従来とは、逆のパターンが起きた。科学者たちの権力抗争に、マスコミが利用されたのである。

STAP細胞は本当に存在した!  マスコミ総がかりでリンチしたSTAP細胞騒動の闇と光
とのタイトルの本が、4月8日に発売されると言う。
発売まで、だいぶまだ時間があり、この間に、人々のSTAP関連知識は、さらに先に進んでいるかと思う。
未発売のこの本の内容は不明だが、タイトルだけだと、マスコミを追求しているようだが、これだと従来の記事と同じである。
大事なのは、なぜマスコミがSTAPと小保方氏を徹底追求したか?であるが、これがこの本では、どのように書かれているのだろうか?

マスコミは、まじめにねつ造を糾弾したかったのだと思う。
マスコミは、科学者ではない。だから、マスコミはSTAP捏造が真実であると信じた。そこが、NHKクローズアップ現代が踏み込んだ内容とした理由ではないか?。

有名な分子生物研究者が複数で、“STAPは捏造である!”ことをにおわせたのだから、NHKも裏を取った気分で、いち早く捏造説に飛びつけたかも?・・・。
早く真相を国民に知らせたい、それが報道の使命であるとNHKは感じたのだろう。

毎日新聞の須田記者も、スクープと信じ記事化した。人がうらやむ知識人である理研の研究者が犯罪を犯したとなれば、多くの人の興味をひく。須田記者も最初は、捏造を信じたと思うが、いつまで捏造と信じ続けたかはわからない。マスコミ上司が、どのようなスタンスだったかわからない。須田記者は、直接、小保方氏と会って、嘘とは思えない勘のようなものを感じたかもしれないが、上司からはねつ造論で、終始一貫させられたと思う。

捏造であれば、ドラマチックな醜聞の展開を報道できるのである。こうして、複数のマスコミは、社会正義的にも、商業的にも、STAP捏造論をとことん続けた。

しかし、今は、マスコミは、科学者たちから逆に利用されたのではないか?と疑われる事態となっている。

従来とは、逆のパターンが起きた。
科学者たちの権力抗争に、マスコミが利用されたのである。
これは、新しいタイプの報道事件といえるのではないか?

捏造記事を書いた記者らは、厳しい立場である。
須田氏も詫摩氏も大変な努力で書き上げたSTAP記事であろうが、このまま捏造が真実であ
ると、主張し続けるのは難しいと思う。

STAP疑惑は、研究者間の抗争事件の様相との説は、想像にすぎないが、ネットでは、複数の人たちにより、証拠固めが進められている。
これを納得できるか、納得しないかは、読み手の自由である。

某ブログの疑惑の解説記事は、単にマスコミを非難する域を超えていて、もっと大きな問題を提起するまでになっている。研究者間の権力闘争を想定することで、不可解な疑惑や事件が説明可能となるのである。

STAP捏造疑惑発生後の関連事件の推移を踏まえ、小保方告白本の内容をイベントと照らし合わせると、告白本で直接的に言及していなくとも、人々が裏で画策する様子が伺えるのだ。

どの組織と、どの組織が抗争する関係なのか?、誰がしかけたか?誰がやむを得ず波の呑まれたのか?登場人物の言葉や行動から、状況を想像できる。

元々、研究所とは、学力優秀な秀才がしのぎを削る場である。そこには、巨大な学閥、派閥が存在する。学閥は、旧帝大が強い。

誰もが、名声と巨大な研究費を求めて、心も体もすり減らす努力している。
名誉、権力、お金がとれるかどうかは、才能、努力、運などが、すべてうまく回った場合に限られる。

成功した研究者には、名誉や研究費が与えられるが、こうした人はほんの一握りであり、多くの才能ある人でも、他人の研究の下働きに甘んじなければいけない。

従来の日本は、米国流の自己獲得型の研究費ではなく、研究予算の決定は役人の手にゆだねられ、役人の権限はこれで維持される。
つまり、日本では、役人がトップの人であるとの仕組みだからである。
このため、公的機関の研究者は、公務員として生涯にわたり職を保護されていた。
研究者でない役人が決める予算額は、研究内容と関係なく、万遍なく各所に廻るしくみをとっていた。

しかし、世界競争に生き残るために、政治家は、日本も研究体制を変えようとした。
成果主義にするために、目玉となる研究所を特区として優遇するようになったのだ。

もはや、研究者は、退職金、年功序列で安閑としていられなくなったのである。
そうした時代の流れがあっても、従来の労働争議の経験を持つ旧国立研究所には、旧態として職場を守る権利意識は続いていたと思う。

大学研究所も同様に、従来の日本の大学は、教授が代わっても、スタッフは代わらないのである。
新人教授は逆にいじめられることもあり、教室一丸となって研究にまい進するのは難しい環境があった。

国も戦略的に新規研究へのバックアップを始め、研究施設を整備した。
元々、理研は国の組織ではあったし、神戸に理研CDBを作り、新しい研究体制の実践を始めた。笹井氏のような若い大学教授が抜擢されたのである。

一般社会で非正規職員が増えているのと同様に、研究者も非正規で採用され、若い時から業績をあげ、その努力が継続できた研究者のみが、ポストを得ることができる。

才能や努力が途中でつきてしまえば、そこで研究生命は終わりである。国家的予算は、業績の良い研究所に限定して廻されるようになり、研究競争においていかれる大学や研究所は、身分も給料も危うくなるのである。

こうした雇用形態の変化は、旧身分にいた研究者たちには脅威であったはずである。

新人登用、有望な研究者の発掘などの新研究体制を実践していた神戸CDBが業績をのばしてきたことは、神戸CDB以外の研究者たちからみればとんでもない仕組みの導入であった。彼らの危機感と不満が高まるのは当然であった。

関連学会にも、神戸批判の研究者は増えていたと思う。

STAP事件は、神戸以外の理研職員と、学会幹部の有力大学人らに共有された危機感が表面化したものではないかと思うのだ。
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コメント

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学とみ子
> 白鷹隼さん
私のブログをお読みいただき感謝しています。さらに示唆に富むお話しいただきまして、ありがとうございます。まだまだ、私自身の気持ちを伝える事、文章をわかりやすく書くことについて、スキルが足らないと思います(自分だけわかっているが、他人に伝わらない・・・)。お読みいただく方には、ご迷惑をおかけしていますが、今後も、よろしくお願いいたします。

No title

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革命も改革も本来的な意味に違いはございませぬ。要は、個々が尊重される社会に進歩させて行く弛まない努力が必要であろうと思っている次第でございます。
そう思えばこそ、貴女様のブログを一読者として拝読させて頂いている訳でございます^^

No title

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こんにちは。

『ドクトル・ジバゴ』をご存じでございましたか。それは失礼を致しました。
個人的な話になりますが、主演女優のジュリー・クリスティーに感動した旨の手紙を書きましたら、映画よりも原作の方が良いので、其れを読んだら良いと返事をもらいまして、パステルナークの原作を読んだ事がございます。確かに、映画よりも「革命」の意味する処が良くも悪くも「革命」を経験した人々の姿を通して深く描かれているかもしれませぬ。

革命が起こる様な社会であってはならぬ、と思ってございますよ。
洋の東西を問わず右派左派を問わず昔の本を読みますと、革命を必要としたのは社会と云うよりもイデオロギーの世界だけであった様な気が致します。
時代(価値観)が変わり簡単に社会をいじ繰り回せなくなったとは言え、権力を握った一部の人々が有頂天になってしまう傾向はいつの時代でも変わらぬ様でございます。権力の取り合いも一つの選択肢でございますが、個々を尊重し個々の力を連携して行くのも別の選択肢としてある事も多くの人々に知って欲しいと思っている次第でございます。

No title

学とみ子
> 白鷹隼さん
ご解説ありがとうございます。ドクトルジバゴですか?以前に見たことがあると思います。世界的出来事を垣間見れる壮大な映画だったと思います。考えさせられることもたくさんあったと思いますが、残念ながら大部分は忘れています。今後、又、見直してみたいと思います。革命は、今までの価値が、一気に消滅します。有産者には苦しい経験と思いますが、革命がおこるような社会はあってはならぬという事への理解ですかね。

No title

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今晩は。

はい、其の通りでございます。

「人間の隣には人間が居る」と言う言葉は、昔、もしかしたら貴女様が未だ生まれてない頃の映画かもしれませぬ、『ドクトル・ジバゴ』という映画の中で出て来た言葉でございます。
ロシア革命で生活基盤を失い、時代に翻弄されながら、仮の野戦病院で傷付いた兵士の治療をしてた主人公(医者)が任務を終えて去る時に、その場にいた兵士から、どんな時でも生き抜く事が必要であると励まされ、その後に続けて言われた言葉が、それでございました。

No title

学とみ子
> 白鷹隼さん

ご教授、ご鞭撻ありがとうございます。
「人間の隣には人間が居る」という信念を持つと、勇気つけられますね。
ありがたい言葉です。

民主主義は、多数意見に従わなければいけない仕組みですから、多数派意見の方向性がおかしくならないように、自らが信じる方向性を見極めながら、同時に、周りと共有できないといけないですね。地道に、階層を問わず、エネルギーを維持しながら、あるべき道をめざせとなりますね。

No title

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要は、狡賢い「コミュニケーション」に翻弄されず、下手くそな「コミュニケーション」を取って損をしない事でございます。←これを一般の人々に知らせしむる事にも大変なエネルギを必要と致しますけれどもね。
ただ「人間の隣には人間が居る」と信じてございますよ。
自分の隣には必ず自分が頑張っている姿を見て理解してくれる人が居ると言う事でございますね。長い道のりは疲れますけれどもね。

No title

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今晩は。
はい、貴女様の認識」の通りでございますよ。
理研に関しては、貴女様の悔しい思いが伝わって参りますね。

繰り返しになりますけれども日本は「官僚国家」なのでございますよ。これに気が付かない人にこれを否定する人を加えると、もう大半の日本人がそう思っていないと言う事でございます。これが日本人の「程度」でございます。其れが現実でございます。其の事を知らしめる事がとても大変で途轍もないエネルギが必要な様に、理研の事に就いても途轍もないエネルギを必要とする事と存じます。
然し、名のない花を咲かせる雑草には雑草の力がございますのでね、貴女様の様なお方を一人二人を増やしていけば宜しいのではないかと思ってございます。
インターネットの普及に依り、たった一枚の画像が、たった数十秒の動画が世界を動かす時代になりましたので、其れは即ち無名の人々に力を与える時代になったと言う事でございましょうね。言葉を使うも良し映像を使うも良し「民主」の力を示す方法は幾つもあろうかと存じます。

No title

学とみ子
民主主義を維持しようとする力は、現状が厳しい社会であることが必要なのかもしれません。人は、不公平や不正を経験しないと、賢くなれないのかも・・・。今の日本人は、中途半端に恵まれていて中だるみの状態かもしれません。そうした意味で、コミュニケイション技術をあげて、きちんと議論できないと、民主主義は維持できないですよね。

No title

学とみ子
> 白鷹隼さん
ご教授ありがとうございます。
理研如きは日本社会の権力構造のほんの微々たる一部に過ぎませぬ。
権力があり、正しい科学判断ができると考えられている理研が、片手落ちの結論をしたことを、多くの人に知ってほしいと思っています。もっと知るべきは、理研の人たちです。「STAPがねつ造との結論は、一般人でもおかしいと気づくよ!馬鹿にしないでよ!」と、ねつ造画策に伝えたいです。“小さければつぶせる”の行為を、このまま通したくないです。

そういう構造を知った上で地道に其の牙城を崩して行く(草の根民主主義の様な)姿勢が必要であろうと思っているのでございます。

その通りです。一般人が草の根的に情報を集めて理解しなければ、扇動者にだまされてしまいます。今回は、それを象徴した出来事ではないか?と思います。科学用語が難解で理解できない人がほとんどであった結果、画策者の企てが通ってしまったのです。理研や学会に逆らえず、中立の立場で解説する専門家が現れませんでした。一般人がねつ造とだまされたと思います。

No title

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政治家、マスコミなどの人を動かせる力を持つ人たちが、未熟だということか。
コミニュケーションと言う能力からみて其の通りでございます。
STAP騒動も、未熟な政策で翻弄される研究所間の競争激化が、一人の若い女性研究者の犠牲を出したということか。
此の答えは、問いに幾つもの要素を含んでございますので、安易には答えれらませぬが、学界(若しくは国家の学術政策の一部)も理研も権力構造の一部である事、学閥、研究所間(研究者間)も権力構造の反映に過ぎない事、其処に満足に機能し得ない脆弱な日本語のコミニュケーションしかない言語構造と言う世界が重ね合わさった部分で、最も弱い立場にあった小保方女史が、適当にいい加減に、或いは無責任に悪質にたった一人で責任を取らされたと言う意味では、「はい」でございます。

以上、長々と勝手な事を申し上げました。<お読み頂いた事に感謝>

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国会の討論では、発言者、質問者、陰で原稿を書いている官僚の言葉の定義が全て自分達が勝手に解釈した意味で使われて、お互いに言い合っている何とも情けない状態を露呈しているのでございますよ。お笑いに至っては、正に其処をお笑いの種にしているのでございますよ。磨かれた芸ではなく。)
5W1Hと言う方法論は置いておいたとしても、日本語で対話が成り立たぬ状態では、正確な情報が行き来致しませぬよね。況してや、其の情報には意図的にフィルタが掛けられているのでございますから。況してや、民主主義の価値が曖昧なままの此の国の状態では。
学界でも同じ実状でございますよ。理研如きは日本社会の権力構造のほんの微々たる一部に過ぎませぬ。勿論、これを悲観的な要素として捉える必要等全然なく、寧ろ、そういう構造を知った上で地道に其の牙城を崩して行く(草の根民主主義の様な)姿勢が必要であろうと思っているのでございます。

No title

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こんにちは。
本筋をずらしてお話しているのは、私めの方でございますから、どの様に解釈されても問題ございませぬ。
具体的に貴女様のお話に合わせれば、左様でございます、貴女様の受け取られた通りでございますよ。

更に付け加えるならば、「情報を共有する」事は理念として立派な概念でございますよね。然し、現実の我が国に於いては、共有される価値のある情報はほんの一部でしかございませぬ。その理由は三つ。一つは官僚が意図的に操って制限している事。もう一つは、発信する側に正確に送り出す能力が欠けている事。三つ目に受け取る側にも正確に受け取る能力が欠けている事でございます。
(英語を幼少期から勉強する事は悪い事ではございませぬ。然し、もっと日本語も勉強しなさいと言う程日本語の程度が低く、日本語でコミニュケーションが取れていないのでございますよ。国会中継、日々の報道番組、日々のお笑い芸人のバラエティ番組、硬軟いずれの番組を取り上げても、まともな日本語の遣り取りがなされていませぬ。

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学とみ子
> 白鷹隼さん
貴重なるご教授ありがとうございます。
政治家、マスコミなどの人を動かせる力を持つ人たちが、未熟だということでしょうか?現場で働く専門家の意見を聞かずに、一部の専門家のみ、国とのパイプを独占的に維持しています。政治家が未熟なまま政策するので、現場が混乱します。STAP騒動も、未熟な政策で翻弄される研究所間の競争激化が、一人の若い女性研究者の犠牲を出したということでしょうか?ご指摘の点がずれていたら、すみません。

No title

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早い話が、基本的なコミニュケーションの手段として、WHEN, WHERE, WHO, WHAT,WHY, HOW という5W1Hが不完全なのでございます。
不完全なままに討論しても長ーい長ーい論争になってしまう事を覚悟しなければなりませぬね。

正論が通らぬ理由が此処にあるのでございます。真面目に考える人間を疲れさせましてございます。ならば、からめ手で搦手門を攻める事が必要になりましょうか。

No title

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こんにちは。

貴女様のご意見に反対する訳ではございませぬ。寧ろ補足したいのでございますけれども、此処では敢えて本筋からずれて、次の事柄を記述させて頂きたく存じます。

まず、此の日本国は、民主主義が未成熟で旧ソビエト連邦以上の「官僚国家」なのだと言う事でございます。
「自由・平等・正義」等の理念を主張すると共に、官僚から特権を奪わなければ(行政改革)、残念な事に悔しい事に此の国では政治であれ経済であれ科学であれ全てが官僚の施策のままに動いてしまうのでございます。民間企業の人事、出版物にすら陰で官僚の力が働いているのでございます。

二つ目は、学術論文であれ、報道記事(含解説)であれ、今の日本人の態度、日本語の在り様の欠陥として「主体性」の欠如が見受けられましてございます。誰が何に責任を取るべきなのかさっぱり判らない仕組みが意図的に横行しているのでございます。
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