舛添知事の解散は無かった!
もし、解散宣言ともなれば、いよいよ舛添氏のメンタルが危ういとの判断になるので、舛添氏の錯乱行動に対してドクターストップはあるのか?などと私は考えていた。都議会議員も、解散宣言にはドキドキだったのではないか?
権力者が心身共に疲弊して、判断できる状態でないと医師が認めれば、ドクターストップはありだろうとも考えた。
核のボタン、戦争公布などもそうであろうが、権力者が心神喪失状態になり、最後の権力行使に踏み切ったら、とんでもない命令を出しうる。もし、そうなったら、何か止めるしくみがあっても良いのではと思った。
今回の舛添氏は、怒り心頭で解散宣言してやる!となったら大変だった。でも、それは無かった!むしろ、本日の舛添氏は、すべて、悟った人を演じ、昨日までの人とは全く違っていた。
外国のメディアは、舛添氏不在では、オリンピックに影響が出るなどとの報道もあるようだ。しかし、日本にはオリンピック実施に影響を与えられる政治家は存在しないだろう。
日本の政治家はコロコロ変わっても、官僚組織は連
面と続き、そこで決定された政策判断を、政治家は演じる人なのである。過去に、田中真紀子氏が官僚をやめさせた時の官僚の反撃は大きかった。
官僚は、政治家から活躍の舞台を奪って干してしまうことができてしまう。
地方は、国よりもっと役人の役割が大きいのだが、知事になれば人事権があるので、好きな役人を選ぶなどして、知事が好きな政策に近づけることができる。
こうした日本の政治のしくみには、外国のような指導者はいらない。権力を振り回して、官僚の判断を捻じ曲げる首長の方が問題が多い。
舛添氏が、人類の攻防などの歴史に造詣が深く、政治学の時代変遷について膨大な知識を蓄えていても、今、必要とされる常識的な政治判断がスムーズにできなかった。
つまり、過去の歴史には事例はなく、政治学の知識は無力だった。
なぜ、舛添氏は辞任に最後まで抵抗したのか?ここには、考えさせられる問題が多い。
簡単にいえば、舛添氏は権力者がはまりやすい“裸の王様”になってしまったのだろうが、今日の舛添氏は、それに気づいたのかも・・・。
外国の要人も、舛添氏を外国の権力者同様に扱っていたのだろうから、舛添氏自身も、ご自身が特別の人であるとの思いを強め、俺は権力者だ!になり、自信を深めてしまったのだろう。
権力の座とは、人が人であることを見失ってしまう極めて危ない立場であろうと思われる。
皆がやっているけど、やってはいけないことに、政治資金の使い方があるだろう。
つまり、今の日本では、政治家の公私混同がばれてしまった時には、運が悪いとあきらめなければならない。
法律に違反するとかではない。弁護士など、不要である。舛添氏は、ひとつひとつ言い訳せず、ただただ、財政担当者の処理ミスでも、うっかりミスでも持ち出して、公私混同を言い訳せず謝まる作戦の方が良かった。
普段から、公私混同にならぬよう、とても気をつけていたが、ここだけ、たまたまミスがあった」みたいな言い方しかないのだろう。舛添氏がいろいろ言い訳をするほど、突っ込まれる材料を提供してしまった。
公私混同を攻撃しようとする人は、「屁理屈をつけて、公私混同を認めようとしないではないか!」との追及をしてくるのだ。
野球観戦しかり、中国服問題もしかり、攻撃者に材料を提供してしまうだけだった。
権力者は、周りはチヤホヤしてくれる状態が当たり前になってしまう。特に、今の東京都は、世界から注目される状態で、オリンピックにあやかろうとする公的私的な申し出が多数あるだろう。
世界から知事のご機嫌取りに都庁に訪れる人たちがあふれ、客人たちは、知事を教養豊か人としてほめちぎったかもしれない。
舛添氏が、外国に行けば、いろいろな要望が持ち込まれたであろう。たくさんの要望を受けるために、知事にはスイートルームが必要になるのだろう。
庶民は、夢でも、こんな立場になってみたいと思う。こうしたあちこちで生じていたジェラシーが、舛添氏追及に一役買った。
しかし、都市外交の指導者としての活路を見出した舛添氏は、毎日が喜々としたものであったろう。週末の疲れは、英国貴族の週末カントリーハウス気分での別荘通いが必要であった。
釈明を求める大衆は、権力からは程遠い人たちなのである。大衆は、税金を納めるために心や体をすり減らして給料を得る。
企業検診を経験すると、工場で働く労働者がいかに体を犠牲にしているかを実感できる。騒音、吸入物質など、人体への悪影響がある。それでも、皆、そうしたことを自覚しながら働いているのである。
東京都の土地を韓国に貸し出す約束も、舛添氏が直接、朴大統領から頼まれたとの報道であった。確かに、舛添知事が朴大統領を訪問している写真を見ると、舛添氏が喜々として握手している様子がある。舛添氏はとにかく権力者が好き!なのだ。
舛添氏のような権力志向の人間にとって、今の東京都知事の立場は、絶対に手放したくないものだったのだろう。
都庁を訪れた世界の要人たちは、再び、リオの地で再開を喜び合う予定だったのだろう。だから、舛添氏はなにがなんでも、ご自身がリオに行かないと、収拾がつかないはず!と感じていたと思う。
私が行かなければ、日本の恥であると本気で思っていただろう。
しかし、外国の政治家は、真の権力を持つ体制下の人なのだろうが、日本の政治家は、そうした人でもないのだ。そこを安倍首相などは変えようとしているとは思うが・・・。
権力を失いかけた人の生き様は、政治でもドラマでも、多くの人を釘づけにする何かがある。
辞任を表明した舛添氏は、これからはオリンピックは一国民として楽しむなどと言った。彼の中で、夢の楼閣が消えた。
今は気が張っていても、これからの彼のメンタルはどのような状態になるのかは心配でもあり、興味深くもある。しかし、もはや、舛添氏は、心のうちはもう誰にも見せないかもしれない。
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