いままで、可憐で繊細な美少女を演じてきた女優のファンは、そうした女性が好きな人達であろうし、男性が守ってあげたい美少女というのが、エマワトソンだったのではないか?


どうもこのブログでは、男性批判的な文章が多くなってしまい恐縮だが、女性の行動志向も、おおいに問題はある。
女性の問題ある行動試志向について、考えてみたいが、まずは、手始めに、女優から学ぶ行動を書こう。

国連での演説というのは、政治家、芸能人として、大変、名誉なことのようだ。


確かに、彼女の演説は、人を引き付けるものがあり、ボランティア活動に熱心だ。アンジーは、女優だけではものたらない博愛主義者を目指す人であるようだ。

この報道内容が真実かどうかは知らないが、アンジーは、国連難民高等弁務官事務所の特使として活動を続けていて、国連演説などもこなしていた。

この国連での仕事というのは、離婚の材料にもされるほど権威と威力があるようで、芸能人を夢中にさせるのは間違いないようだ。

若手のエマワトソン氏も、仕事を休んでまでして、国連でのフェミニズム活動にのめりこんでいるようである。
彼女は、女優業を一時中止して、フェミニズム活動をするようである。
この判断については、男性ファンは、がっかりするだけでなく冷ややかであろうし、離れていくであろう。

いままで、可憐で繊細な美少女を演じてきた彼女のファンは、そうした女性が好きな人達であろうし、男性が守ってあげたい美少女というのが、エマワトソンだったのではないか?
エマワトソンは、そうした男性たちの期待をうらぎったことに、彼女自身はどの位、気づいているのだろうか?

ファンだけではなく、エマワトソンを売り込んできた周りの人たちも、がっかりか?
さらに、1年後、又、エマワトソンが映画に復帰したとしても、その時、女優業の立ち回りが難しくなるような気がする。

国連でのエマワトソンの演説を聞くと、それはまさにフェミニズム活動である。
女性は、弱く、壊れやすい美しさが求められているのではないか?心身を鍛えることは期待されていないのではないか?
などと、女性が従であったり、受け身である現代社会を批判した演説内容だ。
こうしたストレートに男女の問題点を指摘しても、受け入れない人は少なくない。

この演説を聞いた人は、「ああそうですか?もちろん、女性は人形ではないですよね。」という一般論に賛成はするものの、「エマワトソン氏さん、あなたの姿態は、まさに美しい人形のようです。ファンはそこが好きです。あなたに、そこを否定して欲しくない。」
「エマワトソンさん、国連で演説できるのも、あなたが人気ある女優さんだからですよ。そこの関係はどうなっているの?」
と感じるかも・・・。

さらに、エマワトソン氏は、さら男性ファンにとって、カチンとくるような発言をしている。これでは、ますます、男性心理が離れていくであろう内容である。

彼女はこう演説している。
「男性は、強くありたい、妻子を豊かな環境で養いたいとの願望が強く、その目的をかなえるために、男性は人生に大きな負担を抱え込まされることになる。フェミニズム活動は、こうした男性を救うことにもなる。これは、男性にとっても良いことではないのか?」
と言っているのだ。

これを聞かされた男性たちは、
「あまえ(エマワトソン)にそんなことを言われたくない!」と感じると思う。

フェミニズム活動は、若く美しく可憐な女性が説くような話ではないのである。

フェミニズム活動の大御所のグラハムスタイナムのように、女性が一生をかけてこの問題を追及し続けた時、女性のみでなく、男性たちの支持を得られるのだろうと思う。

社会における男女の役割や関係は、時代と共に変わっていくであろうが、近未来では、男女の役割を逆転させることなどできないし、生物学的にも不可能なことである。

競争社会で得た男性優位を転換させる力は、今の女性たちにはない。
今後も永久に来ない気がする。

グラハムスタイナムも、フェミニズム活動の究極の目的は男女の幸福追求であると言う。
歩み寄りに必要なのは、妥協、あきらめ、配慮、同情など、複雑な高等脳機能が必要だろうが、男女は、お互いの歩み寄りができてこその関係である。

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