有名人でも知識人でも、ねつ造派の人は、権威ある理研が、ねつ造と言っているから、そう思ったと、言い訳可能です。

ネット時代は、けなす人たちの活躍する場であると思います。ネット住人は、名前も素性も明らかにすることなく、激しい意見を書けます。ある意味、心を解放する場であるようです。

歯が浮くようなお世辞には、真実がありませんが、けなす言葉には、書き手の本音が出ます。 “本性”というと、真実ですが、“本音”は、真実というより、人の心の側面のような気がします。

人は一つの側面だけでは、行動せず、“本音と建て前”で行動します。 
女性から見ると、男性は建て前が主で、一方、女性は普段から本音ですが、追い詰められれば、さらに、絶対、本音になるでしょう。
小保方本は、彼女が本音で書いたものと言えます。その本音に対して、ネット男性も、本音で応酬と言ったところでしょうか? 

アマゾンレビューには、けなすレビューが多く書き込まれますが、小保方本レビューも、読者の激しい議論の場になっています。
なかには、“あの日”のレビューにはりついて、コメントを一人で何度も書いて、レビューやコメントを蹴散らす書き込みが飛び交っています。
これも、STAP問題を、どう考えるのか?についての思惑がさまざまである証拠です。公的研究所が犯したミスであれば、人々のウオッチが厳しいわけです。

もともとのアマゾンレビューは、周りの人と読後を議論したくも、なかなか同じレベルで相手にしてくれる人がいない場合、ネットで広く共感者を求めるものだったのでしょう。

しかし、“あの日”のレビューは、自分の意見を言って、その影響を楽しむところを超えてきています。 むしろ、共感するように人を誘導する、もっと言えば世論形成を企てるところ、ではないかと思います。
レビューを書いた人が、どのような目的で書いたか?は、読み手の判断にゆだねられています。

特に、“あの日”のレビューにおいて、内容をけなす行為は、読後感想を逸脱した挑戦です。ねつ造世論を維持させるための手段と言った印象です。

科学の実験をねつ造するのは、普通はあり得ません。個人レベルでねつ造する人はいないと考えるのが、一般論です。まして、ねつ造した人を作りだそうす行為は、さらに異常なものです。ねつ造派の人にとっては、小保方氏が、精神的に異常な人であると、印象づけたいのです

今回は、ねつ造派には、目的がありました。ねつ造派は、ねつ造という異常行為が、現実にあったのだと、世の中を信じ込ませるための挑戦をしているのです。

ですから、反ねつ造派は、ねつ造説の後ろにある“何か”を知らないといけないのです。

話は少し、変わりますが、先生と言われる人の発言は、信頼されやすいです。今回は、元教授のねつ造説支持がいて、熱心に自説を説いたので、小保方氏には不利に働きました。

某元教授は、ご自身のねつ造説を広めるのに必死でした。それは元教授にとっては、注目を集める正義の戦いと思えたからでしょう。
現役の教授の時には、もっと、いろいろ気を使ったでしょうが、退官後の今は、ネットでは言いたい放題にできます。
学生に気を使わず、研究室や講座の評価
など、考える必要がありません。
ご自身が正しいと思ったことを正しいと信じ、それを自信たっぷりに広めようとするのです。

こうした元教授だけでなく、いわゆる知識人も、ねつ造説を広めました。
週刊誌の見出しに、小保方氏は錬金術師との、佐藤優氏らの記事があるようですが、こうした見出しも、マスコミがとにかく、雑誌を売りたいとの商魂そのものという感じです。

佐藤優氏らが、あえて、錬金術師という言葉を持ち出したのは、これで雑誌が売れるのがわかっているからなのです。逆説的に考えると、錬金術師と言っているということは、佐藤氏もそろそろねつ造説から脱したのではないかと思います。

知識人なら、“あの日”を読むと、小保方氏がひどくまともな人らしいと、考えが変わっていく可能性があります。そうしたことにならないよう、今後も、ねつ造説を維持させるためには、精神障害説を信じこませるしかないのでしょうね。

有名人でも知識人でも、ねつ造派の人は、権威ある理研が、ねつ造と言っているから、そう思ったと、言い訳可能です。

誰でも、こんな風に言えますね。
「(私は、)理研の発表を真実であると、疑わなかったので、ねつ造でないとの判断ができなかった」「ねつ造は、本当にひどい行為であるから、小保方氏は、精神異常と考えざるを得なかった」

こうしたエクスキューズが万能なのですから、理研の発表がいかに罪作りなものであったのかを物語ります。
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