テレビに映る舛添氏の表情は硬く、信念を貫くぞ!という印象を受けます。
昔、武士の時代に、家老から疑惑を突き付けられた家来が、最後の命乞いをするのは、こんな風な様相だったのでは・・・と想像してしまうような迫力が舛添氏からあふれています。
この強い表情は、自らの名誉のために死をも覚悟しているという印象にも見えます。
メンタル的にも舛添氏の状態は心配な状態になっているのでしょうが、桝添氏が今の状況を理解していないからこそ、怒り心頭で、この表情になるのでしょう。
知事のポストなど、所詮、棚ぼた的なものであり、今回はたまたま運悪く窮地にはまってしまったからあきらめるしかない・・・、というような一般人が抱く心の切り替え方は、舛添氏にはできないということなのでしょう。
舛添氏は棚ぼた的に得た知事のポストという意識がなく、オリンピックを格調高く文化的に成功させることのできる人間は私だけだ!と自負しているでしょう。
そして、日本が世界に認められるためのオリンピックにするのは、私(舛添氏)が必要だと感じているでしょう。
すでに、東京都を訪れる外国の要人たちから、舛添氏は、最大、持ち上げられていると思います。だからこそ、舛添氏の書を要人たちがありがたいと喜ぶのでしょう。
この褒め言葉がどの位、本心からであるかは、舛添氏にはもうわからなくなっていると思います。
今の状態の舛添氏は、正当な知事として納得できないような理不尽な状態になっているとの認識で、自らの怒りがコントロールできないのでしょう。
もともと、知事職というのは名誉職ですから、実際の政務はほとんど役人が決めたものを、知事は政策した人であると演じる役割です。
一般的に、国以外の役所では、下の階級から上の階級の役人によって、何度にもわたる多くの承認と修正を経て、政策があがってきます。
知事の実際のしごとは、議会での承認に向けた象徴のような立場だと思います。しかし、舛添氏のような人が、知事になると、そうした全体合意に基づく政策を変えようとしたり、直したりしてしまうと思います。自らの判断が正しく根拠があるとの自信にあふれる知事は、他人の仕事を直して、自らの業績にしたいのです。
役人からすると、知事はあくまで象徴として“君臨すれども統治せず”でいてほしいと思うでしょうが、役人は知事に振り回されるようになります。
不満な役人たちは、あの手この手で知事を牽制するでしょう。しかし、不満を露骨に表す役人は出世しないようになり、知事の意向で動く人が出世することになります。
こうして役所は、じょじょに知事好みに変わっていくでしょう。
そうした意味では、地方自治体は、独裁者が現れる政治の仕組みがあると思います。
しかし、過去に、独裁的な知事が長期政権を維持できることが少なく、長期政権が維持できるのは、副知事などの役人出身者が知事になる場合が多かったようです。
舛添氏の言動を見ていると、彼のような人は独裁者になれる資質の持ち主であろうと感じます。
こうした自信家の人は、自らが優秀であると信じ(実際に、舛添氏は学問エリート)、大衆を指導していくべき人間だという思考になってしまうと思います。
権力志向が強い知事は、自らの権力の高みに向けて努力している時が、最高に満たされる時なのだと思います。周りから何を言われようが平気です。
だから、他人から「あなたの認識は常識的でないから、やめてください」と言われても、他人の判断は間違っているから聞き入れらないとの判断になるのでしょう。
不信任案が可決されたら、明日の舛添氏は議会を解散するかもしれません。
選挙で莫大な公金が使われることになっても、舛添氏は、知事の権限を行使するかもしれません。
明日の都議会はどうなるのでしょうか?議会の解散が本当に起こり得るでしょうか?
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