がないのです。無いことの実験は、実験をしないのと同じで、無いことを証明したことにはなりません。

医者は、病気があれば、あると言えるが、“病気が無い!”と保証することはできないのと、似ていますね。
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