政治家がリーダーを気取り、謙虚さを欠く態度になるのは、得策ではないのだ。


プレジデント 7月4日(月)に、橋下徹氏が「英国民のEU『離脱』選択はポピュリズムなのか? 僕が現地で感じたこと」http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160704-00018400-president-bus_all
との記事を書いている。

最近のこのブログでも、“衆愚”という言葉が出てくるが、この言葉はいわゆる善良な人々への攻撃性がある。つまり、政治家は、内心では使いたい言葉かもしれないが、それが人々にわかれば、マイナスのイメージとなる。

つまり、政治家が人々を“衆愚”呼ばわりしたら政治生命にかかわる。

話しが少しずれてしまうが、STAP騒動の時にも、学歴ある小保方氏をコテンパンにけなして、
「彼女のような人は、科学者であると言えない」
「本物の科学者なら、彼女を認めない!」
とか言う人がいて、小保方氏をエセ科学者呼ばわりした。
こうした攻撃法も、政治家の“衆愚”呼ばわりに似ている。
思慮の浅い、上から目線でけなすという手法である。

元にもどるが、今日本のマスコミ関連で、良く使われてきている“ポピュリズム”という言葉は、“衆愚”呼ばわりと似ている。

 “衆愚”は、いかにも人を馬鹿にした言葉であるが、今、使われているポピュリズムという言葉も同じような使われた方だ。
しかし、日本人にとってはまだなじみの薄い英語であるためか、攻撃性は薄くなる印象がある。

しかし、“ポピュリズム”は、知識の無い人、浅はかな判断しかできない人たちの集団と言っている気がする。

橋下徹氏の書いた文章は、一般人への啓発というより、“衆愚”に対する説教という感じがする。

元々、彼は政治の仕組みを変えたい志向が強い人であり、新しい仕組みへ改変して君臨する思考が強いのだろう。だから、いろいろな政治的な改編案を披露する。

橋下氏は、英国では、ポピュリズムと言う言葉は使われていないと言っているが、母国語と外国語の言葉の使い分けは、全く異なる。
日本の“ポピュリズム”は、マスコミの使い始めた言葉にすぎず、英国では、自国の言葉の使い方がある。
つまり、橋下氏が、“ポピュリズム”とは英国では言わないなどと言っても無意味だ。

自国語と、外国語では、言葉の意味を超えたギャップが大きい。

例えば、someと言う単語にしても、日本語訳は“いくらか”であり、辞書では、数の場合はa fewとmanyの中間, 量・程度ではa littleとmuchの中間と書かれている。
しかし、実際には相当なとか、膨大なというニュアンスで使われたりする。
母国語は、熟知した言葉として、どんどん変化した使われ方になるのだ。

橋下氏のこの記事の文章は、上から目線の解説と感じる。

こうした文章は、“衆愚”を刺激し、反発があることを政治家は知るべきである。

舛添氏を辞職させたのは、こうした不遜な言葉を、彼自身が気づかずして吐いてしまったからではないのだろうか?

つまり、政治家がリーダーを気取り、謙虚さを欠く態度になるのは、得策ではないのだ。

「知らないなら、教えてあげるね!」ではなく、「知らないだろうから、教えてやる!」というニュアンスになるのだ。東京人、大阪人を問わず、こうした“衆愚”的な扱われ方に反発する。つまり、選挙の票につながらない。

橋下徹氏のような人は、リーダーたる自意識がかなり高いだろうから、そうした自意識が文章のそこここにでてしまうのだ。

橋下氏は、反発を買うような言葉をあえて使うことで、自らの指導性をアピールしたいのだろうが、橋下氏の自意識過剰と攻撃性は、以下の青字の文章に如実に出ている。

橋下氏は、以下のように、既存の権力者を、こき下ろしている。
「離脱は感情的、ポピュリズムの判断だ! という今の日本の自称インテリの思考こそ駆逐しなければならない。」

橋下氏は、大衆がインテリを好まないことを知っている。だから、インテリ層を批判することが、政治的アピールにつながると思っている。インテリ層を見下す橋下氏は、ご自身がさらなるインテリであると言っているだけなのだが・・・・。

特に、橋下氏の文章(以下青字)の中でも、特に攻撃的な部分には赤字で記載しておくことにする。

離脱という判断はポピュリズムだ!!感情的だ!!と言われたら頭に来るね。さらに企業活動がおかしくなって経済が停滞すると言われても、経済だけを考えるな、バカ、と言い返すだろうね。なぜ離脱なのか、冷静に論理的にいくらでも主張できる。東アジア共同体構想のおかしいところをいくらでも指摘できるし、東アジア共同体残留派を論破できる自信がある。

  しかし官僚や政府の予測が外れるなんて日常茶飯事。そう言えば、つい最近では、消費税を8%に上げても日本の経済には何の影響もないと言い続けていた財務省の予測が、まったく外れたことは記憶に新しい。

国民投票自体をポピュリズムだと批判する声も、当のイギリスでは聞かない。ポピュリズムという言葉を多用するのは、日本くらいで、まだまだ民主主義が成熟していない証拠。

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