前回ブログで、ITmedia ビジネスオンラインというネット記事を紹介した。
ここでは、“衆愚”という言葉がキーポイントであるが、窪田順生記者は、“衆愚”に“私たち”という言葉をつなげている。
記者が“衆愚”を使う時、この言葉の持つ攻撃性を避けるために、“私たち”とつなげて、みんな一緒とのイメージづくりで逃げているのである。
確かに“衆愚”は、愚が入っているので相手をバカにした言葉である。この記事は、公明党のことを書いているので、微妙な問題にならぬようにとの配慮かもしれない。
上の人から頼まれると、“衆愚”は目先の利益でうごいてしまうのである。
しかし、誰でも、他人から “衆愚”と言われる人になりたくない。
枯れ木も山のにぎわい
とか、
末席を汚す
とか、
自らをへりくだる言葉は、いろいろあるが、やはり、“衆愚”はさみしい言葉であると思う。
今回、英国のEU離脱も、大変な決定がなされてしまった。
“衆愚”が目先の利益を期待し、多くの人が職を失ってしまうという懸念がでているようだ。
すべての世代が得になるような経済政策は無い。若年対熟年の対立が、混乱の多い世の中になっていきそうだ。
今後、英国の経済はどうなっていくのか、日本人にとって、参考になることが多くあり、ウオッチは、必須と思う。
日本の今後も、ますます、若年対熟年の対立が深刻だ。
時に、テレビなどで、高齢者が、「俺たちを見捨てる気か!?」などと叫んでいるが、今後は、周りから「そうです!」とはっきり言われることが、日常になる世の中がきそうである。
経済効果の無い老人を切り捨てるための大義名分をつくることはたやすいと思う。
超高齢化の社会になり、経済のことだけ考えれば、老人医療は切り捨てたいところだろう。
今後、深刻な対立が生まれる要素が多い。思慮の浅い“衆愚”が目先の利益で動き、老人偏重、あるいは若者偏重、どちらにころんでも大変な軋轢社会になるだろう。皆、不満だらけの世の中になっていく。
しかし、一方で、若いということは、良いことばかりではない。若い人は、人生経験がなく思慮が足らないのは明らかだ。
よく、選挙ポスターで候補者が、「若さがとりえです」なんているキャッチコピーを書いている人がいるが、若いということがマイナスであるという自覚が無いのだ。
政治家は、若くてはいけないと思う。
政治家は、“衆愚”を説得し、“衆愚”の支持を得て、権力を発揮する。しかし、政治家は、官僚、役人に一目おかれなければならない。
日本の政治体制は、議員性であるし、政治家が仕事をするためには、実際のその仕事を担う役人たちを動かせる実力が無くてはいけない。経験と教養は大事だ。
役人たちは、議員が“衆愚”的と思った時点で、その議員の言うなりにはならずに、聞き入れない。
経験が少ないくせに、役人を動かそうとする議員ががんばると、役人たちとの対立が深まって、役人が対抗的になり、無駄な牽制をするようになる。
この政治的効率の悪さは、結局、税金が無駄にかかることになる。
参議院選挙のポスターを見ると、若い美男、美女が増えたと思う。
まさに、芸能界的である。政治家が見た目で判断される時代になっていると感じる。
昔から、変人が立候補することはあったが、こうした泡まつ候補は、ポスターも作らず、ほとんど票も入らないことは、選挙前からわかっていた。
しかし、今は、選挙変人たちが変化し、さりとて泡まつ候補でもなく、価値観が複数化しているような気がする。
候補者の中には、無報酬で働きますとかの、キャッチコピーもある。
立候補する若い人たちの未熟性が増している。
こうした“衆愚”的な立候補者は、「私が議員になったら、血税を無駄にすることを約束します」と、自らのポスターに書き込んでいるようなものだ。
立候補者は、なぜ、自らの未熟性に気づかないのだろうか?こうした人に投票してしうことこそ、まさに“衆愚”なのだ。
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