「トランプ氏は、信頼できる相手である」などの安倍発言は、一歩間違えば、相手に失礼だ。

朴政権が揺れている。連日デモがあるようだが、テレビ映像では、参加しているのはほとんど若い人たちである。
「大統領も共謀した」などという強い言葉で、検察からの追及があった。

今、権力者に対する辞任追及の大衆行動は、世界の各所でおきている。

日本では、ついこの間の舛添知事に対しての辞任要求があった。

選挙で選ばれた高い権力ポストの人を辞めさせてやる!と大衆が騒ぎ出す時代だ。
SNS時代になって、そのスタイルが固まって来た。
大衆は、辞任要求の理由となる大義名分をかかげて、大衆の力を示そうとする時代なのだと思う。

権力者は権力があるが故に、その権力行動を批判しようとする大衆活動により、いつでも穴に落ちるような罠にはまってしまう。

ベテラン政治家は、こうした罠に敏感でいると思うが、クリントン氏もそうした人であったろう。
選挙期間中、むしろ、クリントン氏にメール問題しか取り上げられるネタがなかったと言えるのではないか?
クリントン氏は、プロの政治家として、ずいぶんとあちこちに気をつかって公務をこなしてきたと思う。

一方、トランプ氏は、選挙後も、大衆からの追及を受けるという点では、穴だらけである。今後も、ますます、とんでもない展開になりそうな気がする。

日本の政治家は、本来、個人として活動することがなかった。むしろ、それができない位、官僚の実力が大きかったのだと思う。それが、安倍首相では、やや様相を異にしている。

今回の安倍首相のアメリカ外遊だって、これは公務ではなく、個人としてトランプ氏と友好を深めるだけのものでしかなかったと、安倍首相を非難することができる。

今までも、日米の政治家が、別荘に招待して友好するといのはあったが、もっと地味な環境であった。
しかし、今回は、今までの常識を逸脱することが多かった。
トランプ氏の家族ぐるみの金ぴかのプライベート環境は、マスコミ、大衆の恰好の攻撃の的だ。

この旅行のために、妻を伴い、政府随行員も伴い、その挙句、会談内容は多くを語らないというのは、日本の外交スタイルでは考えられなかった。

今までの日本の首相はころころと変わり、外国首脳と友好を築く間もなく、次の人に交代させらていた。
首相の交代は、大衆の怒りからでなく、党内の派閥争いによるものであった。

しかし、安倍首相のように、個人プレーをすれば、個人としての足元をすくわれるリスクは高くなると思う。
つまり、今後の安倍首相も、国民デモによって辞めされるということになるかもしれない。

政治的基盤の薄いトランプ氏に肩入れして、日本の評価を落とすかもしれない。

今回の「トランプ氏は、信頼できる相手である」などの安倍発言は、一歩間違えば、相手に失礼だ。
会った相手から、「あなたは信頼できます!」などと言われて、うれしいと思う人はいるだろうか?

安倍首相も、そうした自らの発言の問題点に気づかないのだ。それは、彼も、エリート育ちで、あまり一般人の感覚というものを理解できないからではないのか?

安倍首相が権力を継続し、集中権力下では、不用意な発言は出やすくなると思う。
そうなると、日本でも、韓国並みの学生デモがおきるかもしれない。

大衆は、権力が嫌いである。権力者になれば、国内外からの多くの要人たちからかしずかれ、マスコミを侍らせ、特別の人であるかのようにふるまうことができる。

そうして崇め奉られることに慣れてしまう。

それを見て、大衆は反発する。その政治家自身に能力があるのか?本当に、そんなに特別な人なのか?との、大衆からの反発は出てくると思う。

稲田防衛大臣も、自衛隊の謁見式などで、多数の制服男性たちを従えて、一番偉い人として、行進することができる。こうした経験をしてしまうと、政治家自身がおかしな気持ちになってしまうのではないか?と思う。

政治家は、特別に自分自身を律する気持ちを持たないと、自らにおごりが生じ、特別な人であると勘違いをしてしまう。

そして、思いあがった政治家は、上からの目線の政治的発言をしてもそれに気づかず、気づいたら大衆かが離反しているのである。

世界的に、数の力で権力者に立ち向かう大衆の時代となっている。
韓国などでは、学生たちがそうした活動の中心であり、人生経験がないだけに、学生たちは、国を変えてやろうと意気がるのだ。

結局、トランプ勝利も、既成の政治や権力者に対する反発が大きく、その不満を集めただけではないか?
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